小学校の頃から競泳で小学生の日本記録を作り、水泳の英才教育を受け、学費も免除してもらった。中学2年生で初めて日本代表になってからは、水着やジャージを支給されただけでなく、トレーナーや栄養士がついてくれて、最高の環境で練習できた。
しかし、海外遠征に行くたびに、泳ぎも下手くそで、ゴーグルも買えない途上国の代表選手たちに会った。聞くと、練習するプールがないのだと言う。これでは同じスタートラインに立っていないと感じた。そして、オリンピックという夢を叶え、恵まれた競技人生を終えたら、発展途上国の人々のために働こうと、高校生くらいのときに決めた。
マリの子どもたちの希望ある未来のために
だからといって、何かを我慢して10年以上、途上国で暮らしているわけではない。冒頭のように日本ではあり得ない優雅な暮らしをしているし、外の気温は40度以上でも、オフィス内はエアコンがガンガンきいている。外国人に囲まれた環境はハチャメチャで楽しいし、外国語もペラペラになるし、給料も休暇も多い。近隣国のターコイズブルーの海で泳いだり、ニジェール川の屋形船の上でおいしいワインを飲んだり、朝までパーティーしたりしていると、所詮、偽善者かという思いにさいなまれることは毎日のようにある。
マリは今年の世界銀行の「世界貧困指標」で182カ国中、下から7番目にランクされていて、学校に行けない子どもは1万2000人を数える。これらの子どもたちは、物乞いをしたり、小さな弟や妹の面倒を見させられたり、家事を手伝わされたりしている。
私の目下の目標は、この子どもたちが学校に行き、希望を持ち、将来、マリの平和を担う大人になることだ。2012年から勃発したマリ北部の内戦は、今も収まらない。15年5月15日、長く交渉を続けてきた平和協定が頓挫した。北部では毎日のように死者が後を絶たず、不満と恐怖と憎悪がエスカレートする。その環境で生まれ育つということはどういうことかを考え、彼ら彼女らが憎悪と暴力の連鎖を断ち切ることができる社会を作れるよう、的確で素早い援助を展開しなければ、と自分を奮い立たせる。
途上国の教育支援の現場で、今の私はまだ、地方大会の予選も通過していないのだ。