2019年秋、画期的な本が出版された。『痴漢とはなにか――被害と冤罪をめぐる社会学』(エトセトラブックス)――これまで日本社会において痴漢がどう捉えられてきたのかを社会学の視点で研究した本だ。女性なら誰もが、満員電車や夜道での痴漢行為の被害を思い起こすだろう。著者の牧野雅子さんに、出版への思いを聞いた。
性暴力を矮小化してきた「痴漢」という言葉
──牧野さんは19年11月、2冊目の単著となる『痴漢とはなにか』を出版されました。本の帯に、「これまでなかった痴漢研究の書」とありますね。
牧野 これまで痴漢というものは、議論の対象として取り上げられることがあまりありませんでした。特に、痴漢に対する社会意識がどうつくられ、どう変化してきたかという、社会学的な視点からの議論はほとんど行われてこなかったと思います。
それは「痴漢」という言葉が、紛れもない性暴力を非常に軽く、面白おかしく扱うようなものとして長く流通してきたからかもしれません。その言葉に乗っかって性暴力を矮小化してしまう危険性があることを考えると、テーマとしては扱いづらかった面があると思います。
でも、これから痴漢という性暴力をどうなくしていくのかという議論をするためには、まずこれまでの知見をしっかりと共有する必要がある。そうでなければ話が噛み合わないですよね。その議論の前提をつくるというのが、この本を書いた目的の一つです。
──第一部では、「事件としての痴漢」と題して、警察などの公的機関において痴漢被害がどのように把握され、扱われてきたのかが解説されています。そもそも、痴漢事件の大半が刑法上の犯罪ではなく、自治体が制定する「迷惑防止条例」違反として検挙されているという事実に驚きました。
牧野 強制わいせつ罪で検挙されているのは、着衣の上から触れるのでなく下着の中に手を入れるといった「より悪質性の高い」場合のみで、痴漢事件の9割以上は条例違反として扱われています。
その「条例」がどういうものなのかも、なかなか知る機会がないと思うのですが、痴漢行為を禁止する根拠となっているのは、迷惑防止条例の「卑わいな行為の禁止」 条項です。ただし、どの自治体の迷惑防止条例の条文中にも「痴漢」という文言自体は含まれていません。唯一、新潟県迷惑行為等防止条例の第2条の見出しに「痴漢行為等の禁止」とあるのみです。
そして、驚かされるのは、すべて の自治体において、その「卑わいな行為」が成立する要件として「性的羞恥心」が挙げられていることです。
──被害者に「性的羞恥心」を感じさせたという事実がなければ、「卑わいな行為」には当たらない、と?
牧野 そうなります。被害者が「性的羞恥心」を感じるということが、痴漢という犯罪の成立要件となっているのです。このため、警察は被害者が実際にどう感じたかとは関係なく、「性的羞恥心を感じた」ことを立証しようとします。私が話を聞いた中には、警察に痴漢被害を届け出たところ、取り調べの際の供述調書に「恥ずかしくてたまらなかった」など自分が言ってもいないことが書き込まれており、修正を申し出ても聞き入れてもらえなかったというケースもありました。
電車で痴漢に遭って声を上げることもできず10分以上も触られ続けたというような場合も、なかなか理解されません。 痴漢行為をされたら恥ずかしくてすぐに逃げるなり声を上げるなりするだろう、という発想ですね。抵抗しない、イコール受け入れている、というふうに認識されているのかもしれません。
──怖くて動けない、声も出せない、という発想がないんですね。
牧野 初めて条例中のこうした要件について知ったときは、「なんだこれは」と思って頭に血が上りました。性暴力やジェンダーに対する警察の考え方が、ここに如実に表れていると思います。
よく、痴漢は日本特有の犯罪で……と言われたりします。でも、そんなことはありません。電車内などで女性の身体を触るといった犯罪はもちろん外国にもあります。そして、きちんと「性暴力事件」として扱われています。「痴漢」という言葉が日本で使われること自体が、社会としてその行為を軽く扱っていることの反映なのではないかと思います。
──警察も、被害件数さえきちんと把握していない、ということを本書で初めて知りました。
牧野 被害に遭っても警察に届け出ない人がたくさんいるのはもちろんですが、警察に行っても被害届を出すところまでいかず、「相談事」として処理されてしまうケースもあります。犯罪統計の「認知件数」とは、刑法犯にかかる被害届が受理された件数を言います。「相談事」は含まれないのです。さらに、痴漢事件の多くに適用される条例違反は、被害届が出されても犯罪統計上の認知件数には反映されません。
確かに、正確に調査するのは難しい部分もあります。でも、もし警察に本当に痴漢犯罪を減らそうという意思があるのなら、まずなんとか少しでも実態を把握しようとすることから始めるはずです。せめて「相談事」として届けられたケースの数を、公的な議論の中だけでも公開するくらいのことは考えていいのではないでしょうか。
「娯楽」として消費されていた痴漢被害
──そうした「痴漢は犯罪」だという意識の薄さがこれ以上ないほど表れているのが、新聞や雑誌で「痴漢」がどのように扱われてきたのか、戦後すぐから2000年代までにわたって分析した第二部「痴漢の社会史」です。何人もの著名人が痴漢をした経験を堂々と話していたり、「痴漢の多い」沿線の選び方などが解説された「痴漢のススメ」的な記事があったり、「女性も楽しんでいる」との表現が散見されたりと、今の私たちから見ると信じがたい内容でした。
牧野 若い女性タレントに痴漢に遭った体験を語らせる雑誌記事などもかなり人気があったようです。一部のメディアでは、痴漢というものが完全に「性暴力」「犯罪」ではなく「娯楽」として扱われていたことが分かります。中でも、痴漢を取り締まる立場であるはずの警察の、しかも警視総監が著名な文学者との対談の中で、痴漢を話題に笑いながら話している記事があったのは衝撃的でした。
──そうした状況に変化が起こったのは2000年代。きっかけは「痴漢冤罪(えんざい)」に注目が集まったことだった、と本書では指摘されています。
1988年の「地下鉄御堂筋事件」
1988年11月4日、大阪市営地下鉄御堂筋線の車内で痴漢行為を女性に注意された男性2人が、その女性を逆恨みして降車後に強姦した事件。