牧野 1988年の「地下鉄御堂筋事件」を機に発足した「性暴力を許さない女の会」などの女性グループが交通機関への申し入れやアンケート調査を行ったり、それを受けて警察も取り締まりを強化したりということはありましたが、それだけでは社会の意識はあまり変わりませんでした。痴漢被害をあたかも娯楽のように扱う雑誌記事が急速に減っていったのは、2000年に「痴漢冤罪」による無罪判決が相次いだことや、07年の映画『それでもボクはやってない』(周防正行監督)が公開されたことなどによって、「痴漢冤罪」に注目が集まってからです。つまりは、男性が痴漢冤罪によって「被害者」になる危険性がクローズアップされたことで、それまでとは異なる形で痴漢が社会問題化していったのです。
痴漢被害の当事者などがずっと要望の声を上げていた「女性専用車両」も、実際に導入が進んだのは「痴漢冤罪」問題が注目を集めた2000年代に入ってからでした。
──しかも、「痴漢冤罪」に注目が集まる一方で、被害者の声は置き去りにされたままです。
牧野 痴漢被害を「でっち上げて」男を陥れる女、というしばしば持ち出されるストーリーも、多くは男性の中でつくられたものですよね。そして、痴漢冤罪被害が語られる際には、痴漢被害者への配慮を徹底的に欠いた、女性蔑視に満ちた言説も少なくありません。
必要なのは、性差別のない社会をつくっていくこと
──それでも最近になって、痴漢が「娯楽」ではなく「犯罪」だと、少なくとも表向きには認識され始めたことは、いい傾向だと考えるべきでしょうか。
牧野 ただ、先にお話ししたように、条例にさえ「性的羞恥心が云々」と書かれているのが現状なわけですよね。公権力がその程度のジェンダーや性暴力に関する意識しか持っていない状況で、犯罪として訴え出たからといって被害者が確実に守られるとはとても思えない。かといって、訴え出ずにやり過ごしたら、いまだに根強い「痴漢くらい大したことない」という社会意識に加担してしまうことになる。どちらに転んでも地獄だ、とも言えるかもしれません。
──そうした状況を変えるために、何が必要だと思われますか。
牧野 痴漢問題を性暴力という観点から捉え直すこと。その過程で、法や取り締まりのあり方、関係機関の性暴力についての認識を問い直すことも必要だと思います。
そして警察も、ただ「被害に遭ったら相談に来てください」と言うのではなくて、警察にしかできないことがあるはずです。たとえば、制服の警察官が駅のホームに立つだけで犯罪の抑止になるでしょう。1995年に警察官が駅ホームで警戒に当たるようになったところ、東京と大阪での痴漢の検挙件数が1.5倍になったという前例もあります。警察官がそこにいれば、被害に遭った人も「この人、痴漢です」と声を上げやすいですよね。
さらに言えば、大きい話になってしまうかもしれませんが、性差別のない社会をつくっていくこと。やはり、それがすべての根本にあるんだと思います。
──「おわりに」には、〈痴漢についての言説を集め、読むことは、とても辛い「作業」だった〉とあります。それでも出版までこぎ着けられた原動力は、痴漢や性暴力が蔓延する社会への怒りでしょうか。
牧野 それもありますが、もっと言えば今の時代に生きる人間としての責任感かもしれません。
私は、80年代からの性暴力に抗する女性運動をリアルタイムに見ていた世代に当たります。性差別的な広告が社会問題化したり、職場での嫌がらせに被害者が「セクハラです」と言えるようになってきたりしたのは、声を上げ、社会の意識を変えてきた女性たちがいてくれたからです。
自分たちもそうした、上の世代の女性たちが頑張ってつくり出してくれた流れをちゃんと引き継いでいかなくてはならないし、今のままで次の世代に手渡してはならない、痴漢問題に限らず、こんな性差別的な社会はいい加減に終わらせなくてはならないという思いは強くあります。今、#MeTooなどの新しい動きが出てきていて、それは非常に力強くうれしいことではあるのですが、若い世代に過去の議論や運動がほとんど知られていないという側面があるのは、私たちの世代がきちんと伝えてこなかったからだと反省もしています。かつての運動をリスペクトするとともに、それをしっかり次につなげていきたい。今回、社会史を振り返るような本を書いたのには、そういう意味もあるんです。
1988年の「地下鉄御堂筋事件」
1988年11月4日、大阪市営地下鉄御堂筋線の車内で痴漢行為を女性に注意された男性2人が、その女性を逆恨みして降車後に強姦した事件。