ゆえにこの国安法は、抗議デモを終息させることにこそ成功したものの、その内容は従来の一国二制度のもとでの香港社会の透明性や西側的な法治主義を根本から揺るがすものであり、国際的な非難が殺到することになった。特に香港の旧宗主国であるイギリスとの関係悪化は著しく、香港民主化運動の若手リーダーの一人である羅冠總(ネイサン・ロー)や、在香港英国領事館員で2019年8月に中国国内で身柄拘束を受けた鄭文傑(サイモン・チェン)など、香港デモの主要人物が次々と英国亡命を選ぶこととなっている。
いっぽう2019年秋ごろからは、中国政府が西北部の新疆ウイグル自治区でおこなっている少数民族弾圧も、欧米メディアを中心に盛んに報じられるようになった。実のところ中国のウイグル弾圧は(近年、苛酷さを大きく増したとはいえ)いまに始まった話ではなく、むしろ世界の反応は遅すぎるとも言えたが、さておき一連の報道により急激に世界の注目を集めるようになった。特にウイグル人が再教育施設に百万人近くも収容されているとする話が伝えられると、欧米圏ではナチスのホロコーストを連想させるため、中国への非難の声が高まった。
香港・ウイグル問題の双方の深刻化は、2013年の習政権の成立後に中華民族ナショナリズムが強調され、マイノリティに対する標準的なマジョリティの中国人(中国本土で暮らす標準中国語を母語とする漢民族)への同化圧力が増大したことが、大きな要因として存在している。香港と新疆は、ともに中国本土とは異なった近代史を歩み、住民の言語や文化が北京とは大きく異なる。そのため、従来は香港の場合は一国二制度のもとでの特別行政区、新疆の場合は(多分に形骸化したものとはいえ)民族自治の建前のもとでの民族自治区が置かれ、中国本土とは異なる社会のあり方が認められてきたのだが、その枠組みが習近平政権が成立した2013年ごろから大きく動揺するようになった。
また、香港の場合は中央政府の出先機関である中聯辦(中央政府駐香港連絡弁公室)が、習体制のもとで異論を認めない硬直した状態に陥り、中央政府にとって都合のよい親中派の意見ばかりを中央に報告し続けてきたことが、香港デモに対する習政権の分析や対応策にも少なからぬ悪影響を与えたと言われている。また新疆の場合、2014年に習近平が初の新疆訪問をおこなった際に爆弾テロが発生し、習近平が再発防止を強く指示したことで、指導者の意向を「忖度」した現地の官僚たちが極端な反テロリズム政策(事実上のウイグル人弾圧政策)を取ることになったとされる。悪名高き新疆の強制収容所が生まれたのも、そうした流れのなかでのことだ。
西側社会の警戒を招いた中国
こうした表舞台の事件と並行して、2018年から深刻化を続けている米中対立の不協和音がBGMのように流れ続けている。当初は主に貿易戦争の形が取られることが多かった米中両国の対立は、2020年に入ると新型コロナウイルスの武漢市内の研究所からの漏洩疑惑が新たな焦点となり、さらにアメリカにおいてファーウェイなど中国製品の締め出し、果てはTikTokやWeChatなどの中国製アプリの使用禁止が伝えられるまでになっている。8月にはトランプ政権が香港国安法への制裁として、林鄭月娥香港行政長官をはじめ香港政府及び中国側の香港行政関係者11人の在米資産凍結も打ち出した。
2020年に入り、中国は国際的な圧迫をより強く受けるようになっている。だが、特にコロナ禍以来、中国の外交官や国内メディアは欧米諸国に対してことさら挑発的な主張(中国国内の人気アクション映画のタイトルから「戦狼外交」と呼ばれる)を繰り返し、国内向けには中国が他国と比較してコロナ流行を抑制できている理由を「体制の優位」に求めるようなプロパガンダも増えた。また、WHOのテドロス事務局長がコロナ禍に際して中国寄りの言動を繰り返したケースのように、国際機関や友好国に対する政治的コントロールも活発だ。
もともと1980年代以来、日本を含めた西側諸国の対中政策は、中国を政治的に強く刺激することなく(つまり中国国内問題への介入をある程度は抑制して)中国の経済発展を支援し、来るべき民主化に向けての体制改革を根気強く待っていくという友好的な路線が選択されてきた。だが、習近平政権下での中国の台頭や強権体制の強化、さらには中国が自国の体制モデルの輸出すら図っているかに見える行動をとっていることで、近年は友好的な対中姿勢の見直しが進むようになっている。2019~2020年にかけて、コロナと香港・ウイグルといった、国際的非難を招きやすい諸問題が表面化したことで、もはや中国への強い警戒が西側諸国の新たなスタンダードに変化した感すらある。
中国はひとまずコロナを抑え込んだが、外交的な摩擦と、世界的な反中国感情の高まりは深刻だ。3期目を迎えることがほぼ間違いないと思われる習政権だが、中国の孤立化が進む限り、その前途は決して安定したものとは言い難いだろう。