ウクライナ戦争は「どっちもどっち」?
ロシアによる侵略戦争がウクライナで続いている。歴史の転換点ともいえる大事件だから、世界中で議論が沸き起こり、混乱が生じるのも当然だ。
日本国内でも、ウクライナ戦争をめぐって議論が混乱している。ロシアの侵略を批判し、ウクライナ支援を呼びかける意見が世論の主流だろう。とくに開戦当初は、ロシア批判とウクライナ支持の世論が爆発的に広がり、一種の“高揚感”が日本社会を覆っていた。
一方で、それに乗じて自民党から防衛費の倍増や核兵器「共有」論が飛び出すなど、軍備拡張に前のめりな議論も出てきた。
こうした風潮への危機感からか、一部では別の意味で混乱した議論も出てきている。簡単に言えば、「ウクライナ叩き」とでも言うべき議論だ。
「国民に徹底抗戦を強いるゼレンスキー大統領は許せない」
「ウクライナが抵抗するから、こんなことになった」
「戦争は喧嘩両成敗。どっちもどっちだ」
こうした発言が、日頃は反戦、反差別、人権擁護、民主主義などを唱え、抑圧された人たちの立場に立ってきたはずのリベラルな人たちの間から、SNSなどを通じて飛び出してくるのだ。
その根底には、二つの誤りがあるように思われる。
第一に、ロシアの侵略とウクライナの抵抗を同列に見ていることだ。だが、侵略戦争と、それに対する抵抗を同列に見るのは間違いだ。日本軍の侵略とそれに対する中国民衆の抵抗、米軍の侵略とそれに対するベトナム民衆の抵抗を同列に見ることができるだろうか。中国やベトナムの民衆については批判しない人々がなぜ、ロシアの侵略に抵抗するウクライナの指導者や民衆だけを批判するのだろうか。
第二に、 “にわか評論家”による当事者不在の主張が多いことだ。一方的に侵略され、自由と独立のためにやむにやまれず抵抗する当事者の気持ちを考えない。理不尽な犠牲を強いられるウクライナの人々の慟哭に寄り添う気持ちもなく、抵抗に立ち上がった人への共感もないのだ。なぜそこまで冷酷になれるのだろうか。
こうした議論の前提には、そもそも誤った事実認識があることが多い。例えば、
「東部のロシア語話者住民をウクライナ軍が虐殺したからロシアが軍事行動に出た」
「ロシアはネオナチからウクライナを解放しようとしている」
といった具合だ。
その背景には、圧倒的な量でばらまかれてきたロシア側のプロパガンダとフェイクニュースの影響がある。
ネットを席巻するロシア発のフェイク情報
ロシアがインターネット上でのプロパガンダに力を入れていることはよく知られている。
フランス「CAPA/FranceTelevisions」2022年制作の番組『ワグネル 影のロシア傭兵部隊』によると、ロシア発のフェイク情報源は今年初めの段階で147サイトもあり、そのうちの中心サイト一つだけでも月間アクセスが1億回もあるという。残りの146サイト分も合わせれば膨大な情報量になるはずだ。ロシアのプロパガンダはインターネット空間を席巻しているのである。
ネット上で「日本のメディアが伝えないウクライナの真実」といった書き込みを行う人が「情報源」として示しているものをさかのぼっていくと、最終的にロシアが発するフェイクニュースに行きつくことが多い。
例えば、ロシア軍撤退後のブチャ周辺で大量の民間人虐殺遺体が見つかったとき、「『ブチャの虐殺』はでっち上げだ」といった書き込みがたくさん現れたが、その情報源は「RT」や「ザ・グレーゾーン」(THE GRAY ZONE)といったニュースサイトだった。
RTは、かつて「ロシア・トゥデイ」という名前で知られたロシア国営メディアである。偽情報を用いたプロパガンダを行っているとして、ウクライナ侵攻後にはEU(欧州連合)が域内での放送・通信を禁止しており、編集長は制裁対象にもなっている。
「ザ・グレーゾーン」は、ロシア国営メディアRTの常連寄稿者であったアメリカ人ジャーナリストのマックス・ブルーメンタールにより設立されたサイトで、陰謀論的傾向が強い。「ロシア軍による産科病院攻撃はデマ。病院はウクライナ軍に占領されていた」など、ロシア政府の発表そのままの内容を報じている。
ロシア政府が発した「侵攻前にロシア系住民の多いウクライナ東部2州で、ウクライナ軍とその傘下にいるネオナチ(ウクライナ民族主義者の右翼)によって民間人1万3000人が虐殺された」という情報は、侵攻当初にSNSで拡散された。
ウクライナ東部のルハンスク(ルガンスク)州とドネツィク(ドネツク)州を合わせて「ドンバス地方」という。2014年にこの地方のロシア系住民が武装して独立を宣言。以来、ウクライナ政府との間で内戦状態が続いている。
この紛争で、兵士と民間人の多くの死者が出ていることは事実である。だが、「民間人1万3000人がウクライナ軍に虐殺された」というのは事実ではない。
なるほど、1万3000人という死者数は確かに国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)の報告書に記載されている。この内戦によって2014年4月14日から2020年2月15日までにそれだけの犠牲者が出たとある。ただし、その内訳は以下のとおりである。
- ・民間人は少なくとも3350人
- ・ウクライナ軍は約4100人
- ・親ロシア派武装勢力は約5650人
合計で約1万3000人となる。つまりこれは、民間人の死者数を示すものではなく、民間人にウクライナ軍・親ロシア派勢力双方の兵士の死者数を合計した数字なのである。
また、民間人の死についても、そのすべてをウクライナ軍による攻撃の犠牲者だとするのは誤りだ。欧州安全保障協力機構(OSCE)の報告には、ウクライナ支配地域と親ロシア派の支配地域の双方における民間人の死亡が数字を挙げて記載されている。国際刑事裁判所(ICC)も、紛争発生以降たびたび報告書を公表してきたが、現地で双方の勢力による人権侵害が起きていると指摘している。また、ヒューマン・ライツ・ウォッチなど複数の人権団体は親ロシア派武装勢力による人権侵害についての報告をまとめている。つまり、民間人の犠牲も双方で出ているのである。
こうして見てみれば、「ウクライナ軍とその傘下にいるネオナチによって民間人1万3000人が虐殺された」という説明が全く事実に反していることは明らかだろう。