被害者は推定5万4000人
人身取引は、いまや欧米では麻薬に次ぐ世界第2の犯罪産業とされ、「現代の奴隷制」とまで言われる。他人の自由を奪い、暴力や脅しを使って強制的に働かせ、その利益を搾取する行為である。藤原さんが代表をつとめる「ライトハウス」(旧称ポラリスプロジェクトジャパン)は、そんな人身取引の被害相談窓口を設置する団体。これまでに救助してきた人は、未成年から外国人まで多岐にわたる。
「未成年だけど、売春させられている」「だまされてアダルトビデオに出演させられそう」「風俗で稼いだお金を全部、彼氏にとられている」――。
「え、人身取引なんていうからどんだけ恐ろしいことかと思ったら、よくある話じゃん」と思ったアナタ。逃げるという選択肢がない状況で働かされても、おかしいと思わないように洗脳してしまうのが、この犯罪の恐ろしいところなのだ。
ライトハウスによると、現在、日本には推定5万4000人もの人身取引被害者がいるという。その実態について、藤原さんに話を聞いたのは2013年末。そこで衝撃を受けたのが、知的障がいや貧困がもとで人身取引被害にあった女性たちが保護されているという、婦人保護施設に関する話だった。
「彼女たちのほとんどが暴力被害を経験していて、女性の貧困と、暴力と、人身取引の結びつきが怖いくらいにわかる場所なんです。今度、ぜひ一度いらしてみてください。私がご案内しますよ」
そう誘ってくれた藤原さんと一緒に、14年4月、都内某所にある婦人保護施設を訪ねる機会を得た。
訪れた「ベテスダ奉仕女母の家 いずみ寮」は、春の陽光にパステルイエローの壁が輝く、開放的で明るい雰囲気の場所だった。パッと見る限り、普通のマンションのようでもある。玄関前の庭に、カラフルにペイントされた犬小屋があり、その横では老犬が毛布をかぶって眠っている。なんだか、ほのぼのしてしまうようないい光景だ。
壮絶な過去を抱えた女性たち
今日、お話をうかがうのは、施設長の横田千代子さん。以前は専業主婦だったが、社会福祉に出会い、指導員としていずみ寮に就職。以来、30年間にわたって多くの女性を支援してきた人物だ。現在は、全国婦人保護施設等連絡協議会の会長でもある。優しい雰囲気の女性で、施設に関する資料を準備して待ってくれていた。藤原さんは「いずみ寮は、他の全国の施設と比べても、とても先駆的なんですよ。設備はいいですし、施設長さんをはじめ職員の皆さんも温かいし」と、教えてくれた。
まずは、横田さんに施設の基本的なことを伺った。
いずみ寮の開設は1958年で、現在の定員は40人。入所中の女性は30人。10代から60代までいて、平均年齢は40.6歳。そのうち、知的障がいがある人は15人。ホームレス経験がある人は14人。また、夫や両親、兄弟などから暴力を受けてきた人は、じつに24人にのぼるという。
彼女らはどんな経緯を経て、ここにたどりついたのだろう。
「以前、18歳の少女を保護したことがあります。彼女は小学校低学年の時から売春をさせられていました。実母と、内縁関係の義父による強要でした。彼女には軽度の知的障がいがありましたが、それだけでなく、年齢的にも状況を理解できなかったのだと思います。保護された時、彼女の身体には広範囲にわたって刺青が入れられていました。親が入れたのです。それはもう、痛々しいものでした」
あまりの壮絶さに、ただただ言葉を失った。横田さんは「その傷の深さを認知できない親の未熟さに、怒りと悲しみで体がふるえました。その親だけの問題では終わらない、大人社会への怒りでもあったと思います」と唇をかみしめた。
「小さい頃からそういう環境で育って、精神が正常なわけないですよね。リストカットもしますし、『自分を大切にしなさい』と言っても、その意味がよくわからないんですね。
障がい、家族関係、暴力・性暴力被害からの回復、学習へのサポート、社会的就労など課題は山積みです。支援は大変ですが、なんとか彼女が自分の力で生きられるところまでこぎつけたいと思っています」と、横田さん。
この話を聞いただけでも、一体どこからどう「支援」したらいいのか、頭を抱えたくなってくる。そしてここには、それぞれ壮絶な過去を抱えた女性たちが30人もいるのだ。
日本には女性を守る法律がない
話を進める前に、婦人保護施設がどんなものか紹介したい。現在、全国には49カ所の婦人保護施設がある。1956年に制定された売春防止法と、2001年に制定されたDV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)が根拠法となって都道府県に設置されているが、任意設置のため未設の県もある。
DV防止法によって保護される人は、想像がつきやすい。しかし売春防止法というのは、どういうことだろう? DV以外の理由による入所者は、みな売春経験があるということなのか?と思ったら、そうではなかった。横田さんによると、単身女性を守る法律が、今の日本には売春防止法しかないのだそうだ。
「この法律、昔は主に売春している女性に適用されたのですが、何回かにわたって拡大解釈され、適用の対象が広がりました。たとえば居場所がなかったり、貧困だったり、生活に困難を抱えた女性たちが、その拡大された枠の中に入っているというわけです」
なんだか誤解を招きかねない根拠法である。横田さんも売春防止法には複雑な思いがあるようで、「廃止」を訴えている。
「仮称ですが『女性支援法』みたいな法律を作ろうと、国会議員の方たちにも働きかけています」
ちなみに、いずみ寮に入所する理由で一番多いのは、「知的障害等により生活困難、破綻、居所なし」というものである。
家族も面倒を見られず、ホームレス状態のこともあれば、家賃が払えなくなった時点で、各自治体の福祉事務所に周囲の人や本人からSOSが入ることもある。東京都の場合は、そこから福祉保健局内に設置された東京都女性相談センターの窓口に連絡が行き、「措置」という形で一時保護となる。このような「婦人相談所」は、各都道府県にある。
そこで仕事を紹介され就労する人もいれば、精神科に入院する人もいる。家族のもとに帰される人もいる。そうして行き場も働き口もなく、「支援が必要」とされた人たちが、いずみ寮のような婦人保護施設に預けられるという流れだ。
2番目に多いのは「夫、内夫、兄弟の暴力からの逃避」。数は少ないが、「5条違反」というのもある。5条とは、売春防止法第5条のことだ。内容は「勧誘等」で、売春目的で女性が男性に声をかけたり、客待ちをすると補導・保護の対象になるのだ。
婦人保護施設での日常生活
「5条違反で私たちの施設に来る女性の大半は、知的障がいなどの福祉的な支援が必要な人たちです」と、横田さんは言う。婦人保護施設
・売春防止法に基づき都道府県や社会福祉法人が設置し、また、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律に基づく保護も行う
・全国39都道府県に49か所(2013年度)
・要保護女子、DV被害者、人身取引被害者の保護、自立のための支援を行う
・施設職員の人件費、入所者の生活費について、婦人保護事業費補助金にて対応(国1/2、都道府県1/2、国庫予算額約12億円)