もはや商売に不可欠な「手電話」
最近、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)を訪問した人から異口同音に聞かれるのは、「携帯電話を使っている人が多いので驚いた」という声だ。北朝鮮で2008年末から携帯電話事業を展開しているエジプトのオラスコム社は、12年2月初め、加入者数が100万人を突破したと発表している。北朝鮮の実際の人口は2000万人程度だと筆者は見ているが、そうすると携帯電話保有率は約5%。3年余りで100万人突破は大変な普及速度だ。
北朝鮮で携帯電話は「手電話」(ソンチョナ)と呼ばれている。国内専用で、国際通話は一切できないが、機能は立派だ。3G(第3世代)通信を採用しており、インターネットへの接続も機能としては可能(実際には完全に遮断されている)。機械はほとんどが中国製で、写真や動画も撮れて録音もできる。メッセンジャー機能も付いていて、携帯電話同士で写真や動画を送受信することもできる。機能的には日本の携帯電話と遜色ない。
筆者は北朝鮮内部情報誌「リムジンガン」を主宰しているが、北朝鮮に住む取材記者たちも、皆この「手電話」を使っている。
「機械は206米ドルのものから、『タッチ』(液晶画面に触れて操作する型)と呼ばれる346米ドルのものまで6つほどの種類がある。北朝鮮の大多数の人には手が出ないほど高価だが、商売をしている人たちが買い求め、特権層以外にも広まった。商売は情報のスピードが勝負だからね。あちこちの商品の相場や需要を調べたり、取引の約束をするのにずいぶん便利になった。『手電話のない時代はどうしていたっけ?』と言う人もいるくらいだ」
平壌に住むク・グァンホ記者はこう言う(価格は11年10月初め時点)。
100万台に達したとはいえ、携帯電話取得にかかる最低費用は、申請料や通話料の前払い分を含めるとおよそ280米ドル。これは、4人家族がなんとか飢えずに半年暮らしていける金額に相当する。当然、携帯電話を持てるのは北朝鮮の中でも余裕のある人々に限られる。
気になるのは通話の自由度だ。
「盗聴? 当然されていると考えないといけないだろう。北朝鮮では常識です」
北朝鮮北部の平安北道に住むキム・ドンチョル記者はこう言う。
北朝鮮では携帯電話の使用は「一人一台、本人名義」が原則となっているが、現実には金さえ払えば名義を借りて複数台持つことが可能だ。
「携帯電話を持つなんて夢にも考えられない金のない人たちに、コメや金を少しあげればいくらでも名義を貸してくれる」
と北部の両江道に住む取材協力者のチェ・ギョンオク氏は言う。仲介業者が20米ドル程度の手数料で人を探し出して登録手続きまで代行してくれる。要するに、日本でいう他人名義の「飛ばし」携帯電話が横行しているわけだ。
MP3でK-POPを楽しむ若者たち
パソコンも合法的に個人が購入することができる。10年ほど前から中国製の中古パソコンが都市部の余裕のある家庭に普及し始めた。子供がいる家庭では教育用に、大人は主にCDやDVDを見るために購入するケースが多い。OSはウィンドウズで、少し古いが機能は日本で使われているものと同じだ。パソコンは購入すると必ず登録しなければならない。その際にCDドライブが取り外され、プリンタードライバーやインターネット接続ソフトは削除される。北朝鮮では04年ごろから韓国ドラマの海賊版ビデオCDが中国から大量に入り込んで地下で大流行したが(もちろん違法)、これらの複写と視聴を防ぐことが目的だ。
コンピューターは、登録すると毎月数度の「検閲」を受けなければならない。これがうっとうしいため、デスクトップ型を避け、多くの場合、中古のノートブックを闇で購入する。チェ・ギョンオク氏は
「場所を取らず隠しやすいし、いつ停電になるか分からない朝鮮では、バッテリーが内蔵されているノートが重宝される」
と語る。
携帯電話とパソコンの他に音楽を再生するMP3プレーヤーや動画を再生するMP4プレーヤーが若者を中心に大変な人気を集めている。チェ・ギョンオク氏はこう説明する。
「語学の勉強に使う学生もいるけれど、ほとんどは、こっそり韓国の歌やドラマを楽しむのが目的。取り締まりも厳しくなって、当局に申告(密告)されると家宅捜索を受けることもある。高いけれど、都市の中心部では若者の7割くらいが持っているのではないか」。
若者が夢中になっている韓国の歌やドラマは、中国からUSBやCDで密輸されてくるが、それをパソコンを使ってコピーするわけだ。MP3で韓国のK-POPを聴いている都市部のティーンもきっと大勢いるに違いない。
野に放たれた100万台のカメラ
パーソナルな移動通信の所持を北朝鮮当局が許すというのは、筆者には驚きであった。徹底して個人の表現、通信手段を奪ってきた北朝鮮の政権といえども、100万台の通話をすべて盗聴管理するのは不可能だろうし、ましてや撮影可能な機械の普及は、100万台のカメラを野に放つことを意味するからだ。今後、携帯電話のカメラで撮影した写真や動画が国外に持ち出されるようになるだろうと筆者は予測している。加えて、先に述べたように、「飛ばし携帯」の横行は、誰が話しているのか特定を困難にしている。当局が管理しきれないデジタル機器がどんどん増えているのが現状だ。
もちろん、北朝鮮の政権もこの「デジタルの脅威」に手をこまねいているわけではない。携帯電話使用者に対しては、街頭で抜き打ち検査を頻繁に行っているし、違法なDVDなどの視聴や複製、配布に対しては専門摘発組織を作って取り締まりを強化、違反者を刑務所送りにするなど厳罰を科している。
すぐ近い将来に、デジタルの力が、チュニジア、エジプト、リビアなどの政変劇のように、体制を揺り動かすとは考えにくい。だが、大きな流れとして見ると、新しいデジタル・IT技術が、これまでありえなかった通信手段とメディアを、民衆の手にもたらしつつあるのは確かだ。北朝鮮でも、社会変革を求める人たちの武器としてデジタル技術が使われる日が来るに違いない。
リムジンガン
「北朝鮮内部からの通信 リムジンガン(臨津江)」
北朝鮮の実情を、そこに暮らす人々自身が取材した記事を掲載する雑誌。アジアプレスの石丸次郎などが、中朝国境で出会った北朝鮮在住者らとともに、2008年4月に創刊。北朝鮮の記者は労働者、主婦、大学教員や貿易会社の社員などで、取材した映像や写真・音声・原稿は協力者によって国外に持ち出される。ウェブ配信版もある(http://asiapress.org/rimjingang/)。