BREXITはEU統合の限界を示しているのか? 火種はイギリスだけにとどまらない。2015年から急速に悪化したシリア難民の大量流入問題は、根本的な解決ができないまま。東欧各国は国境の封鎖に乗り出すなど、EUが掲げる「人の移動の自由」を制限し始めている。この「難民問題」の鍵を握るトルコは、長年EUへの加盟交渉を続けてきた国でもあるのだが……? EU統合と、難民問題を分析する。
他国への飛び火を懸念
EUが最も強く懸念しているのは、他の加盟国でもイギリス同様に離脱に関する国民投票が行われることだ。フランスの右派ポピュリスト政党「フロン・ナショナール(FN 国民戦線)」は、15年12月に行われた地方議会選挙の第1回投票では27.73%という高い得票率を記録し、オランド大統領の率いる社会党や保守勢力に水を開けた(FNは、第2回投票では、社会党と保守勢力が共闘したため、敗退した)。FNのマリーヌ・ルペン党首は、フランスもイギリスと同じようにEU離脱に関する国民投票を行うことを求めている。またオランダの極右政党・自由党のゲルト・ウイルダース党首も、EU離脱について国民の意見を問うべきだとしている。BREXITには耐えられるが……?
EUの前身である欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の創設は1952年。創設国はドイツ、フランス、ベルギー、イタリア、オランダ、ルクセンブルク。これらの6カ国は57年にローマ条約に調印し、58年に欧州経済共同体(EEC)を発足させた。これに対しイギリスがEUの前身である欧州共同体(EC。67年設立)に加盟したのは73年と遅い。EEC創設の父の1人であるドイツのコンラート・アデナウアー首相は、イギリスをEEC創設当初から加えることを望んだが、イギリスは頑として加盟を拒否した。46年にイギリスのウインストン・チャーチル前首相(当時)はスイスで行った有名な演説の中で、「欧州大陸の国々は『欧州合衆国』を作って、第二次世界大戦のような惨劇が二度と起こらないように努力するべきだ」と訴えた。だがチャーチルは、その共同体にイギリスが加わるべきだとは主張しなかった。彼はむしろ、イギリスが欧州大陸から距離を置くべきだと考えていた。イギリスは、ユーロ圏への参加も拒否してきたし、これまでもEU内の「外様大名」ともいうべき特別な立場を維持してきた。その意味で、今回のEU離脱決定は、イギリス人が70年前にチャーチルが提唱した「イギリスの孤立主義」の精神に立ち戻ったものと言えるかもしれない。
このため欧州では、「EUはイギリスの離脱によってダメージを受けるが、持ちこたえる」という意見が強い。しかしフランスは別だ。EU創設国の一つであり、ドイツとともにEU統合の機関車役を果たしてきたフランスが国民投票を行い、有権者の過半数が離脱を望んだ場合、EUが空中分解する危険がある。
フランスでも、パリ以外の地方都市を中心として、グローバル化に対する国民の反感は強い。その理由は経済格差の拡大や、南フランスなどを中心とした治安の悪化である。国民の不満は、フランスでもEUに対して向けられている。2005年にフランス政府は、EU憲法に関する条約を受け入れるかどうかについて国民投票を実施したが、投票した有権者の過半数が条約を拒否し、政府は一敗地にまみれた。つまり、フランスで「FREXIT」、すなわちEU離脱についての国民投票が実施された場合、イギリスと同じ結果が生まれる可能性があるのだ。
このためEUは、イギリスとの交渉には厳しい態度で臨むだろう。EUは、「離脱する国にとっての経済的状況は、加盟国に比べて厳しくなる」ということを欧州全体に示さなくてはならないからだ。EUがイギリスに対して妥協した場合、他の国が「離脱しても、大して不利益は受けない」と楽観的な印象を持ち、イギリスの取った道を模倣する危険がある。
欧州統合をスローダウン?
