公式発表ではアフマディネジャド大統領の圧勝による再選に終わった09年6月の大統領選挙の結果に対して広範囲な批判の声が湧き上がり、現政権だけでなくイスラム革命体制そのものに公然と反旗を翻す動きすら表面化した。また、大規模な街頭行動に続く騒乱を流血もいとわず圧殺する過程で、支配勢力の間にも対立と亀裂があらわになった。新旧の世代対立や、聖職者と世俗の革命組織との間の越えがたい溝が表面化した。
イランのイスラム共和体制
イスラム共和制とは、いわば「神意」と「民意」を共に反映すると主張する体制である。「ファギーフ(法学者)」と呼ばれる宗教指導者たちが、「神意」を推し量る権限を持っている。これはシーア派の根本理念に由来する制度である。イスラム教の預言者ムハンマドの従弟(いとこ)で娘婿(むすめむこ)のアリーの子孫が、神意を読み解く超自然的能力を備えており、イスラム共同体の政治・宗教指導者の地位(イマーム)を継いでいくというシーア派独自の信仰がある。
アリーの子孫が絶えた後は高位の法学者がイマームを代行して統治を監督するという「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者の統治)」の理論をホメイニが発展させた。パーレビ朝のシャーを打倒したイラン革命の過程の権力闘争でイスラム革命派が権力を握り、司法・立法・行政の上位に最高指導者(ラフバル)と護憲評議会が位置する、独自の政治体制を出現させた。
イスラム共和制では、最高指導者とその周辺の一部の政治的な法学者に最終的な権限が集中しているものの、大統領や国会議員を選挙で選出し、国民の意思を表出して政治に反映させる民主主義の制度も併せ持っている。イスラム法学者が測る「神意」が「民意」と齟齬(そご)をきたすことは、シーア派の宗教・政治思想の信念からは「あり得ない」。「神意」が「民意」に一致しないはずはなく、「民意」が神の命令に背くことは許されない、というのである。
しかし現実には双方の対立は潜在的に問題であり続けてきた。革命当時は、双方の調和がホメイニのカリスマによって体現され、齟齬や対立は覆い隠されていた。また、イラクとの戦争は国民の結束を高め、体制批判や問い直しは後回しにされた。ホメイニ後継の最高指導者には政治手腕を買われたハメネイが就く一方で、改革派のハタミ元大統領や、対外強硬派でポピュリズム政策をとるアフマディネジャド大統領らによって「民意」を動員することで、体制の新陳代謝を図り、批判勢力をも承服させてきた。しかし09年の大統領選挙では、「神意」と「民意」の間に覆いがたい乖離(かいり)があることが露呈された。
イラン体制の揺らぎ
09年の大統領選挙は、政権批判が表面化しただけでなく、体制内の亀裂が露呈したことに特徴がある。アフマディネジャド大統領は選挙運動の過程で、対抗馬のムサビらを批判するだけでなく、革命後の聖職者主導の政治運営に批判を浴びせた。革命の理念を提供し要路を支配する聖職者集団の革命長老世代に対する、革命防衛隊やバシジ(民兵組織)を中心とした革命の実働部隊の役割を担った世代と社会集団が、闘争を仕掛けた形である。聖職者による統治の能力に疑念を投げかけられてもなお、最高指導者のハメネイがアフマディネジャドに肩入れしたのは、アフマディネジャドの大衆的人気がイスラム革命体制の延命のために最も有益と判断しているからだろう。しかし体制の「イスラム性」を担保する聖職者の統制にも従順でなく、「共和制」の理念もないがしろにしかねないアフマディネジャドによって「イスラム共和制」の護持を図るのは、長期的には無理がある。そしてハメネイが選挙の不正疑惑に対しても、一方的に現職を支持したことは、最高指導者の超越性と権威を傷つけた。ラフサンジャニ元大統領らハメネイの政治的対抗者だけでなく、聖地コムの高位の聖職者の一部からも、公然と批判を受けた。アフマディネジャドが公然と、ハメネイの意に反する人事・政策を打ち出すに及んで、さらに権威は揺らいだ。
アフマディネジャド大統領の立場からいえば、後ろ盾になろうとしてくる最高指導者とその取り巻きに対して無理難題を突き付け、それでもなおかつ高位の聖職者たちが最後には黙認するしかないと明らかにすることで、自らの権力を誇示し、支持者たちにさらなる高揚感をもたらす。革命防衛隊や民兵組織の結束を固め、内務省・治安警察や軍の掌握をいっそう強化して、2期目のアフマディネジャド政権は国内の批判を強圧的に封殺する能力を十分に備えた。
傷つけられた倫理的優位性
しかしそれは政権の正統性と倫理的優位性を犠牲にした延命である。09年の大統領選挙での疑惑と混乱は、少なくともイランの国際的地位をすでに損なっている。イランはアメリカやイスラエルに公然と異を唱えながら、イラクやアフガニスタンのように政権転覆されることもなく、核開発の正当な権利を主張して譲らず、ヒズボラやハマスら強硬派を支援して成果をあげるといった近年の対外姿勢で、地域大国としての威信を高めていた。その前提には、中東やイスラム諸国の中で相対的に民主化の進んだ国家としての倫理的優越性が支えとなっていた。
選挙の不正疑惑と、批判勢力に対する露骨な弾圧は、この倫理的優位性を損なった。今後は国内の批判勢力を「アメリカ・イスラエルの手先」と貶(おとし)めて弾圧する従来の手法の有効性も減じることになる。
たとえ生活は貧しくとも正しいことを言い、胸を張って誇り高く生きられる、というのがイラン国民の現体制への支持の大きな要素であるならば、その要素が色あせたというのが09年大統領選挙の最も大きな意味だろう。