「温暖化対策」の説明力は十分か?
今、環境対策で一番必要なこと、それは温暖化対策の説明力だと思う。「IPCC第4次報告書」が2007年に出され、京都議定書の実行期間が08年から始まり、また同年に洞爺湖サミットが開かれ、福田康夫首相(当時)が「2050年までに温暖化ガスの排出量を現状の60~80%削減」という高い目標を掲げて臨んだことから、温暖化問題は、最も重要な環境問題と位置づけられただけでなく、最大の政策課題となった。我が国のみならず、国際機関や他の国でも温暖化問題は、もちろん大きな問題になっているが、日本のように、急に降って湧いたようなブームにはなっていない。
政府の高い目標値と、国民の冷めた視線
日本は、2050年までに温暖化ガス排出量の大幅削減という高い目標を掲げたが、12年までに履行すべき京都議定書第1約束期間での約束は、1兆円近い支出をともなう排出権取引をしない限り、履行できないことが明らかであるし、50年の目標値は高いが、それに到達する道筋ははっきりしないので、国際社会で日本の評価も高くはない。国内で見ると、表面的にはブームなのだが、意外と冷めた雰囲気が社会の底流にあり、今後、もし経済状況が下向きになれば、優先課題から外れて、結果的には関心がさらに薄まっていく雰囲気がかもされることも予想される。温暖化対策が国民生活、特に経済弱者の生活に直接的な打撃を与える面があるからである。こういう状況では、とても温暖化対策は継続できないのではなかろうか。継続のためには、個々の温暖化対策に「説明力」が必要だと思う。
「温暖化対策の説明力」とは何か?
温暖化対策の説明力とは何だろう。温暖化に限らず、環境問題は本質的に複雑であり、どういう対策がいいかを決めるのは実は非常に難しい。人間は環境を利用し、そのために一定程度環境を破壊することなしには生きていけないが、破壊が進めば、人間の生活が脅かされるという関係にあるからである。環境問題はすべての活動や生活に原因があり、多岐にわたっており、一つの環境問題と別の環境問題とが相互に関係しているので、ある環境問題を解決しようとすれば、他の環境問題が浮上したり、生活がなり立たなくなったりするので、その点に注意した管理原則は必須である。
そういう管理原則として、筆者は以前から、環境リスク論というものを提案してきた。環境リスクとは、環境影響の大きさを数値で評価した結果であるが、提案の内容を一言で言えば、ある対策を実施する場合の環境リスクの削減量と、その対策実施のために必要となる費用とを比較し、[削減されるリスクの大きさ]を[費用]で割った値が、「一定値」以上で、かつより大きい方から対策を実施すべきというものである。
ここで、[削減されるリスクの大きさ]とは、削減対象になっているリスクと、その対策によって生じてしまうリスク(拮抗リスク)の差であり、[費用]とは、金銭的なことだけではなく、不便さとか資源の希少性を考慮した付加金(社会的に決まる)などである。
まだ、こういう方法が一般化しているわけではないが、こういう考え方を用いないと、複雑な環境問題の中でどれが重要なのか、その対策にどの程度の費用をかけるべきか、不便さを我慢すべきかの判断が難しいので、この考え方は少しずつ浸透しつつある。
「温暖化対策」の環境リスク
筆者は、温暖化問題にもこの考え方が必要だと考える。本来、この原理を適用するためには、温暖化による被害の大きさと、それを取り除くための費用の算出が必要である。IPCCの報告書などの予測に基づいて、想定されるリスクの大きさの積算ができないわけではないが、予測の不確実性が余りにも大きく、政策の基礎にするには無理がある。そういう場合には、温暖化によるリスクの大きさそのものの評価をせずに、複数の温暖化対策の中で、温暖化ガス排出量削減効果の推定をする(これはすでにできている)。
後は、その温暖化対策により生ずる拮抗リスクの大きさと費用の見積もりである。拮抗リスクは、これまでの経験に基づいて、金銭評価で割り切ることで、概略の推定はできる。このようにして、どの温暖化対策が効果的かという比較ができるし、また、費用を算出することで、国民生活への影響も評価できる。この結果を、国民にきちんと見せる必要があると思う。現在、意図的か否かは分からないが、費用負担や社会への影響について余りにも説明がない。
「温暖化対策」はどこまで進められるべきなのか?
この場合、例えば1tの温暖化ガスの排出がもたらす環境リスクの大きさについての考察をしていないので、温暖化対策の中の比較はできるが、そもそも、どこまで温暖化対策を進めるべきかについてははっきりしない。それは、二酸化炭素排出による影響の予測の不確実さに起因するものであるが、その欠陥は当面それほど大きな問題にならないと考えている。なぜなら、温暖化対策は、そのことによる社会的な影響が大き過ぎて、当面は、「どこまで下げるか」よりは、「どういう方法なら、どこまで削減するか」の対策の内容の検討がずっと大きな問題だからである。
少なくとも、こうした方法などにより、国民の目に見えるような努力を傾けることが、「説明力」の一つになるものと考えられる。
環境リスク
(environmental risk)
環境を媒介とした人の健康へのリスクと自然環境や気候へのリスクのこと(後者のみを指す場合もある)で、その影響を定量的に評価したものをいう。1993年の環境基本計画から法的な公式文書から使われている。