これまで欧州委員会の幹部や欧州議会の議長は、EUで大きな問題が起きるたびに「問題を解決するには、統合を最も深めさえすれば良い」と経文のように繰り返してきた。ただし、BREXIT以降は情勢が大きく変わった。メルケル首相を初め、多くの加盟国首脳は「加盟国の多くの市民は、これ以上欧州統合を深めることに疑問を抱いている。したがって、当面は統合のスピードを緩めるべきだ。今後は市民に対して、EUに加盟することがどのような利益をもたらしているかを強く訴えていかなくてはならない」という態度を打ち出している。欧州統合は第一次・第二次世界大戦の経験を繰り返すまいとする、政治家、財界、学識経験者、言論人らエリートの、ナショナリズムを克服するための試みだった。加盟国は、ナショナリズム克服のために、あえて国家の権限の一部をEUという国際機関に譲渡した。
欧州のエリートたちの間にはドイツ人、フランス人でありながら「欧州人」であるというメンタリティーが存在する。しかし市民の間には「欧州人」というメンタリティーが育っていない。むしろ市民の間では国ごとの特性を重視し、「EUは個々の国の政治や経済に介入しすぎる」という不満が強まっている。現在の反EU政党への支持の高まりは、エリート側の目論見が失敗に終わったことを示唆している。
これまで欧州統合とEU拡大の支持者だったフランスのユベール・ヴェドリーヌ元外務大臣も「このままではEUと市民の意識の乖離が悪化するばかりで、ポピュリスト政党への支持率が高まる。このためかつて欧州統合を強力に推進した政治家たちも、いったん欧州統合を凍結させるべきだ。欧州統合をこれ以上深化させず、EUに預けられた権能の一部を、加盟国に返すことも考慮するべきかもしれない」と語っている。
EUがさらなる地位の低下や崩壊の危険を避けるためには、EUの根本的な改革によって市民の信頼を回復することが不可欠だ。
トルコ加盟問題の行方
EUは新たな加盟国の受け入れにも慎重になるだろう。その焦点は、トルコとの関係だ。EUは、難民危機の解決についてトルコに大きく依存している。EUとトルコは、16年3月に、シリアなどからの難民の取り扱いについて、合意。この合意によると、トルコ政府は、同国を通ってEU圏内に不法に入国した難民を全員送還させて、引き取る。トルコには、すでにシリア難民が約300万人滞在している。EUは、トルコがEUから引き取った不法難民と同数のシリア難民を、受け入れて、加盟国間で配分する。ただしトルコ側は、EUに対してトルコのEU加盟交渉を加速することを要求している。さらに、トルコ国民のEU域内へのビザなし渡航を許可することや、トルコへの難民対策費用30億ユーロ(3450億円、1ユーロ=115円換算)を60億ユーロ(6900億円)に倍増させることを求めている。
クーデター未遂事件の余波
だがEUとトルコの関係は、16年の夏以来急速に悪化している。そのきっかけとなったのは、16年7月15日から16日にかけてトルコで発生したクーデター未遂事件である。この事件では、イスタンブールやアンカラなどで軍の一部が、エルドアン政権の転覆をめざして蜂起。各地で起きた戦闘のために、市民を含む約290人が死亡した。からくもクーデターを鎮圧したエルドアン大統領は「アメリカに亡命中の宗教指導者フェトフッラー・ギュレンが、政権転覆を図った」として、ギュレンのイスラム運動に加わっていると見なした軍人や公務員の大量逮捕に乗り出した。彼はアメリカ政府に対しギュレンのトルコへの送還を要求している。
エルドアンが7月20日に3カ月間の非常事態宣言を発布して以来、同国では弾圧と粛清の嵐が吹き荒れている。
トルコ政府はこれまでに約8300人の軍人、約2100人の裁判官・検察官、約1500人の警察官、約600人の民間人を逮捕・拘束している。