◆「日本の存立」とは関係ない
集団的自衛権をめぐる政府・与党内の議論が大詰めを迎えている。報道をみると、「日本の存立に関わるような場合」に限定してその行使を認める解釈変更を行うという議論が自由民主党内で大勢を占めている。一方、公明党内の慎重論に配慮し、与党協議では、いわゆるグレーゾーン事態、すなわち日本の主権に関わる問題であって、集団的自衛権とはまったく関係のない問題の議論が先行している。これは、集団的自衛権の行使が容認されれば日本が海外で戦争することになるという批判が強まり、国民のなかに懸念が広がっていることへの、彼らなりの対応であろう。しかし、こうやって「世論対策」として集団的自衛権をごまかして扱えば扱うほど、リアリズムから遊離した議論になっていく。
集団的自衛権とは「ある国が攻撃されたときに、その国と密接な関係にある国が共同で防衛にあたる権利」とされてきた。つまり、他国に対する武力攻撃が発生したときに、攻撃されていない日本がどう対応するのかという問題である。そもそも「日本の存立に関わる」話ではないのだ。
それを無理矢理に結びつけようとして、「日本防衛の任についている公海上のアメリカの艦船が攻撃され、それを助けないと次には日本が標的となるような事態も考えられる」という議論も行われている。けれども、アメリカの次は日本だということが明白に分かっているなら、集団的自衛権ではなく日本の個別的自衛権で対応する事態である。逆に、次は日本だということが分からないならば、日本の存立に関わる話だとはいえない。アメリカ本土に向かうミサイルを迎撃するために集団的自衛権行使が必要だという議論もあったが、日本からどんどん離れていくミサイルに追いついて破壊する能力は、どの国も持っていない。グアムに向かうミサイルは日本に近づく局面があるが、日本に落ちてくるミサイルよりも高高度を高速で飛行するため、日本のイージス艦では撃ち落とせない。そのことを指摘されると、自民党の石破茂幹事長も近著で、「できません」と認めた。政府は、日本の存立や同盟国であるアメリカの存立を真剣に考えているのではなく、解釈改憲を成し遂げるため、国民のいのちに関わる防衛問題をもてあそんでいるとしか思えない。
そのように思えるのは、集団的自衛権が発動されてきた歴史をみると、「国の存立」など関係ないという現実にまみれてきたからだ。助けようとした国の存立どころか、「攻撃された国」の存立さえ関係なかったのである。
◆実態は軍事介入の「名分」だった
冷戦期、集団的自衛権の行使を掲げて軍事行動を展開した国は、合計で4カ国ある。アメリカ、ソ連、イギリス、フランスという超大国、軍事大国ばかりだ。政府は、集団的自衛権というのは世界中の国が行使できる権利だと強調するが、これを行使しようとすれば、艦船や軍用機で海外に軍隊を送り込み、本国から継続的に後方支援をしなければならない。軍事大国にしか行使できない権利なのである。
もちろん、そういう軍事大国による権利の行使であっても、「攻撃された国」を助けてくれるのならありがたいことである。しかし、現実はそうではなかった。
世界で最初に集団的自衛権を行使したのはソ連である。1956年、ハンガリーではソ連から離れた自由な国づくりが模索されていたが、ソ連が軍事介入し、親ソ連路線に逆戻りさせた。国際的な批判が高まったが、それに対してソ連は、国連憲章第51条にある集団的自衛権を行使したのだと開き直ったのである。
ソ連が集団的自衛権を行使したと述べたのは、あと2回ある。ひとつは、あの「プラハの春」を戦車で押しつぶした68年のチェコスロバキア侵略である。もうひとつは、79年のアフガニスタン侵略であって、ソ連との軍事同盟を拒否して非同盟路線を歩もうとした首相を殺害した行為である。「攻撃された国を助ける」のが集団的自衛権だといわれる。実際、国連憲章第51条にはそう書かれてある。しかし、ソ連による実際の発動をみれば、「攻撃された国を助ける」どころか「攻撃を仕掛ける=侵略する」ものでしかなかったのだ。
