これはオウム真理教に関連する一連の事件のときもいわれましたし、東京電力福島第一原子力発電所事故のときもいわれたことですが、専門科学の情報処理や推論に長けた人の中には、社会の諸問題に向き合うための知的な基盤が弱い人が出てきてしまうが、本人たちはそれに気づいていないといった問題です。
そうしたことを防ぐためにも、専門分野を学ぶ前に、あるいは学びながら、広い視野を持てるような教育や討議の場を形作るのが大学の使命であり、それが充実すれば科学への不信も克服されていくのではないでしょうか。
他にも問題山積の大学
今の大学の問題は理系重視だけではありません。
この4月に施行される国立大学法人法の改正では、学長の権限が拡大され、経営協議会の委員の過半数を外部の人間にするという文言が加えられました。
大学の長たる者の権限が拡大されることは、どんな人物がなり、何をするかに影響されやすいということです。これは経営協議会の委員もまた然りです。学長が抵抗の拠点となる可能性もないではないが、政府や財界や官僚のいうことを聞く大学の執行部になってしまう可能性の方が大きいでしょう。
大学は文化共同体的な性格を持ち、そこでは学問に必要な知的自由だけではなく、社会的責任と不可分なものとして市民的な自由も尊ばれる。基本的人権の価値が重視される。これは時の政権にとっては必ずしも好ましくない場合もあります。だからこそ、国家が戦争に向かったり、間違った方向に向かったりした場合、大学が、政治的な動向とは違った物事の判断をすることができる抵抗の場のひとつになれるのです。
ところが、大学が弱い立場の人々から離れていく動きも強まっています。アメリカにはスチューデントローン、利子つき返済を前提とした勉学のための借金があります。当初の目的は貧富の格差による教育不均等の是正でした。しかしそのアメリカでローンを返済できずに負債に苦しむ人が増えているようです。格差拡充は、社会の底力を弱め、分裂を招き、連帯感を失わせ、潜在的に暴力を生むことにもつながります。日本でも、奨学金が返せず自己破産した人がいることがニュースになりました。そんな面でもアメリカに追従するのかと、暗い気持ちになりました。
地球規模でさまざまな困難に対峙(たいじ)しなければならない現在、多様な文化を相互理解しながら、人間らしく平和に生きていけるために、文化や価値の領域を適切に理解修得していく必要があります。その基礎を育むべき高等教育の場で、政府や官僚や大企業に都合のよい大学、即効性ある理系分野のみが優先される大学で学ぶのでは、物的報酬への希望はあっても、いのちの豊かさという点で情けない生活になってしまいます。
若い世代の問題は、日本の未来の問題でもあります。つまり大学の危機は、日本の将来の危機にもつながります。この問題を看過することで、効率ばかりが尊ばれ、いのちが軽んじられる社会へこの国を向かわせることのないよう、問いかけていかなくてはなりません。