伊勢崎 PKF司令部の立場で考えると、自衛隊は、基本的に、軍事組織として使えません。なぜなら、自衛隊は、他国の軍隊のように現地の人々に対して「犯罪を犯しても軍法で裁きますから大丈夫」という言い訳ができないからです。
PKO、特にPKFの戦略にとって、現地社会の「人心掌握」が全てです。民間人を傷つける事故が起きた時の対処が一番の肝なのです。国連地位協定で現地社会の裁判権から訴追免除されている以上、「軍法」という言い訳ができないと、即、現地社会を敵に回します。当たり前です。沖縄で起こった事件で、等身大で考えてください。加えて、かの地の現地社会は、日本社会ほど“親”駐留軍ではないのです。PKFの戦略上の「敵」は、非国家主体、高度に武装した広域暴力団みたいなものですから、住民がそっちに寝返れば、戦略が崩壊します。
しかし、自衛隊員が民間人を傷つけ、その対処で現地社会とこじれ、それが国際人道法違反として外交問題となったら、どうするか。日本には、国際人道法違反という「軍事的過失」を裁く軍法も軍事法廷も、日本人の海外での「過失」を裁く域外特別法もないのです。刑法の国外犯として扱うだけ。でも、「戦場」にまで足を運び証拠集めをする立件能力もありません。今回の安保関連法でも、特別公務員として7年以下の懲役の罰則規定だけです。
こんなんでは現地社会への言い訳にも何にもならないので、PKF司令部の戦術計画上、自衛隊に、戦闘つまり交戦が想定される任務を与えられることは、まず、考えられません。自衛隊の方も、寡黙ですが、そんなことはちゃんと分かっていますから、自ら進んで「やらせて下さい」と言うわけはありません。だから、あまり心配しないでください。
ただし、怖いのは事故。問題は、突発的な事故がおきる時です。事故は、道路工事をやっていても起こります。日本政府は、自衛隊が活動している首都ジュバの治安は安定していると言っています。自衛隊が道路工事をやっている場所も、ジュバ市内で最も安全なところを選んでいるはずです。しかし、PKOが活動しているような不安定な国では、いきなり状況がガラッと変わり、首都でさえ1日か2日で陥落する場合があるわけです。僕が勤務したようなPKOの現場は、歴史的に、そういうことを経験してきました。その時にどうするのかというのが問題です。
自衛隊が「殺人罪」に問われる!?
布施 私が入手した自衛隊の内部文書には、2013年末にジュバで内戦が勃発した直後、PKO司令部から自衛隊に宿営地地区の共同防衛のミッションが与えられたが、日本の国内法上できないという理由で断ったことが記録されていました。しかし、安保関連法でPKOの任務に「宿営地の共同防衛」が追加されましたので、次にまた同じ状況になったら引き受ける可能性が高いのではないでしょうか。伊勢崎 現在の部隊編成では、難しいと思います。派遣されている自衛隊員は施設科が中心で、数十人規模の警備小隊では、自分のところの宿営地を防衛するだけで精いっぱいでしょう。宿営地を出て他国軍と一緒に警備する余力はありません。
歩兵部隊として、戦闘要員をもっと増強するのであれば話は別ですが、今の日本政府にそこまでやる政治的なガッツはないと思います。できるわけがないです。だって、それをやったら、「交戦」を前提にしなきゃいけないんだから。交戦を認める憲法に変わらないと無理だと思います。
ただ、今回の安保関連法では、「紛争当事者」になる自衛隊の法的地位を全く議論しないまま、政治的には「もっとやれ」と言っているわけです。派遣された個々の隊員たちにはプレッシャーがあると思う。何か「もっと撃たなきゃいけないのかな」、みたいな。通常で考えうる業務分担ではあまり心配しなくていいと思いますが、偶発的な事故が起こった時に、これがどう出るか。
これまでのPKOでも不測事態はありましたが、隊員は非常に理性的に対応してきました。でも、政治が「もっとやれ」と言っている中で、今までの自制心がそのままでいられるのか。もし自分が撃たなかったことで誰かが犠牲になってしまったら、撃てたのに撃てなかった「情けない自衛隊」とメディアにたたかれるかもしれない。想像の世界ですけれども、いろんなことが頭をよぎるはずです。
もし撃って民間人を殺してしまった場合、軍法のない自衛隊では一般の刑法が適用されます。国外犯規定のある「殺人罪」に問われる可能性があります。国家の命令で任務に当たったのに、単なる個人が起こした殺人事件として裁かれるのです。
