天安門事件の挫折から生まれた「議論の場」
中国に対しては、国内の世論も人々の思考も、すべて独裁的な当局の意のままになっているという見方が根強いのではないだろうか。だがこれは事実に反する。ここでは、厳しく政治活動や集会が禁止されている北京市内で開かれている、市民の集う政治サロンの存在に注目したい。北京市内に出現した二つの代表的「政治サロン」は、ともに書店によって運営されており、それぞれ対照的な主張を押し出している。「左派」の色が濃い「烏有之郷(ユートピア)」と、「改革派」に属する知識人を多く招請している「三味書屋」である。
私が「烏有之郷」を訪れた時は、哲学の若手研究者が、西洋思想における「自由主義」「個人主義」というのは、実は中国のような途上国に対する植民地主義を含むものであり、中国がそうした概念をそのまま輸入するべきではない、というようなことを言っていた。
一方、改革派的な傾向をもつ「三味書屋」では、漸進的な「民主化」を主張する知識人が講演を行っている。私が訪れた時は、「公民社会に向けて」という題目で、女性作家が「個人の自発的な意思に基づく連帯がより良き社会を作る」と語りかけていた。
どちらの会場も200人程度を収容でき、講演の開催時には老若男女で一杯になる。どちらかと言えば三味書屋の方が、一見してインテリ層だと分かる観衆の姿が目立つ。質疑応答も、難しいものから素朴なものまで、自由闊達な議論が行われている。
信濃毎日新聞(10年4月30日)には、三味書屋店主のインタビュー記事が掲載されている。店主は若き日に文化大革命で弾圧された経験を持ち、書店開店の翌年、1989年6月4日におきた第二次天安門事件(六四事件)の際には学生の支援をしていた。講演活動は、事件に直面した絶望感を踏み台として始め、現在まで継続しているものだという。
社会矛盾をめぐる「改革派」「左派」論争
もともと中国の体制内にも、激烈なイデオロギー的左右対立があり続けてきた。60年代半ばから70年代半ばまで続いた文化大革命の後、主流派となったのは「極左運動」を批判した現実主義者のトウ小平らだった。しかし、左派の影響力は党内に存在し続け、制度変革が議論されるたびに「改革派」に反対してきた。また80年代には、党内ではなく学生・市民の間で、六四事件へ結実する民主化運動のうねりが起きた。しかし六四事件以後は、民主化運動は急速に影響力を消失していく。経済成長が人々に実感されていくにつれ、一般の国民の「政治の季節」は終わり、拝金主義的な雰囲気が広がっていった、としばしば言われている。
しかし「民主化」というパラダイムが丸ごと喪失した訳ではない。体制内においても、根本的な体制変革ではなくとも、漸進的な「民主化」を主張する一群の「改革派」の政治家や知識人たちがいる。そこには、民主化運動の盛んだったころに学生時代を送った世代が含まれている。
他方で、市場化がかなりの程度進行した現在、「左派」の理論活動も活発化している。中国における主要な左右対立である「改革派」と「左派」を分ける現代的な論点は、現状の社会的矛盾の根本的理由を「市場化が行き過ぎた弊害」と見るか、「(社会主義体制下の)既得権の残存と改革の不徹底」と見るかという違いに対応している。2008年の世界同時不況以後の経済政策の変化などを経て、こうした左右対立が再編成された上で存在感を増している感がある。
市民の社会意識を映す議論
こうした左右対立は、一般市民レベルの社会意識ともある程度つながっている。生活は確かに豊かになった。しかし都市と農村の格差や戸籍問題、また都市民の内部でも激烈に拡大する階層格差、さらに大卒者を含めた就職難など、社会的矛盾は山積している。90年代は「白領」(ホワイトカラー)がもてはやされた。白領とは単純な事務職などを意味するのではなく、市場化の波に乗った民間部門の拡大にともない、富裕層の仲間入りをした当時比較的若年の新興サラリーマン層を指す。しかし2008年の世界同時不況以後、政府の内陸部へのインフラ整備投資など、公共投資による景気回復の動きが明確になるにつれ、民間部門の勢いが縮小し、旧国営部門の比重が高まるという「国進民退」現象がしばしば指摘されている。
それにともない若者の志望においても公務員人気が高まっている。理想的な仕事として、「白領」をもじった「紅領」という、社会主義の政府部門を指す「親方日の丸」に語感の似た造語もできた。こうした動きは、市場化や構造改革の負の側面が急速に認識され始めた結果であり、いわば「左派」的思考に対する心情的な支持が、潜在的に広がっていることを示している。
他方で、根強く続く公務員の汚職問題はネット世論の中心的話題であり続けている。こうした事件に人々が寄せる関心の高さは、社会主義体制の悪しき既得権益が残っていることへの反発もあることを示している。
このように、共産党一党体制と言っても、体制の内と外を貫く、異なる世界観があり、内部で熾烈(しれつ)な論争を繰り広げている。そこに大衆が政治的な意見表明をし、議論に参加する回路も、漸進的にではあるが増大していると言えよう。
最も目立つ動きはインターネットであり、ネットに現れる世論を政府も無視できなくなっている。むろん「自由」な発言の場所が確保されることは望ましいに違いない。しかし「大衆の意思表示が政治に影響を与えること」を手放しに肯定することも危険かもしれない。不透明な選考過程で選ばれたエリートと、枠をはめられた大衆運動が結びつくというのは、最も古典的な全体主義の定義でもある。こうした「体制外」の言論の盛り上がりが、「体制内」の政治改革といかに連携しうるのかという過程に注目する必要があるだろう。