ベギンはソ連軍内のポーランド人部隊に参加し、パレスチナに派遣された。この頃パレスチナは英国の委任統治領だったが、当時のユダヤ人たちは、この場所にユダヤ国家の建設を考えていた。ベギンは1942年に軍隊を離れて、英国やアラブ諸国と戦うシオニストのテロ組織のリーダーとなった。
ベギンは若い頃から、イスラエル人の生存、ユダヤ国家の建設・維持のためには敵を排除することも厭わないという思想の持ち主だった。この体験と思想が、「第2のホロコーストを防ぐためには、敵国の核開発を武力で阻止する」というベギン・ドクトリンを生んだのだ。
世界中がイスラエルを非難
1981年に各国からはイスラエルのイラク爆撃に対する抗議の声が上がった。原子炉をイラクに売ったフランスだけではなく、イスラエルの同盟国・米国も「イスラエルは事前に我々に通告するべきだった。そうすれば、我々がイラクに圧力をかけて原子炉建設をやめさせていたはずだ」とベギンを批判している。
国連の安全保障理事会は同年6月19日に採択した決議第487号の中で、イスラエルの原子炉攻撃を強く非難した。
1979年から2003年までイラクの最高指導者だったサダム・フセインは、イスラエルの原子炉爆撃に対する直接の報復攻撃を実施しなかった。
しかしイラクはオペラ作戦から10年を経て、別の理由でイスラエル攻撃に踏み切ることになる。
フセインは1990年8月にクウェートに侵攻した。これに対し1991年1月に米国を中心とした多国籍軍が「砂漠の嵐」作戦を発動し、イラク軍に対する攻撃を開始した。するとフセインは報復として、イスラエルのテルアビブやハイファなどに弾道ミサイル「スカッド」88発を撃ち込んだ。多国籍軍に対する正面戦闘ではかなわないことから、地理的に近い米国の同盟国イスラエルを標的としたのだ。
イスラエル政府はイラクがミサイルに核弾頭や生物化学兵器を搭載する可能性があるとして市民にガスマスクを配布。人々は警報が発令されるたびにガスマスクを着けて、地下室に逃げ込んだ。だが実際には、イラクのミサイルには通常弾頭しか搭載されておらず、核弾頭や生物化学兵器は使われていなかった。イラクのミサイル攻撃によってイスラエル人74人が死亡し、230人が重軽傷を負った。
ベギンは1991年に行われたインタビューの中で、「イラクがスカッドで我が国を攻撃したことは、我々のオシラク原子炉の破壊が正しかったことを証明している」と述べた。つまり彼は、1981年の先制攻撃がなければ、フセインは核を搭載した弾道ミサイルでイスラエルを攻撃していたはずだ、と主張したのだ。今でもイスラエルの全ての企業には、ガスマスクや水、食料を備蓄した窓のないシェルターがある。筆者が見学したシェルターのドアは、ゴムで目張りがされていた。万一化学兵器による攻撃を受けても、内部に毒ガスが入らないようにするためである。
シリアに対しても発動されたベギン・ドクトリン
オシラク原子炉の破壊から26年後、イスラエル政府は再びベギン・ドクトリンを発動する。2007年9月6日にイスラエルは、シリア東部にあったアル・キバール原子炉を攻撃し、ほぼ完全に破壊した。
イスラエルのエフード・オルメルト首相は、諜報機関モサドの情報から、シリア政府が北朝鮮の援助を受けて核兵器開発を進めているという疑いを強めた。オルメルトは米国のジョージ・W・ブッシュ大統領(息子)にこの情報を与えて、シリアの核開発計画を武力を使ってでも阻止するよう求めた。しかし米国は当時イラクとアフガニスタンで戦争を続けていたために、シリアへの軍事攻撃に難色を示した。
このためイスラエルは単独でアル・キバール原子炉爆撃に踏み切った。「オーチャード(果樹)作戦」と呼ばれたこの奇襲攻撃には、F16型戦闘爆撃機など8機と電子作戦機が参加。シリア軍の防空部隊に気付かれないように、電子作戦機がシリア軍のレーダーに偽の画像を送り続けた。攻撃部隊は、米国製のAGM65型誘導ミサイルを使用。前もってシリアに侵入したイスラエル軍特殊部隊の兵士たちが、地上から原子炉のある建物にレーザーを照射して、ミサイルを誘導し命中させた。
欧米メディアはこの爆撃について「イスラエルによる攻撃か」という報道を行ったが、26年前の「オペラ作戦」とは異なり、イスラエル政府は沈黙を守った。このため国連安全保障理事会も原子炉攻撃を非難する決議を行わなかった。シリア政府もこの攻撃を無視し、イスラエルに対する報復を行わなかった。
イスラエル国防軍は攻撃から11年後の2018年3月22日に、アル・キバール原子炉爆撃を正式に認めた。IAEAは、破壊された原子炉跡を視察した結果、周辺地域でウランを検出。シリア政府がIAEAに報告せずに、この場所で原子炉を建設していた疑いが強いとする報告書を2018年11月に発表している。
オルメルトはベギン・ドクトリンを重視する政治家だった。彼も若い頃ベギン同様にシオニズム組織「べタール」に参加していた。
イスラエルの核兵器保有疑惑
欧米では、ベギン・ドクトリンに対する意見が二分されている。大半の政治家は、他国の核開発疑惑を外交手段ではなく武力で解決しようとするイスラエルの姿勢に批判的だ。
その理由の一つは、イスラエル自身が核保有国と見られているからだ。同国は決して認めていないが、欧米の政治家や軍事専門家の間では、イスラエルが核兵器を持っているという意見が有力だ。同国南部、ネゲブ砂漠の核技術研究センターで核兵器の開発が行われていると見られており、同国が保有する核爆弾・核弾頭の数は数百発に達すると推定されている。
1986年に、核技術研究センターで働いていた技師が、英国の新聞に「イスラエルの核兵器開発」に関する情報をリークしたことがある。しかしイスラエルはこの「内部告発」以後も、核兵器の保有について沈黙している。核兵器の存在を否定も肯定もしないことが、敵国に対する「無言の抑止力」になると考えているからだ。イスラエルには、敵国の核兵器、生物化学兵器や通常兵器によって甚大な被害を受けた場合には、核兵器を大量投入して報復する「サムソン・オプション」という最終戦略があると伝えられる(サムソンは旧約聖書に登場するユダヤ人の英雄の名前で、命と引き換えに敵国の神殿を崩壊させたと言われる)。
イスラエルが実際に核兵器を持っているとすれば、ベギン・ドクトリンは同国が中東において核兵器を独占する一方で、周辺諸国・敵国に対しては核兵器の保有を禁じるという、優越性の保障のための国防戦略の一環なのである。イスラエルを敵視する周囲のアラブ諸国の目には、「なんと身勝手な戦略だ」と映るに違いない。
しかし「中東地域のその後の不安定な情勢を考えると、原子炉が破壊されたことは西側にとって幸いだった」という見方もある。21世紀に入ってイラクとシリアでは内戦が悪化。