「アフパク」情勢は安定化できるか
アメリカのオバマ政権は、ブッシュ前政権時代にイラクに置かれていた対テロ戦争の主舞台をアフガニスタンに移し、この地へのアメリカ軍増派に踏み切ったが、「アフパク」情勢改善の道は非常に険しいといわなければならない。まずアフガニスタン情勢。タリバンによるテロ攻撃の件数は、05年に494件だったものが06年には倍近くの968件、さらに07年に1125件、08年には 1220件へと増加の一途をたどっている(アメリカ国務省の08年テロ活動国別報告書、09年4月発表)。09年7月10日にタリバンの勢力が最も強い南西部のヘルマンド州で、NATO(北大西洋条約機構)指揮下の国際治安支援部隊(ISAF)のイギリス軍がタリバンに襲われ、その日だけで8人が死亡した。これはイギリスにとって、1982年のアルゼンチンとのフォークランド紛争以来、1日の戦闘で出した犠牲者数としては最大のものだという。またその4日前にはアメリカ軍も、1日の戦闘で7人の死者を記録した。
他方パキスタンは2007年から政治の混迷期に入り、治安の面でも「パキスタン・タリバン」と呼ばれるイスラム過激派によるテロが続発するようになった。特に問題なのは、パキスタンのタリバンとアフガニスタンのタリバンが同根、一心同体の関係にあることだ。
タリバンの生みの親はだれか
「タリバン」という言葉は本来「学生」を意味するアラビア語からきており、特にマドラサ、すなわちイスラム神学校の学生がこう呼ばれた。このタリバンが戦闘的な組織として編成されるようになったのは1979年以来のこと。旧ソ連によるアフガニスタン侵攻が契機で、パキスタンの軍統合情報部(ISI)がイスラム神学校の学生らに、軍事訓練を施した。アフガニスタンで対ソ・ゲリラとして戦わせるためだった。その上、パキスタンではもともとイスラム原理主義の流れが強く、ISIを筆頭に軍内部にもイスラム過激派の支持者が多いという。パキスタン・タリバンの活動は、アフガニスタンと境を接する北西辺境州と連邦直轄部族地域(FATA)に限られていたが、これが一挙に全土で展開されるようになったきっかけは、2007年7月のラル・マスジード・モスク事件だった。これは軍人大統領で軍参謀長も兼ねていたペルベズ・ムシャラフが、通称「赤いモスク」と呼ばれている首都イスラマバードのこの有名なモスクに立てこもった過激な神学校学生らを弾圧、100人以上を射殺した事件だ。
同年12月、亡命先から帰国した有力政党パキスタン人民党(PPP)党首、ベナジール・ブット元首相が暗殺され、翌08年8月には政治的に追い込まれたムシャラフ大統領が辞任、そしてブット元首相の夫、アシフ・ザルダリが新大統領に就任するなど、パキスタンは政治の激動期に入った。その後1年足らずの間に、パキスタンのほとんどの都市が自爆テロに見舞われ、タリバンの襲撃による警官、民間人の死者は9000人以上に達した。
パキスタンの情勢悪化は、アフガニスタンで作戦を展開しているアメリカ=NATO軍にも深刻な問題を突きつけている。アフガニスタンでの作戦に死活的に重要な補給物資のほとんどは、パキスタンを通って運ばれているが、その補給路への攻撃が08年ごろから急増したのだ。明らかにパキスタン・タリバンは、アフガニスタンの「兄弟」たちの要請にこたえて、ISAFへの補給妨害という戦略を実行に移しつつある。
「アフパク」は対テロ戦争の主戦場となるのか
さて、今後の「アフパク」情勢の展望だが、注目すべきは次の二つの点だ。第1に、アフガニスタンを重視するオバマ政権の打ち出した新しい戦略、つまり取り組み方が実際にどこまで効果を上げ得るのか。第2に、南アジア地域、ひいては国際舞台という広い視点から見て、核保有国、しかもインドとの宿命的な対立を抱えるパキスタンの政治的不安定が何をもたらすのか。オバマ政権の対アフガニスタン戦略を一言でいえば、優先順位を「軍事」から「民心掌握」に移したことだ。09年6月に就任したアメリカ軍司令官マクリスタル将軍は、着任式の訓示で「宗教や伝統に敬意を払い、住民の信頼を得る」必要を強調した。民間人の犠牲を生みがちな空爆もできるだけ抑制する方針を打ち出している。だがタリバンの大多数は、アフガニスタンの人口の44%を占め、パキスタン側にも広がっているパシュトゥン人であり、「民心掌握」の点では外国人のアメリカ=NATO軍より有利な立場に立つ。
「アフパク」情勢を長期的な観点から見た場合、パキスタンの政治的流動化が世界全体に与える深刻な脅威に注意する必要がある。パキスタン・タリバンをはじめとするイスラム過激派が政治に大きな影響力を持つようになると、(1)共存の機運が兆していたインドとの関係が対決構造に逆戻りする、(2)核が国際的なイスラム過激派テロ組織に流出する可能性が出てくる、と見られるからだ。これは国際社会にとって悪夢以外の何ものでもない。
このように、「アフパク」情勢は国内紛争、局地紛争の枠を超えた深刻な性格を秘めている。そのことを国際社会はよくよく認識しておかなければならない。