国連が「ジャニーズ問題」に言及した──。2023年8月4日、国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会が訪日調査を終えて東京で開いた記者会見は、国内ではおおむねそんなふうに報道された。作業部会が出した声明に、ジャニーズ事務所における性加害問題について、日本政府に調査や被害者救済への取り組みを求める内容が含まれていたからだ。しかし、それは声明のほんの一部分。実際には女性や障害者、先住民族や LGBTQなど、幅広い分野における人権状況の改善を、強く提言する内容だった。
日本政府は今回も、国連の提言には「法的拘束力がない」から従う義務はないとしているが、本当にそうなのだろうか。そもそも、なぜ国連が各国の人権問題に対して意見を述べるのか、他国は国連からの提言に対してどのような対応を取っているのか。国連特別報告者の訪日調査実現に尽力するなど、自らも国連人権機関の活動に関わってきた体験をもとに、2022年12月に初の単著『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』を上梓された藤田早苗さんにお話をうかがった。
国連の勧告に対して、日本政府は?
私は2013年から、日本の人権問題に関して、国連の人権専門家や国際人権NGOへの情報提供・意見交換などを続けてきました。今回の「ビジネスと人権」作業部会の訪日調査にも準備段階から関わっていたのですが、8月4日の記者会見を見ていて、「やっぱり」と思いながらもがっかりした気持ちになりました。
というのは、出席していたメディアからの質問が「ジャニーズ問題」ばかりに集中して、他の人権課題についての質問がまったくと言っていいほど出なかったからです。訪日調査団の事務局も同じような感想を述べていました。調査団は12日間にわたって日本に滞在し、東京だけでなく大阪、愛知、北海道、福島などを訪問。それぞれの地で、政府や地方自治体の関係者、企業関係者などの聞き取り調査を重ねました。その成果としての記者会見だったのに、あまりにももったいなかったと思います。
国連が日本の人権状況について提言や要望を示すのは、もちろんこれが初めてではありません。国連の人権機関──国際的な人権条約に基づく「人権条約機関」や、国連憲章に基づいて活動する「人権理事会」の特別報告者 や作業部会が、これまでにも日本政府に対してさまざまな勧告を行ってきています。しかし日本政府は今回も含め、そうした勧告は「法的拘束力を有するものではない」から従う義務はないという態度をとり続けてきました。
たしかに、勧告は法律ではありませんから、その意味では「法的拘束力はない」と言えるのかもしれません。しかし、こうした勧告は誰かが思いつきで言っているわけではなく、人権に関する専門家たちが調査を重ね、国際的な人権条約や国連憲章に照らし合わせて作成したものです。そして各国政府は、自分たちが批准した条約に当然拘束される。「法律ではないから拘束されない」と言って済まされるものではないことは、日本国憲法第98条2項の「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」を見ても明らかです。
しかも日本は、人権理事会が2006年に設立されて以降、ほぼずっとその理事国を務めています。いわば、特別報告者制度をはじめ国連が人権を守るための仕組みを「つくる」「サポートする」側にあったわけです。拘束力がない云々という以前に、大事なものだからこそ仕組みを整える側に立ってきたのではないのか、それを自分たちが無視していいのか、ということも問われるのではないでしょうか。
調査を担当する専門家たちは、しばしば「独立専門家」と言われるように、どこかの政府の代表でも、国連の職員でもありません。だからこそ、国家や組織の利益にとらわれることなく批判や提言ができるとして、各国から高い信頼を得ているのです。
たとえばカナダでは2018年、「女性に対する暴力」に関する国連特別報告者が、カナダ先住民の女性に対して差別的な法律があると指摘しました。カナダ政府はこれを受け、翌年には早くも法改正を実現しています。
あるいはウズベキスタンのケース。2019年に「司法の独立」に関する特別報告者が「司法制度の独立性を高めよ」という勧告をしたところ、翌年には法改正が実現しました。長く独裁政治が続いており人権状況にさまざまな問題を抱える国ですら、勧告を受けて改善を図ったわけです。
その中で日本は、度重なる勧告を受けているにもかかわらず、ほとんど状況改善への取り組みを見せていません。それどころか、「内容が一方的だ」などと、勧告を軽視する姿勢を隠さない。2015年には、特別報告者の調査訪問が日程まで決まっていたにもかかわらず、突然キャンセルされたことさえありました。軍事政権の独裁国家ならまだしも、民主主義を標榜している国家では考えがたいことです。特別報告者やそのアシスタントからも、「日本政府の対応は信じられない」という声を何度も聞きました。
「クリティカル・フレンド」を理解できない日本の未成熟
なぜそういったことになるのか。その理由の一つは、日本政府に、そして社会に「クリティカル・フレンド(必要なときは批判もする友人)」という概念が薄いことではないかと思います。
「フレンド」だからこそ相手のためを考えて批判する、ときには耳に痛いことも言う……。個人と個人の関係で考えると分かりやすいかもしれません。友人や先輩が、自分のことを考えてあえて厳しいことを言ってくれているとき、きちんと成熟した大人ならそれを「ありがとう」と受け止められるはず。日本はそこで「うるさい、私は悪くない」と怒り出す、未成熟な子どものようなものなのではないでしょうか。
各種の国際人権条約
主な国際人権条約は9つある。
経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約(社会権規約)1966年
市民的、政治的権利に関する国際規約(自由権規約)1966年
人種差別撤廃条約 1965年
女性差別撤廃条約 1979年
拷問等禁止条約 1984年
子どもの権利条約 1989年
すべての移住労働者とその家族の権利保護に関する条約(移住労働者権利条約)1990年
強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約(強制失踪条約) 2006年
障害者権利条約 2006年