待遇に不満があったわけではない
重度障害者であり、参議院議員の木村英子氏は、判決を前にした朝日新聞のインタビューで「意思疎通のとれない人は社会の迷惑」「重度障害者がお金と時間を奪っている」という植松被告の主張に対し、以下のように述べている(朝日新聞「偏見や差別、被告だけじゃない やまゆり園事件判決を前に れいわ・木村英子議員」、2020年3月10日)。
「同じような意味のことを施設の職員に言われ続けました。生きているだけでありがたいと思えとか社会に出ても意味はないとか」
木村議員は幼い頃から18歳までの大半を施設で過ごしている。優しい職員もいたが、そこは「牢獄のような場所」だったという。
「一番嫌だったのは『どうせ子どもを産まないのに生理があるの?』という言葉です。全ての施設がそうとは思いませんが、私がいたのはそういう施設でした。
自由のない環境で希望すら失い決まった日常を過ごす利用者を見た人たちが、『ともに生きよう』と思えるでしょうか。偏見や差別の意識が生まれたとしても不思議ではありません」
彼女の言うように、全ての施設がひどいとは思わない。また、木村議員が施設に入っていたのは35年ほど前のことである。が、その話で、ある人のことを思い出した。障害者たちで結成されたバンド「スーパー猛毒ちんどん」のメンバーの一人だ。
ステージで白塗りメイクに派手な衣装で注目を集める男性メンバーは、10年間ほど、施設に入っていたことがあるという。が、その時の「思い出」を聞くと、一つも思い出せないというのだ。5人くらいの部屋だったのに、同室の人の名前も思い出せない。施設を出て地域で暮らしてからのことはよく記憶していてよく話すというのに、10年間の記憶がほぼない。現在はバンドメンバーとして活躍している彼だからこそ、「施設時代」がそれほど空白の時間だったということに衝撃を受けた。
環境によって、人は変わる。大きく可能性を得たり、失ったりする。植松被告はやまゆり園で働くうちに障害者に対して「生きている意味があるのかと思うようになった」そうだが、その人々が地域で暮らしていたり、様々な人と繋がっていたり、「スーパー猛毒ちんどん」のようなバンドで人気を博していたりしたら、恐らくそんなことは思わなかっただろう。
一方で、植松被告はやまゆり園に不満があったわけではないことを法廷で主張した。
そもそも障害者が嫌なら事件を起こすのではなく、やまゆり園を辞めれば良かったのに、と法廷で遺族に言われた時、植松被告はこう言った。
「やまゆり園に不満があったわけではありません。施設の中ではいい施設だったと思っています。やまゆり園に不満があったのではなく、障害者に対する施設の在り方がおかしいと思いました」
待遇に不満があったわけではないことは、植松被告は篠田氏への手紙にも書いている。そうして手紙はこう続く(月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱』、創出版)。
「3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信をもつことができました」
そんな植松被告は、ドナルド・トランプ米大統領候補(当時)の演説から「これからは真実を伝える時代が来る」と時代の変化を感じ、施設の職員と雑談している時に「この人達を殺したらいいんじゃないですかね?」と言ったという。何気なく出た言葉だったそうだ(同書)。
事件の全容はいまだ解明されず
そんな植松被告の言葉に触れていると、裁判が始まる少し前に読んだ最首悟(さいしゅ さとる)さんのインタビューが頭に浮かぶ。重度障害がある娘を持つ最首さんは、雑誌『コトノネ』32号(コトノネ生活)で以下のように語っている。
「わたしの教え子で障害者福祉に携わるものに言わせると、植松青年の犯行の原因は、『優生思想でも、なんでもない。単純な嫉妬ですよ』ってことです。社会的に何もできないものが、優遇されてノウノウと生きているのに対するやっかみだって。それに引き換え、おれは生活保護一つ取るのだって大変なのに、という」
つまり植松被告は、障害者が自分と比較して「守られて」いるように見えたのではないか。
守られ、ケアされる存在。かたや自分はどこにも守られず、剥き出しの競争社会に投げ出され、「自己責任で勝ち抜け」「役に立つ人間でないと生きる資格などない」という脅迫を日々受け、値踏みされている。毎日、毎分、毎秒。社会の物差しは「役に立つかどうか」だけではない。見た目だって評価の対象になるから彼は美容整形と医療脱毛にも励む。
そうして必死で「努力」している彼の目に、障害者は「怠けている」ように見えたのではないか。
法廷や面会で見た彼の他人への評価基準は「カッコいい」と「頑張ってる」である。トランプ大統領を「カッコいい」と絶賛し、安倍晋三首相について「頑張っている」と支持を表明する。それ以外にも法廷で「頑張ってる」は人を評価する言葉として何度も出た。そこに垣間見えるのは、「頑張り」に対する信仰だ。とにかく頑張ることは尊いこと。そして自分は頑張ってる、頑張ってきた、それなのに全く頑張らない奴らがいるのは許せない、頑張らないのに生きていることが特権的に許されているなんて不公平だ、自分はこんなにも頑張ってきたのに――。
法廷や面会、手紙で「待遇に不満はない」と繰り返す植松被告だが、事件前、友人や交際相手に、やまゆり園での仕事について「感謝の言葉がない」「報われない」「給料が安い」と不満を漏らしていた(裁判での供述調書より)。もし、感謝の言葉があり、それなりに彼が「報われた」と感じ、そしてもう少し給料が高ければ、あんな事件は起きなかったのだろうか? そう考えると、あまりにもやるせない。
判決の日、記者会見で息子の一矢さんが重傷を負った尾野剛志さんは開口一番、言った。
「遺族、被害者家族が望んだ結果になり、ほっとしている」
しかし、こうも言った。
「本当にスッキリしない。結局もやもやもしたまま結審し、判決に至った」
「これからずっともやもやすることで植松に負けたことになる」
私の中にも、もやもやはたくさんある。事件の全容が解明されたとはとても思えない。
ただ、尾野さんは「唯一、望んでいた判決が出たことだけが救い」と言った。
最後に第一審裁判を終えて思うこと
さて、このまま控訴しなければ、植松被告は確定死刑囚となる。植松被告にとって確定死刑囚は、生きる意味のない存在だ。死刑囚が長期間生きながらえているのは税金の無駄だから早期に執行すべきと主張してきたのだ。その死刑囚になった時、彼は早期執行を望むのか。
一方で、彼が死刑を覚悟している背景には、世界の出来事を予言するという「イルミナティカード」への傾倒も垣間見える。植松被告によると、日本は今年滅びるらしいのだ。首都直下型地震が起きるだけでなく、6月か9月に横浜に原子爆弾が落ちるとも言っている。
現在の新型コロナウイルス感染拡大と、それによって引き起こされている混乱は、植松被告の目には「滅亡という予言が当たる前兆」に見えているのかもしれない。そして彼自身の中には自身を「命をかけた革命家」と思っている節もある。
しかし、日本は滅びず、世界は終わらず、死刑執行までの長い長い時間が続き、刑の確定によってメディアや著名人との交流一切を絶たれ、ごくごく限られた人としか面会できずに「忘れられた」存在となったら。
その時植松被告は、初めて事件と向き合うのかもしれない。