新型コロナ・パンデミックに歯止めがかからない中、二つの潮流が国際政治を覆っている。第一は米国のグローバル・リーダーからの退場。第二に「国家の復権」である。いずれも以前からあった流れだが、コロナ禍がそれを加速させた。グローバル協力に代わって国家が鎌首をもたげ、米中の戦略的対立があらゆる領域で繰り広げられる。多くのメディアはそれを「米中新冷戦」というタイトルで伝える。だが米中対立を「新冷戦」と規定すると、我々は身動きできない思考の「落とし穴」に誘われることになる。
冷戦後のグローバル化世界
米国の衰退については異論はないと思う。では「国家の復権」とは何か。少し歴史を振り返る。
1989年の冷戦終結は、政治的にも経済的にも「資本主義陣営」と「共産主義陣営」に分かれていた世界を変えた。ヒト、モノ、カネが国境を越え移動する地球規模の経済システムのスタートである。世界中に複雑に張り巡らされたサプライチェーン(部品調達・供給網)を支配する多国籍企業は、本来は国家主権に属する金融・通貨政策をはじめ、雇用・賃金など一国の経済・社会を支配する実権を国家から奪った。「グローバル化」の始まりである。
「グローバル化」と「グローバリズム」は重なる部分はあるが区別して使いたい。グローバル化は単にヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えて移動する動きを指す。一方、グローバリズムは、規制緩和や小さな政府を求めることによって、新自由主義に基づく多国籍企業の利益を極大化しようとする「イデオロギー」を意味するからである。
グローバル化は多国間の協力・統合を促し、自由貿易と経済連携が進み、欧州連合(EU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)は求心力を高めた。しかし今年3月11日の世界保健機関(WHO)によるコロナ・パンデミック宣言は、各国に国境を閉鎖させ、グローバルなサプライチェーンを破断し、生産停止や停滞が始まった。
1929年の「大恐慌」で世界は10年に及ぶ深刻な不況を体験した。「震源地」だった米国をはじめ各国が採用したのが、ケインズの「有効需要論」に基づく「社会主義的」政策である。市場「至上主義」に代わり、国家が景気回復のため減税し失業者を雇用する国家主導型の経済政策だった。
国権回帰の加速
世界の新型コロナ感染者のほぼ4分の1の560万人、死者数が17万人超(8月22日現在)となった米国では、4月の失業率が14.7%と過去最悪を記録(米雇用統計)。ダウ工業株も3月12日、過去最大の下げ幅を記録し、大恐慌を超える深刻な不況が進行している。
コロナ感染を過小評価して、初期段階で無策のまま放置したトランプ政権だが、経済指標の急下降で1人1000ドル(13万円)を4月に現金支給するなど、計2兆2000億ドル(約238兆円)の経済対策を成立させた。安倍政権も5月末、補正予算としては過去最大の約32兆円の第2次補正予算案を閣議決定し、安倍は「空前絶後の規模で世界最大」と自画自賛した。
こうした国家主導型政策が意味するのは、グローバリズムで退場した「国家の復権(国権回帰)」に他ならない。多国籍企業には世界経済をリードする力はあるが、疫病と失業、貧困に苦しむ市民に、救いの手を差し伸べる意思や能力は希薄である。企業倒産と失業者に支援できるのは国家だけ。いま目の前で繰り広げられているのは、こうした主役交代の風景である。
コロナ禍は「グローバリズム」がもたらした格差拡大に疲れきった世界に、国権回帰を加速させた。
国権回帰はどんな変化をもたらすのか。第一は、国際協力より国益優先への転換である。トランプの自国第一主義もそれだ。第二に国民も強権国家を望む傾向が強まる。先進国を覆うポピュリズムや極右勢力の伸長はその反映である。
具体例を見る。中国政府が「武漢封鎖」という荒療治に出たとき、「独裁国家だから」という見立てが溢れた。では米国、英国、イタリアなど多くの西側先進国が、私権を制限し罰則を科すロックダウン(都市封鎖)に出たことをどう説明すればいいのか。それが感染拡大防止という、緊急かつ一時的な政策だとしても。
日本でも同様の現象が起きた。3月末から感染者が急増すると、反安倍のリベラル勢力も「緊急事態宣言」に踏み切れない安倍に苛立ち、早期発動を促した。日本でも強権への期待が芽生えている兆候ではないか。
揺らぐ民主システム
「世界最大の民主国家」インドのモディ政権は3月25日から全土封鎖の強権を発動し、ハンガリーのオルバン政権は政府権限を強化する「非常事態法」を成立させた。ロシアや中欧・東欧諸国でも、すでにあるポピュリズムの土台の上に、コロナ対策を理由にした強権政治が勢いを増している。
「国益優先」の例も挙げる。中国は「一国二制度」を採る香港に7月1日、香港政府を飛び越え「国家安全維持法」を導入した。中国側の論理からすると、欧米による「カラー革命」という内政干渉に対抗し、「主権防衛」に譲歩できない一線「レッドライン」を引いたのである。
強権国家を望む声は、「小さい政府」(新自由主義)を採用してきた先進民主国家で顕著である。その一因は、危機に直面したときの「民主システム」の非効率性と制度疲労の顕在化だ。民主システム自体が揺らぎ、存在意義を問われている。民主を「錦の御旗」に掲げる声は後を絶たないが、民主とは統治のプロセスであって、自己目的化してはならない。
「米ソ冷戦」とは何だったのか
それでは、米中対立を「新冷戦」と規定するのは正しいのだろうか。それを検証するにはまず、かつての米ソ冷戦の特徴・構造を確認し、それを現在と比較する必要がある。
米ソ冷戦の特徴の第一は、それが経済力のみならず体制の優位を競い合うイデオロギー対立となったことだ。
第二に、米ソ対立構図が、日本を含め各国の内政に投影され、世界を資本主義陣営と社会主義陣営の2ブロックに分ける政治対立・抗争が繰り広げられたこと。
第三は、米ソが直接軍事衝突を避けつつ、衛星国に「代理戦争」を押し付けたことである。
こうして見れば、今の米中対立は、これらの三つの特徴を満たしていないことが分かる。
「チャイナ・スタンダード」など存在しない
詳しく見てみよう。第一の「体制の優位を競い合うイデオロギー対立」は米中間に存在しているだろうか。北京は、米国が築いてきた「アメリカン・スタンダード」に代わる「チャイナ・スタンダード」を主張してはいない。
なるほど中国は、今世紀半ばに「世界トップレベルの総合力と国際提携協力を持つ強国」となる「夢」を描いている(習近平、第19回共産党大会演説)。だがこうした中国の発展モデルを、普遍性を持つ「チャイナ・スタンダード」として主張してはいない。
さらに中国は「人類運命共同体」という世界観も掲げる。しかし、そこで想定される秩序とは、「多極化」と「内政不干渉」である。中国は「社会主義強国」実現のために、資本主義世界で発展を続けるパラドクスの中を生きているのだ。
第二の「世界の2ブロック化」はどうか? トランプ政権の執拗な「デカップリング(経済引き離し)」政策を見ると、サプライチェーンと情報ネットワークを部分的に破断するのは可能かもしれないとも思う。しかし世界経済を統合している「グローバル金融システム」をブロック化して分断するのは容易ではない。
米国はドルによる「グローバル金融システム」を支配し、中国もそのシステムの中で発展してきた。中国の金融機関がシステムから排除されれば、中国経済は破綻する。
(注2)
「コロナ危機で露呈、無極化した世界」(日本経済新聞デジタル版 2020年4月10日)