アメリカにしても同じようなものである。最も有名な事例はベトナム戦争だ。誰もが侵略戦争だと思い、世界中で反戦運動が高まったので、アメリカ政府は釈明を迫られることになる。66年3月、国務省は「ベトナム防衛に合衆国が参加する合法性」と題する報告書を公表したが、そのなかで、アメリカの戦争は国連憲章で認められた集団的自衛権の行使だと表明したのである。
83年にアメリカは、東カリブ海諸国機構による集団的自衛権発動要請を受けて、島国グレナダに侵攻し、内戦によって成立したアメリカ寄りの政権を安定させるまで駐留した。アメリカは、79年にソモサ独裁政権を倒して新政権ができたニカラグアへの軍事介入についても、集団的自衛権の行使だと宣言した。
これ以外には、イギリスとアメリカによるレバノン・ヨルダン介入(58年)、イギリスのイエメン介入(64年)、フランスのチャド介入(86年)が、集団的自衛権の発動事例として知られる。しかし、これらの国も外部からの武力攻撃にさらされていたわけではない。内戦が勃発し、政権が脅かされていたので、それに軍事大国が介入したのである。
集団的自衛権を規定した国連憲章第51条は、勢力圏を維持しようとする軍事大国の思惑によって設けられた。その際、「攻撃された同盟国を助けるため」ということが建前として掲げられた。しかし実際には、その同盟国が勢力圏から離脱するという局面に至った時に、軍事大国が「この国はもともとオレの勢力圏だ」として軍事介入する名分に使われてきたということなのだ。
◆その克服こそが世界的課題
政府・自民党は、国連憲章には個別的自衛権も集団的自衛権も同じ位置づけで規定されていることをもって、集団的自衛権は自明の権利だと主張する。しかし、集団的自衛権は濫用されてきた権利である。だから、国際社会はこれを制約するために努力してきた。
ソ連のハンガリーとアフガニスタンへの介入、アメリカのグレナダ介入では、国連総会がこれを国際法違反だと決議した。アメリカのニカラグアへの介入に対しては、国際司法裁判所が国際法違反の判決を下した(86年)。
国際司法裁判所はこの判決で、集団的自衛権に独自の制約を加える判断を示した。国際法上、自衛権の発動には三要件が必要とされている。(1)急迫不正の侵害があること、(2)他に防衛する手段がないこと、(3)必要な限度にとどめることである。司法裁判決は、集団的自衛権の場合はそれでは十分ではないとして、これに、(ア)攻撃された国が攻撃されたと宣言すること、(イ)攻撃された国から支援の要請があること、という二つの要件を加えた。過去の集団的自衛権行使が、どこからも攻撃されたことのない国に対して、その国からの要請もないのに軍隊を送り、侵略するのが実態だったことをふまえたものだといえよう。
集団的自衛権は軍事大国による世界分割の論理だったから、冷戦が終わると大きな変化が生まれる。イラクのクウェート侵略(90年)、9.11テロ(2001年)に際して、国連安全保障理事会が決議を採択し、全常任理事国が賛成して集団的自衛権の行使を認めたことにみられるように、実際に侵略が起きた時に、国連加盟国すべてが行使する権利として位置づけられたのである。しかし、集団的自衛権の発動でタリバン政権が倒されたアフガニスタンの混迷した現状を見るだけでも、この権利はいまなお世界平和にとっての深刻な阻害要因になっている。これをどう克服するのかが、世界的な課題である。
ところが、安倍晋三首相のめざす集団的自衛権とは、攻撃されたアメリカをどう助けるかという見地に終始していることにみられるように、冷戦の論理、勢力圏の論理をひきずったままである。しかも、冒頭に述べたように、日本防衛やアメリカ防衛を真剣に考えるのではなく、ただただ憲法解釈の変更という「大きな仕事」をやったという「誇り」を手にしたいという気持ちから生まれただけのように思える。国民のいのちがかかった問題を、このように扱ってはならない。