筆者(戦場ジャーナリスト)の友人で、国際的にその名を知られるパレスチナ自治区ガザ出身の学者・ジャーナリスト・活動家のシャハッド・アブサラマさんが昨年(2025年)末、来日し、広島にも訪れた。シャハッドさんとの対話や、ガザでのジェノサイド、ウクライナ侵攻、イランへの先制攻撃など、国際法が蔑ろにされる国際情勢を踏まえ、「核廃絶」「平和主義」を掲げる日本への提言とする。

広島平和記念公園を訪れたガザ出身のシャハッドさん。筆者撮影
「かつて広島で起きたことは、今、ガザで起きていること」
2023年10月からのイスラエル軍による、いわゆる「ガザ攻撃」――その実態は一方的な破壊と虐殺――について、シャハッドさんは中東や米国のメディアで記事を執筆したり、インタビューを受けたりしていた。彼女自身はガザ外にいたものの、現地の自宅と何人もの親戚を失っている。2009年の1月、ガザを取材で訪れた際に、私はシャハッドさんの兄と一緒に仕事をしたことで、彼女と出会い、以来、連絡を取り合ってきた。2023年10月以降、イスラエルは日本も含む外国のジャーナリストのガザへの立ち入りを禁止したため、現地の状況を日本で語ってもらうべく、私はシャハッドさんを招聘。昨年12月、シャハッドさんは来日し、国会で超党派人道外交議員連盟の総会、専修大学などで講演を重ねた。また、彼女の強い希望もあり、被爆地・広島を訪れた。そこでのシャハッドさんの反応に、日本が「反核・平和」を訴える意味を、私は考えさせられたのだった。

議員会館で開催された超党派人道外交議連の総会で講演するシャハッドさん。筆者撮影
一般的に、米国やその支援を受けているイスラエルに酷い目に遭わされ続けてきた中東の人々にとって、原爆を落とされた広島は共感の対象だ。私がパレスチナやイラク等での取材時に「日本から来た」と言うと、現地の人々が「オー、ヒロシマ、ナガサキ」と言って握手を求めてくることは、もう何度も経験している。ただ、シャハッドさんにとっては、自身の家族・親族のことを重ねざるを得なかったようだ。そして、広島の原爆の悲劇を受け入れる心の余裕はなかったのだろう。平和記念資料館で原爆の惨禍を目にして、彼女は涙を流し続けていた。シャハッドさんは、「私にとって、これは歴史上の出来事ではありません」と言う。
「かつて広島で起きたことは、今、ガザで起きていることです」
ガザでは核兵器は使われていない。だが、イスラエル軍は、男性も女性も、子どもも老人も、非戦闘員の一般市民を皆殺しするかのように無差別に攻撃し、命を奪った。ガザの街並みは瓦礫の山と化し、かつての面影はどこにもない。シャハッドさんは「イスラエル軍は凄まじい量の強力で大型の爆弾をガザに投下しました。その総量は、広島に投下された原爆のそれをはるかに超えるものです」と言う。実際、諸説はあるものの、ガザに落とされた爆弾の総量は、TNT火薬に換算すると少なくとも広島型原爆の6倍に達する、と中東の各メディアが報じている。
「志葉さん、あなたが15年前に訪れた、私が家族と暮らしていた家も、もうありません。何度も爆撃されて瓦礫となりました。周囲の家々もすべて破壊されました」(シャハッドさん)
地獄絵図となった生まれ故郷・ジャバリア難民キャンプ
シャハッドさんの生まれ故郷であるガザ北部の人口密集地、ジャバリア難民キャンプはガザ攻撃開始から幾度もイスラエルによる激しい攻撃にさらされてきた。彼女の従兄で、現地で取材を続けるジャーナリストのマフムード・アブサラマさんが撮影した映像をシャハッドさんは見せてくれたが、その惨状は、これまで幾多の紛争地を取材してきた私にとっても、衝撃的なものだった。「難民キャンプ」という言葉のイメージとは異なり、1948年のイスラエル建国以来、多くの人々が逃げ込み数世代にわたり暮らしてきたジャバリア難民キャンプは住宅ビルが立ち並んでいたが、映像では、その住宅ビルが何棟も丸ごと吹き飛んでいた。そこの住人と思しき男性が「私の子どもたち! 3人の子どもたちが死んでしまった!!」と絶叫し、天を仰ぐ。別の男性は瓦礫の中を動転した様子で駆け回り、回収された遺体の中から、家族のそれを探していた。泣き叫ぶ子ども、瓦礫の中から運び出される小さな遺体。まさに地獄絵図だ。