そもそも、この紛争そのものが、純粋な「内戦」とは言えない。ウクライナ内部の独立派・親ロシア派といっても、当初から、ロシアからプロの戦闘員が派遣されており、公式には存在しないとされるプーチン大統領の「陰の軍隊」と呼ばれる傭兵集団「ワグネル」はもちろん、ロシア正規軍も越境してウクライナ領内で軍事行動を展開していたのである。
誇張された右翼民兵「アゾフ大隊」の存在感
ロシアのプロパガンダ・メディアが特に攻撃の対象としているのは、ウクライナの民兵組織「アゾフ大隊」だ。右翼民族主義者らから成るこの組織は、2014年のドンバス戦争勃発時から注目されており、15年の段階で構成員の10~20%がナチズム信奉者だったとする報道もある。
プーチン政権がウクライナのゼレンスキー政権を「ネオナチ」と規定するときは、このアゾフ大隊の存在が強調される。
だがアゾフ大隊の政治的な存在感は、実はそれほど大きなものではない。アゾフ大隊を母体として結成された政治団体が直近の2019年の国民議会選挙で2.15%の得票率しか得られず、定数450議席のうち1議席も獲得できていない事実を見れば、それは明らかだ。そんな少数派が政府を動かせるわけがない。「ゼレンスキー政権はネオナチ政権だ」などとは到底言えないのである。
また、アゾフ大隊が国政に進出しようと動き始めた段階で、極端な思想を持つ人間は内部から排除されていった。人の入れ替わりによる組織の変容があることも押さえておく必要がありそうだ。
にもかかわらず、プーチンを擁護したい一部の人々は、アゾフ大隊の残虐行為を示すという動画、画像、記事をネット上で見つけて紹介しては、「これがウクライナの実態。プーチンが侵攻したのは当然だ」という極端な主張をする。
「チェチェン戦争」に始まるプーチンの暴走
侵略を正当化する根拠として、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大が挙げられることもある。もともと冷戦期にソ連とその同盟国で構成されるワルシャワ条約機構と対峙することを目的としていたNATOだが、冷戦後も解体されず、むしろ中東欧諸国も加盟するようになった。そのため、ロシアは追い詰められてウクライナ侵攻を行ったというのである。
これについては、侵攻の背景事情の一つとは言えるだろう。実際、NATOや「西側」諸国が清廉潔白というわけではない。だがそれが今回の侵攻が起きた主な理由だと言うのは間違いだ。この侵攻の本質は、プーチン政権による「大ロシア主義」の暴走にある。それはロシア版ファシズム、ロシア版ナチズムに支えられていると言っていいだろう。筆者はこれを、「大ロシア主義の西方拡大」と呼んでいる。
ソ連崩壊後に自信を失ったロシア国民や支配層の間には、かつてのロシア帝国への郷愁が広がっている。そこから、ウクライナもベラルーシもロシアの一部だとする考えが根強い。「ロシア帝国の復活」を目指すプーチン大統領の思想と行動は、西側や周辺諸国の状況とほとんど関係なく、一貫している。1999年8月16日にプーチンが首相に就任してから2022年2月24日のウクライナ全面侵略開始まで、「プーチニズム」という重機関車が暴走してきたのだ。
最大のターニングポイントは、二度にわたる「チェチェン戦争」だろう。
ソビエト連邦崩壊によって超大国から転落したロシアの人たちは自信を失い、経済的にも大混乱していた。
そうした中、ロシア連邦南部のイスラム教徒チェチェン人たちが独立を宣言し、事実上独立状態となった。その独立をつぶすためにロシア軍は1994年12月、大規模な侵攻を行う。これが第一次チェチェン戦争である。
だが大方の予想を裏切って、1年8カ月後の1996年8月、実質的にチェチェン側の勝利で休戦協定が結ばれた。大ロシアが、面積が岩手県くらいで人口80万人(侵攻開始時点)のチェチェンに負けたのだから、ロシアの人々のプライドは大いに傷つけられた。特に権力者たちは我慢がならなかった。
負けた理由の一つは、ソ連崩壊後に言論の自由が拡大したことで、マスコミが戦争の実態を伝えたからである。それにより反戦運動が拡大したことも一因だった。支配層は「我々は民主主義と自由のために負けた」と思った。
そこに登場したのがプーチン首相である。そしてこの時点から「大ロシア復活」の野望が暴走し始めたのである。
プーチンはまず、強権的支配体制を確立するための“電撃戦”を実行した。
1999年8月の首相就任早々、ロシア各地で民間の高層アパートが次々に時限爆弾で破壊され、死者300人を出すテロ事件が発生する。プーチンはこれをチェチェン独立派の犯行だとして、テロリスト殲滅を理由にチェチェンに軍事侵攻した。第二次チェチェン戦争である。首相就任の翌月という早業だった。
しかし、連続テロ事件に関しては、ひと月前までプーチンがトップだったFSB(ロシア連邦保安庁。旧KGB)の謀略テロではないかとの疑いが強く持たれている。元FSBのアレクサンドル・リトビネンコ中佐、同じく元FSB職員で後に弁護士になったミハイル・トレパーシキンが、実名と顔出しで、「連続爆弾テロはチェチェン戦争を始めるためのFSBによる自作自演だった」と告発しているのだ。