1945年から今に続く朝鮮半島の南北分断とその現代的影響を紐解いた著書『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』(集英社クリエイティブ)を上梓した徐台教さんと、『従属の代償 日米軍事一体化の真実』(講談社現代新書)などで米軍への一体化を深める日本の安全保障の最先端を取材する布施祐仁さん。2024年12月の非常戒厳の夜、ソウル国会前にいた二人が、朝鮮半島分断の歴史と日本との深いかかわり、非核化とアジアの平和について熱い議論を交わした。(2025年11月13日対談収録)
*本稿では、朝鮮民主主義人民共和国を北朝鮮と表記する
ジャーナリストの徐台教氏(左)と布施祐仁氏(右)
非常戒厳の現場で
布施 徐さんの著書『分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界』の最初に描かれている非常戒厳の夜、私も偶然、ソウルに来ていて、国会近くの居酒屋にいました。夜11時を過ぎたころ、非常戒厳が宣布されたことを知りました。それで、ひとまずホテルに戻ろうとしたんです。戻る途中、国会正門のほうを見ると、すでに人が集まり始めていました。私も向かうと、バババババッと超低空飛行の軍用ヘリが続々と国会敷地内に突入していき、国会正門前には武装した兵士を乗せた車両もやってきて、「戒厳下」を実感しました。『タクシー運転手』などの映画で見た軍が市民に発砲するシーンが頭に浮かび、反射的に周りを見渡して発砲があった場合にどこに身を隠すかを考えました。ところが、韓国の市民たちはそんなことを考える間もなく、軍の車両をあっという間に取り囲んで兵士たちが車から出てこられないようにしてしまいました。民主主義を守るため、身の危険を顧みない韓国市民の勇気には、心を揺さぶられました。

2024年12月3日、ソウルの国会前で軍用車両を取り囲む市民
徐 国会前には老若男女が来ていたというのも印象的でしたね。帽子をかぶった高齢の紳士は、「釜山で出席した結婚式からソウルに戻る電車の中で非常戒厳のニュースを知り、国会前に駆けつけた。ヘリから兵士が降りてくる場面を見て、大変なことになると思った」と言っていました。そのフットワークの軽さが、権力を独占しようとする試みに対する韓国社会の復元力を表しているようでした。
布施 非常戒厳が解除された夜中過ぎ、雪が降ってきて寒いのに若い人たちが国会前に残って、代わる代わるスピーチをしていましたね。私はその内容まではわかりませんでしたが、「民主主義」という言葉は日本語とほぼ同じ発音で、それが何度も聞こえてきました。若い人たちが、こういう現場に来て民主主義について語っている姿は、ものすごく輝いて見えました。
徐 あの時「民主主義」とともに、何度も発せられた言葉は「光州」でした。1980年に光州で市民が戒厳軍に立ち向かったように自分たちもやるんだ、と。歴史というのはこうやって人々の中に生きているんだな、とあらためて感じましたね。そして、通信が遮断されて孤立した光州とは違い、今回の一連の動きはネットを通じてリアルタイムで世界に伝わりました。
布施 翌日、国会内で非常戒厳解除の決議に参加した野党議員と話す機会があったのですが、彼は「自分はここで撃たれて死ぬかもしれないと恐怖を感じた。でも、あそこで頑張れたのは、国会の外に多くの市民が集まってきていたからだ。韓国国民を誇りに思う」と話していました。韓国では、市民も、政治家も、「民主主義は市民が支えるもの」という考えが血肉になっていますね。
徐 そうですね。さらに、今回は発砲しなかった軍隊も、民主主義社会を体現していたと思います。戒厳軍は作戦も知らされず、上官から行けと言われて行っただけだったので、市民の抵抗する姿を見て自分たちが間違っているんじゃないかと感じたわけです。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)は、あくまで警告用の戒厳令であって本気ではなかったと自己弁護しています。でも、その後の調査で明らかになった事実はまったく違う。「国会議員を国会から引きずり出せ」などと言っていたわけですから。これはまだ韓国のメディアにも出ていないのですが、戒厳の時、当時の国会議長は「今晩、戒厳を解除できなければ終わりだ」と言っていました。解除に失敗していたら45年前に戻っていた。それぐらい、ほんとうに切羽詰まっていたわけです。