徐 おっしゃるように、植民地にされた経験というのは、分断と並び、軍拡を受け入れる大義名分であるように思います。韓国メディアでは「このままでは国が滅びる」といった脈絡の言葉がよく出てくるんです。実際に日本の植民地になって滅びていますし、例えば北朝鮮と核戦争になるという危機感みたいなものがあります。そうしたことが、「強くなければいけない」という国家的トラウマになっている部分もあると思いますね。
布施 韓国の歴史を踏まえれば、それは理解できます。ただ、軍拡競争というのは、エスカレートしていきます。相手の脅威に備えるための軍拡でも、相手はそれを脅威と捉えてもっと軍拡しようとします。そうなれば、こちらももっと軍拡しなければならなくなります。これでは、いつまで経っても本当の意味での平和は実現しないと思います。軍事的な脅威というのは、「能力(軍事力)」と「意図」の掛け算だと言われます。戦争を予防するためには、軍事力による抑止だけでなく、相手を攻撃しようとする意図を減らすような外交が不可欠です。その一つが、朝鮮半島の非核化と朝鮮半島の恒久的平和体制の構築をセットで進めようとした2018年の一連のプロセスでした。

2018年4月27日、板門店「徒歩の橋」で対話する金正恩(左)と文在寅(右)
北朝鮮の非核化
徐 2018年の時、既存の分断体制を乗り越えるキーワードとして、韓国の識者たちの間でよく言われたのは、韓国が北朝鮮に対して譲る「勇気」を持つことでした。2018年9月の南北軍事合意書は、軍事境界線の周辺で訓練をできなくしたり、飛行禁止区域を40キロ設けたりという、韓国にはとても不利な条件でした。それでも韓国は、対話の幅を広げていく第一歩として、自分たちに不利な条件をのんだわけです。
布施 1992年に韓国と北朝鮮が「朝鮮半島の非核に関する共同宣言」に署名した際も、韓国の盧泰愚(ノ・テウ)政権がまず韓国に配備されていたアメリカの戦術核兵器を先に撤去させて、その上で北朝鮮と交渉してうまくいきました。この例からも、北朝鮮に一方的に譲歩を迫るのではなく、互いに譲るところは譲って状況を一歩一歩良くしていこうという姿勢が必要だと思います。
徐 最近、韓国では、北朝鮮が非核化することはないという見方が広がっています。李在明政権は、これまでの非核化の枠組みは維持しながらも、時間がかかる非核化は後回しにして北朝鮮の核開発を中断させ、平和的2国家の共存体制をまずつくろうとしています。つまり、従来、「非核化」と「朝鮮戦争の平和協定」と「米朝国交正常化」と「制裁解除」がすべてセットになっていましたが、今は、一つずつできるところから取り組んでいく方向に変わってきています。
布施 リビアのカダフィ政権は、2003年にアメリカとのディールで制裁解除と引き換えに核兵器の開発計画を放棄しましたが、その後、米軍などの空爆支援を受けた反体制派の蜂起で倒されました。こういう前例があるので、私も北朝鮮はそう簡単に核兵器を手放さないと思います。
そうであるならば、何よりも北朝鮮の核兵器が使われないようにすることが重要です。北朝鮮が非核化しなければ制裁解除にも一切応じないという姿勢では事態は一歩も前に進まないので、李在明大統領が目指しているように、一つずつできるところから取り組んで緊張緩和と信頼醸成を図り、核兵器が使用されるリスクを下げていくのが現実的だと思います。

ASEAN諸国の「大国」との付き合い方
布施 私が注目したいのは、ASEAN諸国の自立性です。インドネシアは、アメリカと共同軍事訓練をしながら、中国から武器を買っています。米中対立の最前線となっている東アジアですが、インドネシアはどちらの陣営にも入らず、両方とうまく付き合っていくことで自国の安全と利益を確保しようとしています。
徐 例えばベトナム共産党のトー・ラム書記長は、2025年8月に韓国を国賓訪問し、10月には北朝鮮の平壌で行われた朝鮮労働党創建80周年の式典にも参加しています。ASEAN諸国には、そうした自由さがありますね。
布施 ASEAN諸国がこのような立場をとるようになったのは、ベトナム戦争の教訓からです。ASEANの原加盟国はいずれも資本主義体制だったので、共産主義の拡大を恐れていました。共産主義の拡大を抑止するために、アメリカの力に頼ろうとしていました。
ところが、ベトナム戦争を経験して、大国の軍事力に頼っていると大国間の代理戦争に利用されて酷い目にあうことを身をもって知ったわけです。だから、勇気を持って大国から自立する道を歩みだしたんですね。ベトナム戦争の結果、社会主義体制で統一されたベトナムに対しても、敵視して排除するのではなく「平和共存」を目指す姿勢に転換します。
もちろん、こうした選択をしたベースには、植民地支配を経験した国々だからこその自立への強い思い、大国の安全保障の道具として利用されたくないという思いがあったのだと思います。