今の日本政府は、隊員が軍事的過失を犯した時の国家としての落とし前のつけ方も法的に整備しないまま、「もっと撃っていいよ」と言っているだけです。撃っても、国家が主語の「武力行使ではなく、自衛隊員が主語の『武器の使用』だ」と、日本でしか通用しない言い回しで憲法とのつじつまを合わせようとしています。これは、「紛争当事者」の「交戦」として国際人道法に縛られない軍事力を行使するということにも翻訳されるので、世界に冠たる法治国家の所作ではありません。
駆け付け警護は警察の機動隊で
布施 交戦主体になれず、軍法も軍法会議もない状態で自衛隊をPKOに参加させるのは無責任だということですが、伊勢崎さんは、この問題を今後どのように解決していったらいいとお考えですか。憲法を改正して法整備をすべきという考えなのか、逆にPKOへの自衛隊派遣をやめるべきという考えなのか、どちらでしょうか。伊勢崎 まずは、国会で、これまで自衛隊をPKOに出すために作られてきた法整備の前提を根本的に見直すべきです。前提とは、9条との整合性を避けるために、戦場において自衛隊のためだけにつくられた全く弾が飛んでこない仮想空間のことです。「後方支援」とか「非戦闘地域」。そして、武力の行使と一体化しないという、いわゆる「一体化論」です。こんなもの、現場には存在しません。
今の憲法では、“出せない”ということをはっきりさせるべきです。南スーダンからも、直ちに撤退すべきです。南スーダンへの派遣を決めたのは民主党政権だったので難しいのかもしれませんが、野党には安保関連法の廃止だけでなく、このことも提起してほしいと思います。安保関連法で任務が拡大されること以前に、法的に致命的な不備があるまま自衛隊を出していること自体が問題なのです。
このまま活動を続ければ、必ずいつか事故が起こります。そこでもし自衛官が殉職してしまったら、政府は、住民保護など崇高な目的のために犠牲になったとその死を政治利用するでしょう。そして、現場から「引き金を引くのを躊躇(ちゅうちょ)した」という証言をとってきて、「憲法9条があったから亡くなったのだ」と言うかもしれません。そうなったら、いっきに世論が改憲に流れる危険性があります。私は、事故で憲法を変えられたくありません。そのためにも、「紛争当事者」として「交戦」できない自衛隊はPKOには出せないということを、早く明確化する必要があります。
その上で、僕はPKOに関しては、今後も武装した自衛隊を出す必要はないと思っています。そもそも、PKOの軍事部門(PKF)に部隊を出すことにこだわっている先進国は日本と韓国ぐらいです。アメリカをはじめ他の先進国は、司令部に幕僚は出しても部隊は出しません。部隊を多く出しているのは、伝統的に余っている部隊を国連に貸し出して外貨稼ぎをしたい発展途上国と、その国の内戦が自国にも降りかかるという集団的自衛権的な動機で派遣する周辺国です。国連もこれを前提にPKOミッションの設計をするので、先進国が部隊を出す慣習的なニーズは存在しません。
もちろん、PKOは国連がやる集団安全保障としての措置ですから、参加は加盟国としての義務です。ほっとくわけにはいきません。でも最初に言ったように、PKFはPKOの一つのコンポーネントに過ぎません。PKFに出さなくてもPKOに貢献する方法はいくらでもあります。
たとえば、そんなに駆けつけ警護をやりたいのであれば、文民警察部門に警察の機動隊や対テロ専門部隊を送ればいいのです。PKFは国際人道法に根拠に行動しますが、文民警察はその現地国の国内法を根拠にします。国連要員の保護協定というものがあり、ほとんどのそういう現地国はそれを批准していますので、PKO要員に対するハラスメントは国内法で犯罪なのです。
国際人道法
戦時において戦争の方法や手段を制限し、文民や負傷した戦闘員などの人道的保護を確保するための条約と慣習法の総称。赤十字国際委員会の呼びかけで成立した1949年のジュネーブ諸条約と1977年の二つの追加議定書、2005年の第3追加議定書などからなる。
PKO派遣5原則
日本の自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に参加するとき、満たさなければいけない条件。(1)紛争当事者間で停戦合意が存在すること、(2)受け入れ国や紛争当事者による受け入れ同意が存在すること、(3)特定の紛争当事者に偏らず、中立的立場を厳守すること、(4)これらの要件が満たされなくなった場合、撤収できること、(5)武器の使用は要員などの防護のための必要最小限に限ること、の5つの原則。1992年に成立した「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(国際平和協力法)に定められている。