「興味があるならオブザーバーとして参加しますか?」と誘ってくれたので、引き受けました。
そこで初めて、支援者から寄せられるさまざまな実態を知ることになり、これは本当に大変なことだ、と実感して、取材に挑戦することになりました。もちろん、なかなか当事者にはたどりつけないので、まずは支援者をたどり、「どういうケースがあるか」を聞いていくところからのスタートです。2016年の秋のことでした。
8050問題と「愛着」の有無
3年以上も7つの家族を取材して、これを一冊の本にしてみてあらためて気づいたのは、「子どもがのびのびと思うように育つことができない、不安定な家庭だった」という思いが、中高年ひきこもりの当事者たち=「50世代」に共通していること。
彼らは人として、原家族(自分が生まれ育った家族)から不安定な精神的土台しかもらえていませんでした。「愛着」──つまり赤ちゃんが親などの養育者との間で作る信頼の絆のようなもの──の決定的な欠如です。
「愛着」は、私にとって大きなテーマの一つです。
2013年に出した『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)では、虐待が子どもにどんな後遺症をもたらすのか、「愛着」がいかに大切かを個々の取材、病棟や医師の取材を通して初めて知りました。18年の『県立! 再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校』(講談社現代新書)でも、貧困、生活保護、虐待、ひとり親などさまざまな困難を抱えた子どもたちに対し、教師たちが高校生活の3年間で新たに「愛着」を築こうとする過程を取材しました。教師との間に「愛着」を築けた生徒は、その後の人生を歩むための自信というか、土台を得られるんです。つまり、愛着は別に実親からじゃなくてもいいし、里親さんでも教師たちからでも与えることができるんです。
しかし、本書で取材した「50世代」の子たちは、親以外の誰とも出会えず、誰からも愛着を得られなかったように感じられました。
「80世代」の問題点
そう、8050問題において本当に問われるべきなのは、「50世代」の当事者よりも、親たち「80世代」の側の問題です。
たとえば中高年ひきこもりの当事者には、おそらくは発達障害など、心身に何らかの困難を抱える人も含まれているでしょう。現代の日本社会で、それはとても生きづらい。2019年6月、東京・練馬で、70代の元農林水産省事務次官が40代の長男を殺害した事件では、子に発達障害の疑いがある、という診断が出ていました。本来なら専門家に相談し、福祉的就労の道を探るなど、子どもの立場から見てどうすれば「生きやすく」なれるのかを考えるべきだったと思います。
でも、私が取材した「80世代」の親たちに共通しているのは、「子どもの立場に立って考えていない」ということでした。80世代側は何かと体面を優先しがちで、自分が昭和的価値観の成功者でであれば、「子どもは親の言う通りにしていればいい」となりがち。多様な生き方を認めていないんです。
さらに「80世代」の母たちの問題があります。昔は多くの女性が農業や家業で働いていて、子育ては主に同居のおじいちゃんおばあちゃんが担っていました。それが、戦後、核家族化と男性たちのサラリーマン化が進み、全国的に大黒柱としての夫と、就労していない「専業主婦」という妻たちが初めて現れます。「80世代」はまさにその最初の世代です。
本書にも登場していただいた、ひきこもりや不登校の当事者・家族支援をしているNPO法人「遊悠楽舎」の明石紀久男さんによると、「80世代」やその下の「70世代」のお母さんたちは、子どもを手放せないのだと言います。子どもは子どものままでいてほしい。自分に甘えてきてほしい。その結果、母親が子どもを手放せない。本書にはひきこもりの51歳の男性のお母さんが、その「気づき」に至る過程も書きました。そのお母さんは理解したんです。あらゆる世話を焼くことで、自分が息子を「手放さないようにしていた」のかもしれないと。
一方で、子どもへの無関心、というケースもあります。子どもを認めない。尊重しない。子どもの中身を見ようとない。私は現在、再びひきこもりの人のための居場所で働いていますが、やはりそういう親に苦しめられている人たちにたくさん出会います。たとえば、いつも親の都合で、「幸せ家族」を演じるためだけに引っ張り回されるが、自分の都合を犠牲にしてそれに付き合ったところで感謝の言葉一つかけてもらえないという人。親に認められようと一生懸命、頑張って頑張って……、そして折れてしまう人もいました。
子育てをしている人たちへ
では、ひきこもりのケースに限らず、いま子育てをしている人たちが、子との間に良好な親子関係を築くためには、どんなことを心掛ければいいのでしょう? そこで、子育て中のみなさんにひとつ、私から贈りたい言葉があります。先述の明石さんが大切にしているという、医師の故・中村哲さんの言葉、「今、何ができるかではなく、今、何をしてはいけないかを知ること」です。
本書で取材した7つの家族の親たちは、まさに子にとって「してはいけない」ことばかりをしていました。子の自主性を奪い、子の意思を無視する。「この子のために」と言い、「いい大学に入れてやりたい」と猛勉強を強いたり、「心配だから」と子の人生を管理したりしようとする。これらはすべて、親が「自分のため」にしていること。本当に子の立場に立って考える、ということが、結構、親はできないものなんです。でもそれを心掛けることが必要です。何かをしてやりたい、というエゴを抑えて、子が何を望んでいるのかを考えてみてください。
「50世代」は怠けているのか?
世間の人たちが8050問題についていちばん誤解しているなと思うことは、「怠けているだけでしょ」という50世代への批判。そこはもう、決定的に間違いです。
本書に登場する7人の当事者たちは、最初から楽をしようとしていたわけでも怠けていたわけでもありません。すごく頑張って頑張ったんだけれども、「家族の関係性の中でがんじがらめになって、動けなくなった」人たちなのです。そのことをぜひ、理解してほしいと思います。
また、ひきこもりからの自立、イコール就労すること、という考え方も誤解です。50代まで社会と接点を持てずにいた人たちに、いきなりバリバリ働けと言っても無理です。たとえば、30歳手前からひきこもりを余儀なくされた45歳の女性は、「いきなり正社員登用を目指すとなっていたら、壊れます」と言っています。その人の状況に合わせてちょっとずつちょっとずつ、変化していくのを支えることが大切です。
母が支配する家庭で教育的、心理的な虐待を受けて育ち、大卒・就職後にうつを発症した56歳の男性も、「働かない」という思想で生きてきたのではなく、働こうとするたびに突き崩されてきたのだと語ってくれました。ひきこもりの彼らも、やはり働くこと、誰かの役に立つこと、誰かに喜んでもらえることをしたいんです。ただその術も、場もない。働けるようになるまで待ってくれる環境も少ない。そんな彼らに、「自己責任でひきこもって怠けてきたんだから、働けるだけありがたいと思え」などと言うのではなく、まずは彼らの居場所を作ることから始めて、少しずつ頑張る姿を見守っていけるような社会であってほしいですね。