世界一厳しい日本の臓器移植
重い心臓病や腎臓病などで臓器の機能が失われた人にとって、臓器移植は命をつなぐ最後の手段だ。臓器移植には、脳死または心停止した人から臓器の提供を受ける脳死移植、心停止移植、健康な人から生命に影響のない範囲で提供を受ける生体移植、組織・細胞移植がある。このうち、脳死または心停止下での臓器移植を規定したのが、1997年に施行された臓器の移植に関する法律(臓器移植法)だ。しかし、そこに決められたルールは「世界で一番厳しい条件」といわれ、書面による本人同意を必須条件とし、民法上の遺言可能年齢である15歳以上に限るという制限が設けられた。
現在、日本で移植手術ができる主な臓器は心臓、肺、肝臓、腎臓、小腸、眼球だが、とくに心臓や肺、小腸などは脳死下の人からしか提供が受けられない。日本における脳死下での臓器提供を見ると、99年の第1例以降、年間数~10数例で推移してきた。それにともなって脳死移植も、臓器移植法施行から10年以上を経て81例しか行われていない。年間の心臓提供者数は、本人の意思表示を必要としないスペインは100万人あたり12.5人であるのに対し、日本はわずか0.05人である。
移植手術を求める約1万2000人の患者は、ゴールの見えない順番待ちを続けるか、高額の費用を払ってでも海外で手術を受けるしかなかった。とくに乳幼児は、体格にあった臓器の提供を国内で受けられる可能性がほぼなく、渡航移植を余儀なくされてきた。厚生労働省が2006年に公表した調査では、同年3月までに少なくとも522人の日本人が海外で移植を受けている。
最大焦点は「死の定義」の見直し
そうした中、世界的な臓器提供の低迷を解決すべく、各国に対して移植臓器の自給自足を求めるイスタンブール宣言を、国際移植学会が08年にとりまとめた。それを受けて、世界保健機関(WHO)も臓器移植に関する指針改訂案の採択を決定。この改訂案が当初、日本では「渡航移植を禁止、制限するもの」と誤った内容で伝わり、法改正を急ぐ動きにつながった。実際、WHOの指針改訂案は自国内での移植機会の拡大を求めたもので、渡航移植を制限する記述はない。しかも新型インフルエンザ対策を優先して採択自体が1年延期されたにもかかわらず、国会の動きは変わらず、法改正案の採択へと一気に進められた。
最終的に成立したのは、いわゆる「A案」と呼ばれた法案。本人の意思表示がなくても家族の同意だけで臓器提供でき、年齢制限も撤廃するというものだ。このほかにも、本人同意は現行法のままで提供年齢だけを引き下げる案、脳死判定の基準を厳格化する案など、3つの法案が出されたが、いずれも臓器提供の増加が限定的という理由から賛同を集められなかった。
また、法改正よる「死の定義」の見直しも焦点となった。現行法は、臓器移植が実施される場合のみ「脳死を人の死」としているが、A案はその条文から「移植に使用するため」との文言を削った。そこでA案を採用すると、移植と関係あるなしに関わらず、脳死判定が死亡宣告になってしまう、という懸念が叫ばれたのだ。
これに対し、衆議院法制局は「臓器移植法は臓器移植の手続きについて定めた法律で、その手続き以外に法律の効力はおよばない」との解釈を説明。移植以外の脳死判定に基づく死亡宣告は、法律上もありえないとした。
臓器移植の未来は描けたのか
改正法が2010年7月に施行されると、本人が生前に提供を拒否していなければ、家族の同意で臓器の提供が可能になる。子どもからの提供も始まる。A案を推進した人たちは、臓器提供数は年70例ほどに増えると試算する。試算通りになれば、移植を待つ人たち、とくに子どもにとって長く待ち望んだ移植機会の拡大になるだろう。しかし、一方では「臓器提供数は、あまり増えないだろう」との声も根強い。
昨今、脳死患者の発生が多い救急医療現場においても医師不足は深刻化している。このため専門家は、「慢性的な人手不足の状況下で、臓器提供の同意を得るため脳死患者の家族に説明を行う手間や判定作業のための拘束時間など、現場医師の負担を考えると、たとえ法改正されても簡単には提供数は増えない」と指摘する。
そもそも、日本人は臓器移植に対する関心が低い。現行法でも、腎臓は心停止後であれば家族の同意だけで提供できる。それでも提供数は限られ、生体移植に頼る患者が多い。おそらく自分自身や家族の命について話し合う機会が少ないうえ、死生観も影響しているのだろう。
15歳未満の子どもの臓器提供についても、課題は残る。子どもの脳は回復力が強く、脳死判定が難しいという。脳死状態になっても一定期間、心臓が停止しない長期脳死と呼ばれる状態になる子どももいる。虐待で脳死状態になった症例を見分けることも容易ではない。
臓器提供後、提供に同意したことへの葛藤で苦しむ家族も多い。しかし、それらをサポートする仕組みが日本にはまだない。WHOの指針改訂案の主眼である、臓器売買を誘発しやすい生体移植や組織・細胞移植の規制に対しても改正法は一切対応していない。
臓器提供数の着実な増加を実現するには、医療現場の体制整備と、提供者家族や移植を受ける患者を支える仕組みが不可欠だろう。そのうえで、「臓器提供者がいて初めて移植が始まる」という、移植医療の大原則を、もう一度国民が共有することが求められている。