ペニャニエト新政権は、激化する麻薬戦争を終わらせることができるのか。子どもにも広がる暴力の連鎖を断ち切るため、被害者家族や学生たちも立ち上がったメキシコ社会の今に迫る。
「正義」が裏切られる麻薬戦争
メキシコは北部を中心に、「内戦」状態にある。カルデロン前政権が2006年12月から軍や連邦警察を投入し、麻薬密売組織撲滅の戦いを始めたためだ。この6年間に国内で9万を超える人が殺害され、内7万人前後は麻薬戦争絡みだと言われるが、殺人犯は12年6月時点で679人しか裁かれておらず、行方不明者も2万人以上いると言う。
「私の息子は連邦警察官として、麻薬戦争の激しい地域への赴任命令を受けました。ところが任地へ赴く途中、同僚6人と共に行方不明になりました」
首都メキシコ市に住むアラセリ・ロドリゲスさんは3年前の悲劇を、冷静に語る。彼女の息子(当時23歳)は、正義感溢れる新米警官だった。連絡が途絶えてすぐ、家族は連邦警察に捜索を依頼したが、警察は1週間も事態を放置した。その間に同僚を含む警官7人は麻薬密売組織に惨殺された。
「別件で逮捕された犯人の一人が、状況を話してくれました。なぜそんなことをしたのかと尋ねると、命令だった、と言います。いくら報酬を得たかときくと、3000ペソ(約2万円)だと。あなたはたったそれだけのお金のために罪なき人の命を奪うのですか?と問いかけると、彼は涙を流しながら許しを請いました」
3000ペソは、貧困層の月収以上だ。組織の脅しがあれば、その金額で殺人を引き受ける者はいる。そんな状況下、連邦警察の捜索が遅れたことに、アラセリさんは不穏なものを感じている。
「組織VS組織」あるいは「組織VS軍・警察」という構図で進行している麻薬戦争。だが現実には、軍・警察内部にも組織と結びついている者がいる。
「州政府や裁判所も、マフィアと手を組んでいます」
メキシコ州の公立高校校長だった兄を07年に殺されたラウラ・ナバさんは、そう訴える。彼女の兄は、自らが校長を務める学校周辺での組織の動きを、州政府と警察、裁判所に文書で訴えた。その直後から匿名の電話や手紙による脅迫が始まり、約半年後に殺害された。事件当時、同州の知事をしていたのは、12年12月、12年ぶりに政権を奪還した制度的革命党(PRI)のエンリケ・ペニャニエト新大統領だ。
アラセリさんとラウラさんは現在、「正義と尊厳ある平和のための運動(MPJD)」で活動している。MPJDは、麻薬戦争に息子を殺された詩人のハビエル・シシリアの呼びかけで、11年3月に発足した団体だ。メキシコ市に事務所を置き、麻薬戦争の被害者家族800余りが参加する。これまで全国18州にある姉妹団体と協力して、平和な社会の実現を訴える全国キャラバンを展開してきた。シシリアは言う。「憲法は、すべての人の生命の安全と自由、正義と平和の保障をうたっている。今こそ、それを実現すべき時だ」
MPJDは11年、カルデロン前大統領と対談。被害者に対する正義を実現するための法整備などを具体的に提案した。が、まだ何も実現されていない。
子どもたちに「非暴力」を!
麻薬戦争に伴う暴力の拡大は、メキシコの未来をも脅かしている。
現地人権団体の調査では、少なくとも3万人の未成年者が組織で売人や殺し屋などをしている。大半は誘拐され、脅迫されて働かされているという。未成年者は、逮捕されても少年法に守られ早く釈放されて、組織へのダメージが少ないため、重宝がられるのだ。
以前、組織メンバーのための運転手をしていた17歳の少年は、こう証言する。「組織にはボクと同世代の少年がいて、もう何人も殺したって言ってた」
子どもや若者がこれ以上暴力の嵐に巻き込まれないよう、麻薬戦争の激しい地域を中心に、非暴力による問題解決を学ぶワークショップの実施や青少年コミュニティーセンターの運営をする人もいる。
NGO「カウセ・シウダダーノ」代表のカルロス・クルスさんは、13年前まで若者ギャング団のリーダーだった。ギャング同士の抗争で相棒を殺され、初めて「暴力は何も解決しないし、誰も幸せにしない」と気づき、非暴力の精神を普及する活動を始めた。
彼の団体は今、教育省の助成を受けて、各地の中学校に非暴力を学ぶワークショップを広めている。メキシコでは、幼い頃から男性は力を誇示し、女性は服従することを学ぶ傾向が強いために、安易に暴力を振るう、あるいは容認する人間が生まれると考えるからだ。
チーム対抗で答えを探す人権ゲームなどを通して、子どもたちに差別や暴力について考えてもらい、力を行使するのではなく、互いを尊重し協力して物事を解決する意識を育んでいる。
ワークショップに参加した中学生たちは言う。
「前はケンカになるとすぐに殴り合いになっていたけど、今はまず話し合うようになった」
この活動に、親や教師も期待している。
公正な民主主義を求めて
学生たちも動き始めた。
大学生らは首都を中心に、12年の大統領選中からソーシャルネットワークを駆使した新たな学生運動を形成。ペニャニエト新大統領がメキシコ州知事時代、市民運動を武力弾圧した事実を糾弾した。また、有権者の買収などの不正行為によって当選したとして、その正統性を認めず、公正な選挙・司法制度の構築を含む民主主義社会の実現を、MPJDなどと連帯して求めている。
彼らは、警察強化を宣言する新政権への不安を口にする。
「今よりも暴力が拡大すると思う。それは政府の治安問題顧問が、元コロンビア国家警察署長のオスカル・ナランホだということからも、明らかです」
ナランホは、コロンビアの麻薬カルテル撲滅に貢献した人物で、ターゲットと敵対するカルテルと密約を交わし、暗殺や汚職にかかわったとも言われる。
国連でも活躍する治安問題の専門家、エドガルド・ブスカグリア博士は、暴力の収束には武力ではなく、体制の民主化が不可欠だと指摘する。
「メキシコは、権威主義的な制度と民主的な制度が混在する、無秩序な状態にある。だからあちらこちらで汚職が起き、暴力がはびこり、犯罪組織も無益な抗争を繰り返す。暴力を収拾するには、全政党・政治組織が合意する形で、政治や司法の制度改革に取り組まねばならないのです」
市民はその実現のために、様々な運動を結集し、新政権に対して組織的な圧力をかけることが期待されている。