結婚後、女性が結婚する前の姓を名乗る「通称使用」(「旧姓使用」とも言う)はかなり定着してきている。それは、結婚後の改姓で被る不利益や不満が社会に少なからず存在していることを意味しているのではないだろうか? 自分の名前で自分らしく生きたいという願いから「夫婦別姓」を求める女性たち(もちろん、男性もいる)が、2018年3月にまた新しい裁判「第二次夫婦別姓訴訟」を提起した。ここまでの経緯と、今回はどういう裁判なのかを、前回訴訟(11年提訴、15年最高裁判決)でも弁護団の一人として参加した打越さく良弁護士に聞いてみた。
60年以上続いてきた「選択的夫婦別姓」の議論
「夫婦別姓」についての議論が始まったのは、今から60年以上前、1950年代に遡ります。55年の法制審議会(法務大臣の諮問機関)で、「夫婦同姓」を定めた民法750条 に関する留保事項として「夫婦異姓を認めるべきか否かなどについて検討が必要」という指摘がすでになされていたのです。
このときはまだ専門家の間での議論にとどまっていましたが、70年代に入ると、一般の人たちの間でも「夫婦別姓」を求める声が上がりはじめます。74年に「結婚改姓に反対する会」が結成。79年に国連総会で女性差別撤廃条約が採択され、85年に日本もこれを批准するなどの動きもあって、80年代終わりから90年代にかけて、各地で選択的夫婦別姓の導入を求める活動が活発化しました。
ちなみに、今もそうですが、訴えてきた主張は常に、夫婦同姓を廃止しろというのではなく「夫婦別姓も選べるようにしてほしい」ということ。つまりは、最初からずっと「選択的夫婦別姓」を求める動きだったわけです。
90年代後半になると、そうした声はさらに強まり、弁護士会なども次々に「夫婦別姓を可能にすべき」という声明を出していきます。96年にはついに法制審議会が、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫若しくは妻の氏を称し、又は各自の婚姻前の氏を称するものとする」という、選択的夫婦別姓の導入を軸とした民法改正要綱を法務大臣に答申。多くの人が「さすがにもう(夫婦別姓は)認められるだろう」と考えていた時期だと思います。
事実、法務省は法制審議会の答申を受けて、夫婦別姓を可能にするための民法改正案を準備していました。ところが、一部の国会議員などの強硬な反対に遭い、結局提出は見送られることに。その後も、野党共同の改正案が何度も国会提出されたりしたものの、成立させることはできないまま今に至っています。
国会が動かないなら司法の場で──。そう考えた人たちが立ち上がったのが、2011年に提訴された「夫婦別姓訴訟」でした。夫婦別姓を求める人たちが原告となって「夫婦別姓を認めない民法750条は違憲」だと訴えた裁判で、私も弁護団の一人として参加しました。
しかし、地裁・高裁では請求が棄却され、闘いの場は最高裁へ。そして15年12月に最高裁は、多くの人の期待を裏切り「夫婦同姓は合憲」という判断を示します。
判決文には、いろいろと納得のいかないところがありました。たとえば、私たちは「夫婦別姓を認めないことには不合理性があるのではないか」ということを指摘していたのに、最高裁の判断は「夫婦を同姓とすることには合理性がある」。微妙に話をずらされています。
しかも、夫婦同姓には、「嫡出子と夫婦」という「家族」の一員であることを「対外的に公示し、識別する機能を有している」としながら、改姓による不利益は「通称使用」が広まっていることで緩和されている」と述べる。日常生活で通称を使用するのなら、「一緒の家族である」ということを公示する機能があるのは、ふだん誰も見ていない「戸籍」だけということになりますが、それにいったい何の意味があるのでしょうか。
さらに、選択的夫婦別姓のような制度は、まずは司法の場でなく国会で議論すべきことだ、とも述べられているのですが、そもそも国会が数十年にわたって動かないから、司法の場に訴えた裁判だったわけです。そうした経緯も踏まえない、非常に残念な判決でした。
夫婦同姓をもたらした「家制度」は、すでに廃止されている
選択的夫婦別姓に反対する人たちは、よく「同姓が日本の伝統だ」といいます。しかし歴史を遡れば、源頼朝・北条政子夫妻、足利義政・日野富子夫妻がいるように、名字を持つことを許された特権階級では夫婦別氏が当たり前でした。そもそもすべての人が名字を持つようになるのは明治時代に入ってからですが、これも当初はむしろ夫婦別姓が原則。1898(明治31)年に制定された明治民法で「家制度」が確立して「戸主と家族はその家の氏を名乗る」「原則として婚姻により妻が夫の家に入る」と定められたことにより、夫婦同姓がスタートしたのです。
この明治民法は、女性が法律上「無能力者」とされるなど、非常に差別的な内容が多く含まれていました。そこで、戦後に日本国憲法が成立(1946年公布)し、24条 で「法律(家族法)は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」という理念が掲げられたことで、47(昭和22)年に改正民法が成立。家制度そのものも、憲法公布に伴って廃止されます。同姓を強制する家制度が「日本の伝統」かどうかを措いたとしても、それはすでに70年以上前に廃止されたものなのです。
ところが、「家のかたち」にこだわる人たちにとっては、夫婦同姓は家族の一体感に不可欠のようです。そもそも夫婦別姓を望んでいるのは「法律婚をして家族になりたい」という人たちなのに、それを「家族を破壊する」と批判するというのは非常に不思議なのですが……。夫婦別姓に反対する人たちにとっての家族とは、夫婦という横のつながりよりも「先祖〜祖父母〜父母〜子ども」という縦の流れが強調される「家族共同体」のことなのではないでしょうか。まさに、家制度の下の「家」を彷彿とさせます。
15年の判決で最高裁は「通称使用によって不利益が緩和されている」といいましたが、医師など通称の使用が認められない職業、あるいは認めていない会社もまだまだ多くあります。研究者なども、論文は改姓後の名前で出さざるを得ず、結婚前のキャリアが断絶してしまう場合があるのです。
また、姓を変えないで済むように、法律婚をせず事実婚を選んだ人の場合も、さまざまな不利益を甘受せざるを得ません。子どもの共同親権者になれないので、父母のどちらかは子どもの財産管理権や法定代理権を持てない、夫と妻のどちらかが亡くなったときに法定相続人になれない、配偶者控除を受けることができない……。「法律婚ではない」ことを理由として、死亡保険金の受取人になれなかったり、医療機関で不妊治療を断られたり、住宅ローンを連帯債務者として組めなかったり、といったこともまだまだあります。
「法律で夫婦の姓を同姓と義務付けている国」は現在、世界中で日本だけです。そのことは、日本政府自身が認めています(糸数慶子議員の質問主意書に対する平成27年10月6日付政府答弁書 〈外部サイトへ接続します〉)。
寛容さのない、世界的に見ても非常に特異な国のままでいいのでしょうか。
民法750条
婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
通称使用
既婚者が結婚後も職場や社会的活動の場で、結婚前の旧姓を通称として使う慣行を指して「通称使用」(一般的には「旧姓使用」とも)という。
24条
憲法24条2項
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
憲法13条
憲法13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法14条1項
憲法14条1項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
自由権規約
市民的及び政治的権利に関する国際規約のこと。1966年12月16日に国連総会が採択した人権の国際的保障を目的とする条約。76年3月23日発効。
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