欧米の報道とは異なるデモの実態
2013年、イスラム化政策を進めるエルドアン政権に対して、イスタンブールを中心にトルコの大都市で反政府運動が広がった。当初は、イスタンブール市の新市街地中心にあるゲジ公園の再開発に伴って、木を切らないでほしいという市民や環境保護活動家の運動だった。ところが、最初は単なる座り込みであったものを警官隊がかなり暴力的な方法で鎮圧したために、市民はこの圧倒的な力の差に対して、怒りを爆発させた。そこで、ゲジ公園横のタクシム広場に集まってきた群衆の主張は、現政権に対する批判へと変わっていった。欧米の一部報道では、こうして広がった反政府運動に対して、アメリカのオキュパイ・ウォールストリートや中東の民主化運動「アラブの春」となぞらえる見方もあったが、実際の現場は、それらとはまったく違う。格差の中で取り残されて闘っている人は見当たらず、貧困の中でどうすればいいんだという、地に足の着いた叫びは全く聞こえてこなかった。
タクシム広場に集まったのは、そうした貧困層や多数派のムスリムではなく、トルコの世俗主義派である。すなわち、イスラム化に反対する世俗主義的な左翼のエリートや、エルドアン政権が進めているクルドとの和解に反対する極右のトルコ民族主義者、さらには、和解に反対するクルドの分離主義ゲリラたちである。
このように、タクシム広場に集まった人々の主張はバラバラで、とにかくエルドアン首相が気に入らないとして、反政府運動を引き起こした。もともと体制側であった世俗主義者らが引き起こしたこの騒乱は、建国90年を迎えたトルコ国家と民衆との間の矛盾を浮き彫りにした。
世俗国家トルコの9割はムスリム
トルコは人口の9割がスンニ派のムスリムである。しかし1923年に今のトルコ共和国ができてから、国家としては、少しずつイスラムを排して世俗化していった。そして、37年には、憲法第2条で世俗国家であると規定された。この条項はとても厳しいもので、続く第4条では、改正及び改正の発議も禁じられている。ところが、イスラムという宗教は、心の内面の信仰だけでは成り立たず、イスラム法(シャリーア)という外形的な法の体系を伴っている。欧米のキリスト教は、イスラムにくらべると、精緻な法としての体系がないため、政治と信仰を分ける(政教分離)ということを比較的受け入れやすかった。
しかし、法の体系を持っているイスラムの社会では、「これをしなさい」ということから「これは絶対にするな」ということまで、5段階で行動の規範がしめされており、信徒はイスラム法に従うべきだと考えている。
世俗国家としてのトルコはそうしたイスラムの考えを軍と世俗主義政党によって徹底的に潰してきた。これまで1960年、71年、80年の3回にわたってイスラム主義の政治勢力が台頭しようとしたが、その都度、軍がクーデターによって政治に介入し、これを抑え込んだ。さらに97年には、軍が当時の連立与党であったイスラム政党の福祉党を密室のクーデターで潰している。イスラム主義者であるエルドアン現首相もかつてイスタンブール市長だった時代に、イスラムを賛美する詩の一部を引用したことで、4カ月も刑務所に収監された経験を持つ。
しかし、2002年にイスラム政党である公正発展党のエルドアン政権が成立すると、政権は軍によるクーデター未遂計画を暴くことによって、前参謀総長をはじめ軍の幹部を軒並み訴追し、軍の政治力を巧みにそぎ落としてきた。今回のデモにおいても世俗派は、軍の介入を期待したが、もはや軍にクーデターを起こす力はなかった。
民衆の支持を得たイスラム政党
もともと体制側だった世俗派は、拡大する格差問題や、スカーフをしている女性ムスリムへの差別などで、次第に民衆の反発を受け、1990年代ころから有権者の支持を失っていった。90年代に格差が拡大したトルコでは、地方農村から都市に流入する人口が増え、都市人口の半分以上が不法占拠住民となった。この変化に対して、軍の力をバックに都市部のエリートたちによって支えられてきた世俗主義政党は、貧困層の生活を改善する政策をまったくとってこなかった。
一方、90年代にイスタンブール市長だったエルドアンは、この不法占拠住民が住んでいるバラックを取り壊し、そこに近代的なマンションを建て、破格の安値で彼らを転居させる政策をとった。多くの貧困層は、今のエルドアン首相のおかげで、今まで夢でしかなかった近代的で清潔な生活を手にすることができたと信じている。
また、イスラムの教えでは、商売で金儲けをするのは一切構わないが、儲けの一部は喜捨として差し出すように定められている。この10年で急速に成長し、旧来の大財閥に代わってトルコ経済を牽引している「アナトリアのトラ」と呼ばれる新興実業家層は、敬虔なムスリムで、自分たちの儲けの一部を喜捨として差し出している。それが、エルドアン政権の貧困対策のお金としてもまわっている。
世俗主義のエリート層は、イスラムに従うのは無知であり、自分たちの方が欧米的で進んでいると主張する。しかし庶民は、欧米的な世俗主義よりも、イスラムの教えにしたがって、公正な社会にしてくれた方がいいと考えている。その結果、2002年以来3回の総選挙では、イスラム政党の公正発展党が選ばれてきた。
強権化するエルドアン政権と野党の不在
ところで、3期目の長期政権となったエルドアン首相は、自分に対して批判的な意見を言うメディアグループをつぶそうとするなど、強権的な性格を持ち始めた。こうしたエルドアン首相の強権化に対しては、保守的なムスリムも怒りを向けている。彼らは左翼の世俗主義者、すなわち無神論者がやっているデモにはいかないが、エルドアン首相を強く支持しているとは言えない。エルドアン首相がこのまま強権化を進め、イスラム主義を人に強要するようになると、たとえ同じムスリムでもついていかないだろう。そもそも、イスラムの聖典であるコーランには、人にイスラムを強制してはいけないと、たびたび書かれている。エルドアン首相が、自らの支持基盤でもある保守的なムスリムの意見に耳を傾けなければ、10年続いている長期政権もいずれ不安定化するだろう。
とはいえ、エリート層や軍、大財閥などかつて体制側だった世俗主義勢力から国民の心はとっくに離れており、公正発展党に代わってトルコをけん引できる野党は、現状では存在しない。
欧米諸国は、テロとの戦いを経て反イスラム感情があるため、イスラム主義政権に対して批判的である。ところが、市場主義経済の中で拡大する格差を是正しようとしているのは、デモに参加している親欧米的な世俗派ではなく、イスラム主義政権の方だということを忘れてはいけない。ムスリムを危険だと決めつけるのではなく、彼らがどういう人間なのかをもっと冷静にみていかなければ、トルコのみならず、きわめて不安定な周辺中東諸国についての判断を誤ることになる。