「理不尽な人々」の登場
モンスターペアレント――教師や学校に対し、自己中心的で理不尽な要求やクレームを繰り返す保護者を意味する和製英語だ。かつての「キレる17歳」を思い出させる、なかなか刺激的な命名である。2007年夏に教育者の向山洋一氏が造語した新語だが、その年末から08年にかけて急速に浸透し、2月にはNHK「クローズアップ現代」が特集、7月にはテレビドラマ化(フジテレビ系)もされた。もっともこうした問題は、数年ほど前から、大阪大学の小野田正利教授らが「親のイチャモン」の増加として指摘し、文部科学省も調査を行っていた。さらには、多くの人が指摘する通り、1990年代末からの、企業に対する「クレーマー」の流れに連なる現象とも思われる。医療機関に対しても、同様の「モンスターペイシェント」が問題視されるなど、社会的なすそ野は広い。
これらの「理不尽なクレームをつける人々」はどの程度増えているのか、その時代的な背景は何か。
まず、95年の製造物責任法(PL法)施行が起点の一つにあげられる。欧米諸国の動向に合わせ、製造物の欠陥に関する損害賠償において、消費者の立場をより有利にした。
そして99年、有名な「東芝クレーマー事件」が起こる。製品不具合について問い合わせた会社員に対し、「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ、もう。クレーマーっちゅうのお宅さんはね」という発言がホームページ上で音声で公開され、瞬く間に数百万アクセスを集める大反響を呼んだ。
負の感情が生み出す「モンスター」
大手百貨店で長年「お客様相談室」を担当してきた関根眞一氏が2007年に刊行した「となりのクレーマー」(中公新書ラクレ)は、豊富な具体例と助言で話題を呼び、同名でドラマ化もされた(08年1月、フジテレビ系)。「クレームは宝の山」と積極的に捉え、顧客側に立って処理することで迅速に解決できるという。「クレーマー」現象の社会的な背景として、関根氏は経済のグローバル化や格差拡大をあげているが、妥当な指摘と思われる。企業側の対応者に罵声を浴びせる、夜中でも繰り返し電話する、呼びつけるといった非常識的な行動は、消費者の権利意識の高まりというだけでは説明困難で、心の底に何か大きな感情的負荷があることを感じさせる。
世界的にも、公共の交通機関での乗務員らに対する暴力事件(飛行機ではエアレイジと呼ぶ)が増加傾向にある。過酷な競争と市場主義にさらされた人々の不安と鬱屈(うっくつ)が、時に立場の弱いサービス業従事者に向けて噴出する、という構造は大いにあるのではないだろうか。
さて「モンスターペアレント」だが、これら「クレーマー」とある程度通底しながらも、相手が従来は権威者であったはずの学校や教師だという特殊性がある。
文科省の調査によれば公立の小・中学校教員の7割以上、小野田教授らの調査では9割近くが保護者や地域住民との対応が難しくなったと実感しており、この傾向は1990年代後半から強まっているという。標的となった教師がうつで休職に追い込まれたり、自殺するといった事件も発生している。数的にはごく一部の「モンスターペアレント」だが、多大な存在感と影響力を発揮しているといえよう。
「最後のとりで」が破られる!?
保護者による自己中心的で理不尽な要求やクレームの典型として、次のような例がよく挙げられる。先生の教え方/指導が下手だから代えてほしい、うちの子供をいじめた生徒をクラス替え/退学させてほしい、うちの子供が他の生徒に比べて遠足の写真に写っていない、うちの子供が朝弱いので、毎日電話をかけて起こしてほしい、等々。
一見して「『自子』中心主義」(小野田教授)が目だつ。また「プロ教師の会」からは、保護者の過剰な消費者意識を問題視する声があがっている。例えば評判の良いベテラン教師以外が担任になると、他の受益者と比べて「不当な損」としてクレームしたくなる、というのだ。
確かに、グローバルな競争と格差拡大が懸念される今、子供の教育を「投資」という経済用語で捉える感覚が、ますます強くならざるをえないのも事実だろう。企業への「クレーマー」と同じ影がここにも差している。もちろん経済的な側面がすべてではないが、それをも包摂する全体的な教育像に関して、ますます混迷が深まっているように思える。
従来、親は子供をいわば「人質」にとられた弱い立場という感覚が、学校の秩序を支えていた。いや、学校だけではない。男は結婚で信用が高まるというひと昔前の感覚のように、日本では家族、特に子供という枷(かせ)が、対社会的なミーイズム(自己中心主義)を抑制する鍵的役割を担ってきたのではないか。
しかし、2006年ごろから騒がれだした「給食費を払わない親」問題で発覚したのは、知らぬまに学校の方が「人質」をとられる側――未納なら給食を停止、という措置が教育上とりにくい――という逆転現象だった。
文科省の調査によれば、給食費の未納は、全国の小中学校の生徒の約1%にみられるにすぎない(05年度)。だが、この問題は、数字をはるかに超えて人々の怒りを噴出させた。理由の一つは、少し前から年金の未納問題が先行しており、フリーライド(ただ乗り)への社会的な懸念が増幅されたことだろう。
さらに根本的な要因は、世間の目が抑制力を喪失しつつある昨今、子供がミーイズムの最終的な枷として機能しなくなったら日本はどうなるのか、という奥深い恐れではないだろうか。
「モンスター(怪物)」という感情的な呼び名を生み出したのは、こうした潜在的な社会意識なのかもしれない。