「失敗例」となったイラク
2009年6月30日を期限として、イラクの住民居住地域からアメリカ軍が撤退した。イラクのメディアはこぞって撤退までのカウントダウンを始め、撤退当日は全土がお祝いムードに包まれた。「イラクからの撤退」を公約に掲げてきたアメリカのオバマ政権の、最初の対中東政策における大イベントではあったが、撤退自体はブッシュ前政権からの既定路線である。ブッシュ政権は、08年末にイラク政府と治安協定を締結し、11年末までの完全撤退を決定した。残りのアメリカ軍の撤退について、オバマ大統領は治安協定の定めた予定よりも前倒しで撤退させたいと考えているといわれるが、正式な決定はまだない。
戦争を開始したブッシュ前大統領本人も、すでに07年ごろには撤退は余儀なしと考えていた。イラク戦争開戦当時、アメリカのブッシュ政権は戦後のイラクが、アメリカ主導のもとに「中東の民主化」の旗手となり、欧米資本のもとに石油開発を進め、中東の親米拠点となるはず、と期待していた。だが日々悪化する治安情勢、深まる反米感情、戦後復興の遅れによって、ブッシュ政権の期待は裏切られた。逆に、アブグレイブ刑務所でのイラク人拘束者への虐待や、アメリカ兵のイラク住民に対するハラスメント事件は、世界中でアメリカ軍の評判を貶(おとし)めた。アメリカの政権にとってイラクは「早く手を引きたい失敗例」となったのだ。
イラク戦争とはいったい何だったのか。イラク戦争は、イラクとアメリカに何をもたらしたのだろうか。そしてアメリカ軍撤退によって、イラク戦争の負の遺産は解消されるのだろうか。
ブッシュ政権の誤算
イラク戦争がアメリカにとって最大の誤算だったのは、イラク人のアメリカに対する信頼がなかったことだろう。開戦以前ブッシュ政権は、アメリカ軍がフセイン政権を倒せば花を持って歓迎されるだろう、と考えていた。ところが、イラク人の多くはフセイン政権の崩壊にもろ手を上げて喜んだものの、アメリカの直接支配やアメリカが任命した政治家たちに唯々諾々としてはいなかった。戦後半年するとイラク人の間には自らイラク政府を選挙で選びたい、という声が高まり、早々に05年年頭には国政選挙を実施する。これを契機に、戦後雨後のたけのこのように小党が乱立し、しかもそれぞれの政党が民族や宗派別に大衆動員を競い合った。そうした政争の過熱ぶりを反映して、市民レベルでも宗派対立が激化、06年には全国で内戦ともいえる状況が発生したのである。この宗派対立にアメリカ軍はなすすべもなく、アメリカ兵に及ぶ被害をいかに回避するかに必死となった。
もうひとつアメリカが見誤ったのは、その選挙の結果、イラクにシーア派を中心としたイスラム主義政党主導の政権ができてしまったことである。アメリカ軍がイラクでの治安を回復できないなか、住民の社会秩序を守ったり経済的な救済を施すことができたのは、宗教界しかなかった。その宗教界の市民への影響力を利用して、シーア派のイスラム政党が政権を握ったのである。そのなかには、サドル派のように激しい反米活動を展開する政党もあった。
イスラム政党といえば、その隣国であり、フセイン前政権時代8年にもわたり戦争をした相手、イランのイスラム政権とのつながりが懸念される。とりわけ、政権与党の一角を占めるイラク・イスラム最高評議会は、結成以来20年以上イランで亡命生活を送ってきた勢力だ。その意味では、イラク内政の安定のためにイランの役割は欠かせない。しかしイランとアメリカは、核開発問題などを巡り徹底的な対立を続けている。アメリカがイランに強硬な姿勢をとれば、イランがイラク内政にアメリカの望まない形で介入することは必至だ。オバマ大統領がイランに比較的融和的な姿勢を見せているのには、こうした背景がある。
ポストアメリカ軍の課題
少なくとも07年前半までは、治安面でも政治面でも失策続きのアメリカ軍だったが、同年秋ごろから治安が落ち着きを見せる。それは、アメリカ軍とイラク政府が積極的に地方の部族勢力を取り込み、宗派や政治派閥間の抗争とは別のところで、イラク政府を支える支持母体を作っていったからだ。「覚醒評議会」と呼ばれる部族中心の組織は、特に治安の悪かったスンニ派住民の多い西部地域で治安回復に成果を挙げ、政治参加にも前向きな姿勢を示している。アメリカ軍撤退後、イラクの治安が急速に悪化するのでは、という懸念があちこちでささやかれたが、8月に首都バグダッドや北部のモスルでいくつか爆破事件が起きたほかは、それほど大きな事件は起きていない。アメリカ軍が撤退したことで、反米勢力が攻撃の対象をなくしたこともあるが、イラク人の組織が直接治安維持に当たることによって、激しい衝突が避けられているのだろう。
むろんアメリカ軍撤退後の権力の空白が、イラク人同士の政治派閥抗争をいっそう激化させることは十分考えられる。しかし、イラク人同士の対立は、お互い、相手が国から出ていけば――アメリカ軍のように――解決するものではない、ということをよく知っている。その意味では、武力衝突より政治交渉の余地が大きくなるといえよう。くしくも09年末ないし10年1月には、国会の総選挙を控えている。アメリカ軍撤退後のイラクで各派閥が、武力より選挙での勝利に魅力を感じるようになるかどうか。加えて、イラク内政に影響力を持つイランやトルコなど、周辺国との関係をアメリカがどう調整できるかが重要になるだろう。