〈ケアをする・される〉は身近なことに
一方で、「ヤングケアラー」という言葉がメディアで取り上げられたことでの発見もありました。予想を超える大きな反響を得たのは、おそらくヤングケアラーの置かれている困難さを想像できる人が増えてきたからではないかと私は思っています。
今日では、共働き家庭が増え、親が仕事を終えて帰宅しても家庭が「第二の勤務」の場であるという「セカンドシフト」問題が深刻です。帰宅後も、家事のみならず、高齢者介護や育児などの仕事が待っているというわけです。
こうした共働き家庭の増加に加え、一世帯当たりの人数は減っており、さらに高齢化や医療の発展によってケアを必要とする人は増えています。〈ケアをする・される〉ということは、いつ自分の身に起きてもおかしくありませんし、子どもがケアを担っている状況を示す「ヤングケアラー」という言葉は、そういう社会背景にフィットして広まったのだろうと思います。
しかし、ケアをする人は増えているのに、社会のほうの受け皿が十分に整っていないと感じられる局面もしばしば見受けられます。あるヤングケアラーは、就職試験の面接で祖母を介護してきたことを語ったところ、「あなたが6年間おばあさまを介護してきたということは、働いていく上では特に意味のないこと」と言われたそうです。もし、面接官にもケアを担った経験があったなら、6年間祖母を介護したという話から、彼が複数の人間のペースやニーズを考慮しながらタイプの違う作業をマルチタスクでこなしていく能力にすぐれていること、忍耐力があること、トラブルが起きたときにも物事を整理して解決策を見出そうとしてきたことを、きちんと汲み取れたでしょう。
ヤングケアラーのほうも、自分がケアをしてきた経験が何を意味するのかということを、人に十分に説明できるようにはなっていないところがあります。むしろ、ケアのために学校を遅刻しがちで勉強も十分にできず、つらい思いをしたと感じている人は、その後の進学、就職においても自信をもちにくくなりがちです。でも、家族のサポートや介護経験で自分の特性に気づき、社会に対してどんな疑問や提案を投げかけたいと考えているのか。それを伝える言葉を彼らが獲得できたら、ケアラー経験のない人とは違った成熟度をアピールすることもできるのではないでしょうか。
坂本さんもおっしゃっていたように、「自分の体験を語ることが、自分の人生を取り戻すリカバリーの一歩」ということは本当に大切です。そして、ヤングケアラーたちが「自分にはこの経験がある」と思えるための言葉を獲得するには、やはり「聞き手」との相互作用が欠かせません。そうした「聞き手」には、教育関係者、医療従事者、心理カウンセラーなどの専門職だけでなく、ヤングケアラーの言葉を丁寧に聞いてその子の気持ちを受けとめようとする人であれば、誰でも十分なりえます。ケアの話をそのように聞いてくれる人がいることで、ヤングケアラーも自分の体験を具体的に振り返って話すことができ、気持ちも整理されていくところがあるのです。こうしたヤングケアラーに関心をもつ人が増えていくだけでも、社会は大きく変わっていくと思います。