4年前、トランプが当選した大統領選の真っ最中に出版されて話題を呼んだノンフィクション『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(光文社)を思い出す(ロン・ハワード監督、グレン・クロースとエイミー・アダムズ出演で、昨年Netflixが映画化)。ヒルビリーとは、「レッドネック」とか「ホワイト・トラッシュ」(白いゴミ)という蔑称でも呼ばれる貧しい白人を指す言葉で、いわゆるトランプ支持の基盤である白人労働者階級をさす。
著者のJ・D・ヴァンス自身も、オハイオ州の田舎の、オピオイド(麻薬性鎮痛薬)依存症で結婚を繰り返す母親のもとで育った。しかしヒルビリーの環境を脱して東部名門のイェール大学に進学を果たし、ベンチャーキャピタリストになる。
しかしこの本は、そんな彼のサクセス・ストーリーではない。都会に住み、トランプを忌み嫌うリベラルなアメリカ人が知らないヒルビリーたちの素顔と、彼らの絶望感、自分たちを置いてけぼりにして繁栄する国家への怒り、それでも逞しく生きようとするエネルギーを、優しい目線で伝えている。
ヴァンスによると、貧困のなかにあるヒルビリーは、他の人種と違って子どもたちの世代が、自分たちより経済的に成功するという希望さえもっていないという。リベラルの民主党が「ダイバーシティ」と言って守り優遇するのは、黒人や移民だけで、自分たちだけが損をしている。かつてアメリカの田舎には、みな顔見知りで、開拓時代から受け継がれた助け合いの精神があった。しかし、産業が寂れて失業者が溢れると、麻薬や暴力が蔓延して絶望だけが残った。古き良きアメリカの姿を壊し、格差社会を作り出したのは、金満主義の政治や財界で、今の世の中は、成功だけが目的になってしまった、と絶望するヒルビリーたち。
米国勢調査局によると、Z世代のすべてが成長して社会の中枢を占める2045年、アメリカの人口の過半数を占めてきた白人は、半分以下、つまり初めて「マイノリティ」になるという統計が出ている。
人口構成上も存在感を失い、今後さらに技術革新とグローバル化が進む世の中で、高度な専門技能をもたず、習得する意思もないヒルビリーたちの多くは、ますます無用な人になっていくだろう。大統領選と上下両院を民主党が制して、「トリプルブルー」となったアメリカで、彼らの声を、これから誰が代弁するのだろうか。議会議事堂を襲うトランプ支持者たちの姿を見る時、彼らの怒りの下に隠された不安と深い悲しみ、そして絶望を感じずにはいられない。
私は、暴力に訴えた彼らを肯定しているわけでも、支持しているわけでもない。ただ、トランプに投票した7400万人という支持基盤がいかに固いものであるか、それはなぜなのか、そしてトランプ支持者の生活に、今何が起きているのかということに、私たちはもっと目を向けるべきではないかと思う。メディアも、トランプ批判に終始するのではなく、支持者が置かれている社会の立ち位置に、鋭いメスを入れるべきではないか。
トランプは、ヒルビリーたちの感情をうまくすくい上げ、彼らの声を代弁し、ソーシャルメディアを駆使しながら王のように君臨してきた。議会議事堂占拠の事件後、ツイッターはトランプのアカウントを永久凍結すると発表。他のプラットフォームも追随した。しかし、時すでに遅しだ。それまでもソーシャルメディアが、偽情報拡散の元凶だったことは、4年前の大統領選挙でトランプが当選した時からわかっていたはずだ。
トランプは、今後もメッセージを発信し、支持者はあらゆる手段を使ってトランプをフォローし続けるだろう。議会議事堂占拠で噴出した彼らの怒りと悲しみは、場所と、時間と、形を変えて、今後も現れるはずだ。
アメリカ社会に大きく揺さぶりをかけはじめた急進派リベラルのZ世代と、アメリカの繁栄から取り残されていくヒルビリーたち。その両極の間で揺れ、格差と分断が進むアメリカの行方、そしてトランプの今後の動きを、私たちはこれからも、固唾を呑んで見守り続けることになる。