日本製鉄は製鉄所で 2 年間訓練を受ければ技術を習得でき、訓練終了後には朝鮮半島の製鉄所で技術者として就職できるという募集広告を出したりして、労働者を集めました。原告らはそれに応じるなどしたのですが、実際には技術を学ぶという労働現場ではありませんでした。彼らはそもそも当時まだ10代そこそこの若者だったのですが、強いられた労働は炉に石炭を入れて砕いて混ぜたり、大きな鉄パイプの中に入って高温の石炭の燃え滓をとり除くなどの危険な重労働でした。十分な食事もなく、賃金も強制貯金をさせられたり、外出を制限され、体罰を受けたりしました。
この裁判では、原告らが求めているのは『未払い賃金の請求』ではなく、こういう『(違法・不法な)強制動員被害に関する慰謝料』です」(殷勇基氏)
Q. 原告の人たちは過酷な労働を“強制”されたのか?
「『強制』について議論が混乱していますから、まず強制労働の『強制』について二つを区別するのが分かりやすいと思います。一つは国から勤務先や配置場所を決められ、拒否したら刑罰(懲役1年以下など)に処せられてしまう、という意味の強制です。『法的な強制』といえます。もう一つは、だまされたり、脅されたり、暴行を受けたり、拉致されたり、というかたちで、本人の意思に反して労働現場に連れてこられて、労働現場でも本人の意思に反して労働を強制された、という意味の強制です。『物理的な強制』、といえます。
当時の朝鮮半島で、法的な強制という意味での強制労働が始まったのは1944年です。朝鮮人の強制動員は『募集』(39年~)⇒『官斡旋(あっせん)(42年~)』⇒『徴用』(44年~)という3段階がありました。法的な強制は『徴用』だけでした。ただ、物理的な強制は3つの段階を通じてずっとあり、暴力的と言えるものも多くありました。
物理的な強制については日本に加担した朝鮮人もいました。そこで、『業者が勝手にやったこと』『朝鮮人自身の問題』と言う人もいますが、彼らを『手段』として使って人を集めたのは日本企業であり、それを国策として実行したのは日本政府でした」(殷勇基氏)
Q. 強制労働が始まる1944年以前は「徴用工」ではないのでは?
「安倍晋三首相は2018年11月1日の衆議院予算委員会で、『政府としては、徴用工という表現ではなくて、旧朝鮮半島出身労働者の問題というふうに申し上げているわけでございますが、これは、当時の国家総動員法下の国民徴用令においては募集と官あっせんと徴用がございましたが、実際、今般の裁判の原告四名はいずれも募集に応じたものであることから、朝鮮半島の出身労働者問題、こう言わせていただいているところでございます』と述べました。安倍首相は1944年以降の『徴用』による徴用工以外は募集工だから、強制はなかった、と言いたいのではないかと思います。
しかし、上記で説明したとおり、『強制』には二つの意味がありました。法的な強制は『徴用』だけですが、物理的な強制は『募集』『官斡旋』『徴用』のすべてにおいてずっとあったわけでした。ここでは、物理的な強制の有無こそが問題なのに、安倍首相の発言は、法律的な強制の有無のほうに話をすり替えているものです。なお、さらにいうと、今回の原告たちについては、当初は『募集』か『官斡旋』のかたちで働かされていたとしても途中で身分は『徴用』に切り替わっていたものと思われます。1943年に施行された日本の軍需会社法・軍需会社徴用規則という法令に、彼らのような『募集』『官斡旋』できた人たちをも国家総動員法の『徴用』とみなす、という規定があり、日本製鉄にはこの規定が適用されたからです。安倍首相の発言はこの点でも不正確です。
『募集』に応じた人の多くも純粋に応募してきたのかというと、やはり甘言や嘘によって集められ、暴力などによって労働現場で労働を強制されました。さらに官、つまり政府が斡旋(紹介)する『官斡旋』も法的な強制ではなかったけれど、やはり多くの人が物理的な強制によって、自分の意に反して労働をさせられました。呼び名を区別したところで、本人の意に反して強制した、という事実に変わりはありません」(殷勇基氏)