もうひとつ指摘したいのは、「よくできる子」が陥りがちな「偽りの自己形成」です。これは親や教師などの周りの期待や願望に応えようと必死に頑張りすぎて、自己を見失う現象で、他者の感情に同化し続けることにより、自分が本当にやりたいことがわからなくなってしまうという結果を生みます。私が早稲田大学の学生に行った意識調査でも、せっかく難関大学に合格したのに「自分自身に満足している」と答えた学生は6割に達しませんでした。一方で「生きているのがめんどうだと思ったことがある」という学生は半数以上います。周りの期待に応えて頑張ってばかりいて、自分自身を生きていない学生たちは、「やりたいことが何もない」と深く悩んでいます。
子どもたちの能動的な活動意欲を高めていくベースとなるのは、彼らの自己肯定感を高めることです。その観点からも、「参加のはしご」の4段目より上に子どもたちが登り、「自分が思っていたことを実現していくことは楽しいんだ」という成功体験を積み重ねていけるよう、大人がサポートしていくことが求められています。
今提案されている「子ども庁」という新たな省庁の役割
日本で子どもの権利が守られていない背景には、子どもの権利条約を国内に適用していくための基本法がなく、子どもに関する政策においても縦割り的行政が行われているということがあります。現在、与野党で子どもに関する新たな省庁(「子ども庁」もしくは「子ども省)や基本法(「子ども基本法」)をつくる議論が進められていますが、単に子ども施策の総合調整機関が必要だという発想ではなく、子どもの権利条約に掲げられた子どもの権利の実現を総合的・包括的に推進するための機関であると明確にすることが必要です。
私が代表を務める「子どもの権利条約ネットワーク」など14の市民団体で構成する「広げよう!子どもの権利条約キャンペーン」が7月に出した共同声明(「子どもに関する新たな省庁創設の議論に関する共同声明」)では、この子どもに関する新たな省庁=「子ども庁」と、「子どもの権利条約を基盤とした子どもに関する基本法」=「子ども基本法」および「独立した子どもの権利の擁護・監視機関」=子どもオンブズパーソン(コミッショナー)の「三位一体」的な制度改革を訴えました。私たちが主催した院内集会には子どもたちも登壇し、「子どもの権利条約の中でも『参加する権利』が最初に守られるべきだ。子どもも話し合いの場の同じテーブルの一人として意見することができれば嬉しい」といった声を届けています。
疲弊した教育現場にこそ子どもの権利条約を
新しくできる子どものための省庁が、子どもの権利条約を基盤とするものになれば、「5.20文部事務次官通知」も見直さざるを得なくなり、「権利を言う前に義務を果たせ」という誤った指導の根拠もなくなるでしょう。教師にとっては「まずやることをやれ」という指導は都合がよく、特に今のように教師の疲弊状況、人員不足やオーバーワーク、評価主義などが常態化し、あらゆる面で余裕のない教育現場では、「子どもの意見を尊重するなんて、とてもできない」と思われがちです。しかし、だからこそ、教師をとりまく「働き方」改革が不可欠であり、それによって子どもの権利条約に基づいた人権教育が有効になっていくのだと私は思います。
現在の学習指導要領には権利学習の枠組みがなく、人権教育を狭く、障害者差別や同和問題、外国人差別を教えることだと思い込んでいる学校も多いようです。もちろんそうした問題について教えることも大切ですが、まず基本的な前提として、皆が平等に権利を持っており、それは互いに尊重しなければならないという、権利の相互尊重義務を子どもたちは学ぶべきです。子どもにとって権利と義務は対ではありませんが、互いに権利を尊重し合う「義務」は学んでほしいのです。
「自分に権利があるからといって、自分の権利のために無条件に他人の権利を侵していいわけではない」ということを理解すれば、けっして「権利=わがまま」にはならないし、むしろ力で押さえつけるより、生き生きとした学びの場が実現できるはずです。実際に、北海道幕別町立札内北小学校では「学校の最高意思決定機関は児童総会」をモットーに、ときには職員会議に子どもたちが意見を言いながら、主体的・能動的に学校づくりに参加していました(喜多他編『子どもとともに創る学校』〈2006年、日本評論社〉を参照のこと)。本来子どもが持っている力をどう引き出していくか、こうした事例から学ぶことは多いでしょう。
実は、子どもの参加は子どもにとって大切というだけではなく、一緒に関わる大人にも力を与えます。今、教師が疲弊しきっている中で学校を立て直していくときに、子どもの権利条約を活かした学校づくりをすることが、教職員にとっても救いになると考えています。教師の習性として、どうしても生徒は指導の対象であるという認識を持ちがちですが、大人も子どもも同じ人間同士として、学校という共同体を一緒に運営していくようなつながりが生まれれば、学校も教師も生き返っていくはずです。
子どもの権利条例づくりと学校参加制度の展開