新しい高齢者医療制度とは
新しい高齢者医療制度は、後期高齢者医療制度だけを指すのではない。健康保険(健保)や国民健康保険(国保)の医療保険者間で行われる前期高齢者医療費の負担調整と、独立の後期高齢者医療制度から成っている。65歳から74歳までの前期高齢者は健保や国保に加入を続けるが、国保は定年後のサラリーマンOBの流入などで前期高齢者の加入割合が高いことから、現役世代の負担割合が同じになるよう、健保から国保への財政調整が行われる。これに対し、75歳以上の後期高齢者は、健保・国保から離脱し、都道府県ごとに設立された市町村の広域連合が運営する後期高齢者医療制度に加入し、そこから医療の給付を受けることになる。以前の老人保健制度では、75歳以上であっても健保や国保に継続して加入したままであった点が違う。制度設計の無理
スタート早々批判を浴びたのは、この後期高齢者医療制度である。国民の批判は、その名称や事務の不手際、年金からの保険料天引きなどに集中した感があるが、実は問題の本質はそこではない。「国民皆保険」といいながら、傷病リスクの高い高齢者を、健保や国保から追い出して独立の保険制度にするという制度の基本設計自体に無理があったのだ。保険というものは、リスクの高い人と低い人を一緒にするから成り立つのであって、リスクの高い人ばかりでは保険料が高くなり過ぎて成立しない。後期高齢者医療制度はこうした無理をしたために、後期高齢者の保険料は1割とし、9割は公費(税金)や健保・国保からの支援金(74歳以下の保険料)という財源構成にせざるを得なかった。
今後も増加する高齢者医療費を支えるには、この3つの財源による収入を確保する必要があるが、引き上げや増額はそう簡単ではない。後期高齢者保険料は原則として基礎年金からの天引きであるから、引き上げには抵抗があるし、高齢者医療費のために現役世代の保険料を引き上げることも次第に難しくなるだろう。結局、給付割合(現役並み所得のない者で9割)や診療報酬の抑制により、高齢者医療費を抑え込むことになるのは必至で、その結果、高齢者の医療サービスは次第に劣化していくだろう。「医療崩壊」は、後期高齢者医療において一層先鋭化するおそれがあるのだ。
それでは、このような“姥捨て山”になるおそれのある後期高齢者医療制度が、なぜできてしまったのだろうか。今までの老人保健制度は、老人医療費を公費のほか、健保・国保が加入者数に応じて“公平”に負担する拠出金で賄うというものであった。しかし、この拠出金は自分たちの医療費のために集めた保険料から他の制度へ拠出する制度だから、進んで出したいというものではない。とりわけ加入者数に応じて算定されるために、負担増となる健保加入者の不満は強くなる。このため、高齢者を健保や国保から切り離して独立の保険制度とすべしとの主張が出てきて、それが後期高齢者医療制度につながったのである。
公平な負担か納得のいく負担か
この老人保健制度の拠出金はどこに問題があったのだろうか。拠出金は健保・国保の加入者数に応じて算定され、これは“公平”な負担であるとされてきた。確かに所得捕捉の難しさを前提とすれば、加入者数に応じた頭割りという方法は数学的には“公平”である。しかし、そこに“納得”はない。社会保険は集団の構成員間に働く仲間意識を基礎とするとき、最もよく機能する。それは“納得”があるからだ。ところが、老人保健拠出金の場合、負担が軽減される国保加入者はともかく、健保加入者から見れば、単に頭割りで算定され、国保加入者の分まで持たされるとなれば、納得はしにくい。後期高齢者医療のような“姥捨て山”になるおそれのある制度をやめ、高齢者医療費の負担について“納得”のいく制度をつくるとしたら、老人保健制度のような機械的“公平”による方法ではなく、サラリーマンOBを国保に追いやらないで現役世代のサラリーマンがその医療費を負担するという仕組みが考えられる。その場合、個々の健保ではOBの所在や所得の把握ができないから、厚生年金などの雇用されている人が加入する被用者年金の受給者という形で一括して扱うことが現実的である。すなわち、被用者年金受給者を対象とした健康保険を制度化し、その費用を被用者年金受給者の保険料と被用者年金の被保険者(現役サラリーマン)の負担で賄うのである。
国保の安全ネットの強化
今、国民皆保険の危機は、高齢者医療より国保において深刻である。低所得の非正規雇用者の多くが健保から国保に移り、失業や破産をした人が増えるに従って保険料を滞納する者が増え、結果として保険料を上げざるを得ないという悪循環が生じているからである。そこで、被用者年金受給者の健康保険においては、国庫負担の一部と地方負担が不要となるから、それを危機にある国保に注ぎ込むことが考えられる。高齢者医療制度を“納得”に基づく被用者年金受給者の健康保険によって再編成し、劣化している国民健康保険の安全ネットを公費によって強化する。これが、現在求められている処方せんではないだろうか。