──とはいえ、今、お話に出た領土問題などは、両者がそれぞれの言い分を持って対立している問題ですから、お互いが一方的に自分たちの立場の正当性を主張し続けている限り、絶対に解決しません。話し合いで解決しようとすれば、当然、相手の言い分も聞かなければならないはずです。
学校教育の場において「わが国の主張はこうであるけれども、それと異なる主張をしている国もある」と言うのではなく、「わが国の主張が正しいのだ」という形に変えることは「立場の違いを話し合って議論する」という前提を教育が否定することになりませんか?
前川 まったくその通りだと思います。これは領土問題に限らず、歴史認識だってそうですね。社会科系の教科にはそういう問題があちこちに出てくるわけですが、そこで政府見解をそのまま教えなさい……なんて、これはもう全体主義国家の始まりです。
だから「竹島は日本固有の領土だ! はい、おしまい!」っていうような、そういう教え方をしちゃいけないんです。仮に教科書にそう書いてあったとしても「教科書にはこう書いてあるけれども、韓国政府はこう言っている」というように、対立する考え方を提示して批判的に思考するっていう、そういう態度を養うというのが大事なのであって、今、政治の世界で起きている様々な問題を見てもわかる通り、権力者や権威ある人から言われたことを、そのまま鵜呑みにするような、そういう人間ばかりになったら民主主義なんて機能しません。
そうやって「自分で考える」力を持った人を育てることが、本来のあるべき「主権者教育」なのであって、「これはこうである」っていう一方的な考え方を刷り込むような教育は、僕に言わせれば教育じゃない。
ところが、領土問題だけじゃなく、歴史認識なんかも「教科書に政府の見解だけを書け」というふうに教科書検定基準を変えてしまったんですね。ただし、文科省が作る「学習指導要領解説」という、現場の先生に向けた「学習指導要領」の解説書があって、そこにちゃんと「一方的な考え方を押し付けてはいけない」とか「考えて議論するということが必要だ」という、文科省のホンネ、あるいは中教審で議論した内容が書いてある。
ですから、仮に教科書には「政府見解」だけが載っていたとしても、実際の授業では先生が「他の国はこのように主張しています」と紹介しながら、生徒たちが議論できる余地を残してあるんです。まあ、こんな話をして「今後は教科書だけじゃなく、学習指導要領解説もしっかりチェックしなきゃ」って考える政治家が出てくると困るんですけどね(笑)。
──政治が教育の現場に直接手を突っ込んでくる……という意味では、先日、前川さんご自身が愛知県の公立中学で講演をされた際に、自民党の国会議員が文科省に圧力をかけ、名古屋市教育委員会に講演内容などに関して質問し報告を要請したという事件がありましたよね。
前川 政治が教育に手を突っ込むというのは、大抵、こういうやり方なんですね、要するに「騒ぎ立てる」。今回のように国会議員が騒ぎ立てる場合も多いのですが、怖いのは地方議会ですよ。あと、もっと怖いのが地方自治体の首長です。教育委員会に圧力をかけて「右の教科書」を採用しようとしたりしますからね。
防府市の松浦正人市長が会長を務める「教育再生首長会議」という団体があるのですが、彼らは教育、特に教科書の採択は教育委員会でも、現場の教員でもなく、選挙で選ばれた自分たちが決めるべきだと主張しています。「新しい歴史教科書をつくる会」から分派した団体で、安倍首相直属の諮問機関「教育再生実行会議」の有識者委員でもある八木秀次・麗澤大学教授が理事長を務める「日本教育再生機構」とともに、育鵬社の教科書採択を広める活動を積極的に展開しています。
また、現場の先生が領土問題や歴史認識について「いや、韓国政府はこういうことを言っているよ」みたいなことを言うと、県議会議員や市議会議員などの地方議員が「これは反日教育だ」と言って騒ぎ立てるというのもよくあります。そうやって、地方政治家が騒ぎ立てたり、あるいはPTAの役員がなんか文句を言ったり……と、「偉い人」が騒ぐと、学校側としては騒がれたくないので、それなりに萎縮効果がありますからね。
その点、今回の名古屋の中学校の件では、文科省の態度と市教委の態度との違いが際立っていましたね。文科省が一部の右翼的な政治家の圧力に屈して、教育現場への不当な介入とも言える動きをしたのに対し、市教委はそれを学校現場まで及ぼさないよう対応した。名古屋市教委の振る舞いは立派だったですよ。
──ちなみに、そうした「地方自治体の首長」や「地方議会」、あるいは「市民運動」の形で騒ぎ立てて、国政に影響を与えてゆこう……という手法は、保守系の政治団体「日本会議」が改憲運動などで行っている戦略とよく似ている気がします。
前川 似ているというか「そのもの」ですね。実際、国の形を教育から変えていきたいという勢力は、政治の世界でどんどん強まっている。おそらく日本会議に参加しているような人たちなんだけど、近年になって、こうした動きがはっきり出てきた。ただし、これって、本を正せば、これは戦後ずっとくすぶっていた問題でもあると思うんです。
つまり、日本という国も国民もあの戦争をきちんと清算していない。清算しないまま戦前的なものを残したまま戦後を始めてしまったから、きちんと害虫駆除していないんですよ。「害虫」という表現が強すぎるなら、日本を悲惨な戦火で焼き尽くした、その「火」をきちんと消し切らなかったために、その「残り火」が戦後70年を経て、今また、一気に燃え広がり始めている状態とでも言えばいいのかな。
例えば学校で「道徳」の時間が始まったのは、「安倍首相のおじいさん」である岸信介内閣のときで、1958年から週1回の「道徳」の時間が始まっていますけれども。あれも松永東(とう)という文部大臣の鶴の一声によって、学習指導要領の後づけで作ったもので、その背景には戦前の「修身」の復活という、右派政治家の執念みたいなものがあったわけですね。それが、この4月から始まった「道徳の教科化」へとつながっている。