貿易額は10年で10倍!
中国のアフリカ大陸へのすさまじい経済進出が、ヨーロッパ、アメリカ、日本などからも注目されている。アフリカの都市や工事現場では中国人も目立ち、居住者はすでに80万人に達するともいわれる。この中国の対アフリカ大躍進は、アフリカ諸国の大統領たちにはまたとない新たなパートナーの登場として歓迎される一方、アフリカ社会にとっては驚きと不安を隠せないものである。数世紀にわたり、アフリカを自分たちの大陸と思ってきた旧宗主国のヨーロッパも、アメリカとともに、嫉妬と懸念でこの進出を注視している。中国とアフリカとの間の航空便も近年増加し、産油国アンゴラとの間にも直行便が就航した。中国とアフリカとの経済関係は1990年代末から著しい拡大を見せている。貿易総額は、2000年の約100億ドルから、10年には1000億ドル前後にも達するとされ、わずか10年で10倍になるという勢いである。アフリカ大陸から中国への投資は少ないと思われるが、中国の対アフリカ直接投資は、中国政府によれば09年末で総額90億ドルとされる。また援助面でも活発化し、2000年以来、すでに4回にわたり閣僚級の中国・アフリカ協力フォーラムが開催され、中国のギフト外交を内外に誇示している。もっとも中国の対アフリカ援助は冷戦下でもサッカー競技場の建設などの見栄えのするハコ物を得意とし、政治的色彩が強く、資源調達という経済動機は薄かった。
これらの大躍進の最大の特徴は、原油などの資源をアフリカから大量に輸入する一方で、アフリカ市場に価格の安い消費財を大量に輸出するという、いわば植民地型貿易構造の現代版であるということだ。この背景には、急成長を実現してきた中国経済にとって、原油など不可欠な原材料を、何としても世界中から確保することが成長持続条件であるという認識が、中国当局に明確にあることだ。最近では食糧確保のためスーダンなどで農地まで借り上げている。と同時に、中国経済の生産力の未曾有の拡大で生まれる大量の製品を売りさばくには、アフリカ市場は無視できない潜在力を持っている。そこには、官民一体の市場開拓戦略がある。
指導者たちは中国の進出を歓迎
資源調達に関しては、原油輸入がアフリカからの輸入総額の半分以上を占め、スーダン、アンゴラ、赤道ギニア、ガボンなどが輸入先である。特にスーダンにとって、原油の半分以上を買ってくれる中国は最大の得意先となっている。資源輸入交渉に当たり、中国政府は大規模なインフラストラクチャーの整備などを援助として確約し、直接投資も主としてこの資源調達を目的とする石油や他の資源開発に向けられてきている。アフリカとの貿易が資源輸入だけであれば、アフリカ地域との貿易収支は中国側の赤字となるが、多くの場合、輸入代金は中国製品の対アフリカ輸出で回収される。かつて対アフリカ輸出品の中心は雑貨であったが、今や電化製品から自動車を経て武器に至るまで、従来、欧米から輸入されていたほとんどすべてのものが、より安い中国製にとって代わられる時代になっている。
かくして、アフリカ諸国の指導者からは中国批判はほとんど聞かれない。その最大の理由は、彼らが、欧米諸国による条件つき援助にうんざりしていたことにある。欧米諸国は、借金繰り延べと引き換えに、アフリカ諸国に対して、いわばはしの上げ下ろしまで注文をつける「構造調整」という名による援助を、20年以上にわたって続けてきた。しかも、その成果たるや、確かに借金はある程度返済できたが、経済は期待を下回り、大量の失業を抱えるというものだ。
もっとも、アフリカ政府が冷戦終結後に、千載一遇の好機とばかりに中国の経済進出を歓迎したのは、内政干渉抜きの寛大な経済援助の持つ魅力によってだけでない。
自らを発展の途上にある国とし、歴史的には非同盟諸国の一員であると国際社会で主張する中国は、同時に国連安全保障理事会の常任理事国でもあり、その他の国際交渉でも大国として発言権を行使できる。たとえば04年、スーダンのダルフールにおける大規模な組織的人権侵害に対して、安保理が制裁措置を含む強硬な決議を採択したが、中国はこの決議に対して棄権するなどスーダン政府に配慮を示し、決議を骨抜きにした。また09年の地球温暖化交渉では、途上国にもCO2の排出削減目標を課すべきとする先進国の提案に対して、アフリカ諸国を代表するエチオピアと共闘し反対した。こうした中で、中国ではなく台湾を承認するアフリカ諸国は、今やブルキナファソ、スワジランド王国など、わずか4カ国を数えるのみになった。
反中国デモも発生
しかし、中国の大陸進出がすべてバラ色の成功を収めているわけではない。ザンビアでは05年から06年にかけて反中国デモが起こり、南アフリカでは、06年に当時のムベキ大統領が中国式ビジネスを批判(現ズマ政権は09年の選挙で中国に有形無形の支持を受け、関係は良好)。さらには、07年にエチオピア東部で、反政府組織オガデン民族解放戦線が中国資本の油田探査基地を襲い、多くのエチオピア人とともに中国人9人が殺害されている。かつて、日本の東南アジアへの経済進出が高揚していた1974年、田中角栄首相のインドネシア訪問時に、日本政府も予期しなかった反日暴動が生じたように、今後、アフリカ社会からの中国の振る舞いへの批判は、十分に予想される。なぜなら、世論と政府の間に自由なメディアや野党といった制度的パイプのない中国と異なり、ほとんどのアフリカ諸国で、国内政治の自由化がまがりなりにも進展し、メディアや政党が公然と政府批判を出来るようになっているからである。中国とアフリカの関係の展望としては、アフリカ諸国の政府が経済関係を欧米従属から中国重視に切り替えたところで、資源対製品という植民地従属構造を変えたことにはならない。国民の富のための経済を優先するためには、ヨーロッパ、アメリカ、日本だけでなくインド、ブラジルなどの新興国も巻き込み、アフリカ人への技術移転などの中長期的開発戦略を立案し、資源ブームを能動的に利用し、これまでのように利用されるだけで終わらせないことが重要であろう。日本の対アフリカ協力について言えば、いたずらに中国脅威論を持ち出すのではなく、現在の中国では出来ない、企業の社会的責任を明確に担いつつアフリカ人の人づくりを地道に手がける経済協力と、武器輸出などせず、住民の福祉向上支援に立った、市民社会重視型の社会開発援助を明確に打ち出すことで、中国にお手本を示すことが出来るであろう。