ほとんどの監理団体は数百人単位で実習生を監理していますから、相当な利益になるでしょう。
「特定技能」制度においても「登録支援機関」という、実習制度における監理団体に近い立場の機関が設けられる予定になっています。現在の監理団体がそのまま登録支援機関に横滑りする可能性は非常に高いし、そうなればまた同じような問題が起こることが避けられないでしょう。「特定技能」資格でやってくる外国人労働者の人権を守るためには、こうした送り出し国、受け入れ国双方のブローカーや民間団体の関与を規制することが絶対に必要だと思います。
加えて、技能実習制度の今後についても議論が必要です。外国人労働者受け入れについての議論を重ねていた自民党の「労働力確保に関する特命委員会」で、座長を務めた木村義雄参院議員は、技能実習や研修という名目で外国人労働者を受け入れるのは「カラスは白い」と言うようなものだ、と発言していました。つまり、今回の法改正にあたっては、きちんとカラスを「黒い」と言おう、バックドアやサイドドアからの受け入れをやめて正面から受け入れようという意図が、政府にもはっきりとあったはずなのです。
であれば、本来は技能実習制度自体を廃止するということになるべきなのに、そういう話はまったく出てきません。このままでは、「特定技能」制度もまた、技能実習制度の延長として、問題点をこのまま引き継いでいくことになりかねない。私は、技能実習制度は直ちに廃止すべきだと考えていますが、遅くとも2年後の入管法改正の見直しの際に廃止すべきです。
今に始まったわけではない「白紙委任」
また、改正法成立にあたって、野党はこの法律に、「政令や省令で定める」としている未定事項が多すぎるという点を強く批判しました。重要事項をすべて政府に白紙委任しているようなものだ、というわけです。
この批判は、基本的に正しいと思います。ただ、多くの人が見落としているのは、そもそも入管法とは以前からずっとそういうものだったのだということです。
たとえば、企業が外国から研修生を受け入れる外国人研修制度が導入されたのは1989年の入管法改正のときですが、これは法律の別表に挙げられている「在留資格一覧表」に、「研修」という資格を新たに加えただけで、詳細は何も書き込まれていませんでした。その後91年に、企業単体ではなく商工会議所などの中小企業団体を通じた受け入れを可能にする「団体監理型」の研修生受け入れが始まるのですが、これは法改正さえなく、法務省の告示、つまり省令のみで決定されています。
さらに、93年には技能実習制度がスタートしますが、このときにも法改正はなく、やはり法務省の告示のみで制度がつくられました。「技能実習」という在留資格が法で定められたのは2009年、制度の開始から16年も経ってからです。
だから、「白紙委任だ」というのはそのとおりなのですが、その意味では今までもずっと白紙委任だったといえます。技能実習制度や外国人の在留をめぐる政策については、ほとんどすべてが法務省や法務大臣のフリーハンドに委ねられ、何もかもが省政令で決められる状況にあったわけです。
さらに言えば、省令さえなく、入管や法務省の裁量で決められる範囲も非常に大きい。たとえば、在留資格が切れたのに日本に滞在している外国人は、入管施設に収容されますが、これは刑事事件と違って、裁判所による令状も必要ありません。入管内部だけのチェックで収容できるのです。しかも、収容期間には上限が定められておらず、理論上は100年でも収容できるということになっています。
こうして見ていくと、日本は外国人に対しては法治国家ですらない、といえると思います。外国人の人権など、そもそも認めようとしていない──正確に言えば、在留資格の範囲内のみで認めてやろう、と考えているとしか思えない。この国では、在留資格のほうが憲法や、そこに定められた人権よりも上にあるといえるでしょう。
そうした「ブラックボックス」ともいえる入管法の問題点が、国会審議の中で少しなりとも明らかにされたのはよかったと思いますが、まだまだ正しく理解されているとはいえません。今回の改正法はたしかにひどいけれど、今までもずっとひどかったし、この先もずっとひどいままかもしれない。そういう視点から、この問題を見ていただきたいと思います。
今のままでは、中国やベトナムなど他のアジア諸国が急速に経済発展している中、技能実習生に対する人権侵害などさまざまな悪評が広がりつつある日本は、外国人労働者からも「選ばれない国」になっていくかもしれない。私はそう考えています。
日本人にも、外国人にも住みやすい社会を
さらにもう一つ、考えていただきたいことがあります。
今回の入管法改正は、非熟練の外国人労働者の受け入れを正面から認めるという点で、戦後日本の出入国管理政策の大転換と言っていいものです。当然、日本という国のあり方にも大きくかかわってくる。それを、こんな中身も不十分な法律改正だけで進めてしまっていいのでしょうか。
本来なら、少子高齢化が進む日本の中で、どう外国人労働者を受け入れ、社会の中に位置づけていくのか、国のグランドデザインをしながら議論を進めていく。そして、たとえば「多文化共生基本法」といった理念を定める基本法をまず制定し、それとセットで入管法の改正を行うべきだったと思います。
よく「移民が増えると、犯罪の増加などさまざまな問題が起こる」と言われますが、これはまったくの間違いです。正しくは、「移民の受け入れ方に失敗すると問題が起こる」と言うべきだと思います。
たしかに、ヨーロッパなどでは失敗した例が多いのも事実。でも一方で、日本でも地方自治体レベルでは、多くの日系人が地元住民と共生しながら暮らしている静岡県浜松市など、たくさんの成功例があります。2001年には「外国人集住都市会議」という、外国人住民の多い自治体の全国ネットワークがつくられ、多文化共生に向けたさまざまな取り組みを進めてきているのです。
だから、日本で外国人住民がさらに増えていったときに、差別や犯罪などの問題が起こるかどうかは、これからの施策によるのだと思います。現状のように、きちんとした多文化共生政策もないままに受け入れが進めば、悪い方向に行ってしまう可能性が高いでしょう。自治体への負担が高くなり、受け入れに失敗した自治体では差別や分断が生まれてくるといったことは十分にあり得る。そうならないためにも、国全体としての受け入れ方針、多文化共生の理念が絶対に必要です。
もちろん、国の施策だけではなく、民間レベルでの支援もますます重要になってくるでしょう。NGOの活動はもちろん大事ですが、私がもっとも期待をかけているのは労働組合です。