今年(2021年)2月のクーデター発生からミャンマー情勢は混迷を深めるばかり。クーデター以前から現地で取材を続け、今年4月にミャンマー国軍に拘束され、5月に解放されたジャーナリストの北角裕樹さんに、拘束されている時の状況やミャンマー情勢、今後の展望について聞いた。
軍や警察だけでなく、無法者たちが暴れまわっている
元日本経済新聞記者の北角さんは、2014年にミャンマーへ渡った。日本語情報誌の編集長を経て、首都ヤンゴンを拠点にフリーランスのジャーナリストとして活動。今年2月のクーデター発生後も、民主化を求める現地の人々の声を日本に伝えてきた。その最中の同月26日にミャンマー警察に一時拘束される。すぐに解放されたが、4月18日に今度はミャンマー国軍情報部に拘束され、ヤンゴン市内のインセイン刑務所へと移送された。日本政府の働きかけで、5月14日に解放されたものの、一旦日本に帰国することを余儀なくされた。北角さんは、インセイン刑務所に拘束されていた時のことをこう振り返る。
「4月の拘束では、『虚偽のニュース』を広めたとして逮捕されました。『知人のミャンマー人男性から2000ドルでビデオを購入し、その2000ドルが抗議活動の資金となっていた』との容疑を認めるようしつこく尋問されましたが、言いがかりです。私は否定しましたが、事実と異なることが、取り調べ調書に書かれました。
刑務所では、私自身は拷問を受けませんでしたが、とにかく暑く、一日に何度も水浴びしました。書籍の差し入れがあるまでは、することがなく一日がとても長く感じました。ただ、ミャンマー人の政治犯たちは、数十時間も寝ることやトイレに行くことも許されず、尋問を受け、その間殴り続けられたとのことです」(北角さん、以下同)
とはいっても、北角さんが暴力にさらされなかったわけではない。2月に、取材中最初に拘束された際には、手ひどく暴力を受けたという。
「取材中、ミャンマー警察に警棒で何度も殴りつけられました。ヘルメットをかぶっていたので、怪我をすることはありませんでしたが、殴られた時の衝撃はかなりのもので、ヘルメットがなかったら危なかったかもしれません。
こうした暴力はルーチン化しています。デモ参加者等を拘束する際、警察や軍はその人が抵抗しようがしまいが、とにかくまずは殴るということを繰り返していました。さらに、軍に雇われたと思われる“無法者”たちも市民にむけて暴力をふるうのです。
私も“無法者”に額を殴られ、メガネが飛びました。路上に倒れ込んだ私を、彼らはサッカーボールを蹴るかのように、何度も蹴り続けるのです。“無法者”たちの暴力も日を追うごとにひどくなり、ナイフで人々を刺すようにもなりました。
こうした“無法者”たちは、デモ参加者たちを痛めつけるためだけではなく、治安が悪化している状況をつくりだし、軍による非常事態宣言の発令を正当化するために、存在しているのです」
米国大統領選がクーデターに及ぼした影響
そもそも、なぜクーデターは起こされたのか。意外なことに北角さんは「米国大統領選が影響した」と話す。
「昨年秋のミャンマーでの総選挙で、アウンサンスーチーさん率いるNLD(国民民主連盟)が圧倒的な支持を得て、軍側の政党は大敗しました。ちょうど同時期、米国大統領選があり破れたトランプ前大統領は『選挙で不正が行われた』と主張しました。これを『米国ですら選挙不正が行われるのだから、NLDの大勝も不正によるものだ』と軍は利用したのです」
しかし、NLDが選挙不正によるものではなくミャンマーの人々の支持を集めて勝利したことはまぎれもない事実だ。
「ミャンマーの民主化勢力にとって、独力での選挙は初めてだったため、候補者名簿に間違いがあったり、そもそもコロナ禍でろくに選挙運動ができなかったなどの問題があったことは事実です。しかし、日本の選挙監視団による支援で投票者の指にインクをつけ、二重投票ができないようにしていましたし、投票した人々は誰に聞いても皆、『NLDに投票した』と答えるなど、NLDが勝利したことは間違いないでしょう。