この女性に障害があったという事実は、本事件について考える上で決して看過できない問題だった。
実は「モナ・リザ展」は、過度な混雑が予想されたことから、主催者によって「入場制限」が設けられていた。介助を必要とする障害者や高齢者、付き添いのいない小学生未満の子ども、乳幼児連れの人(実質的には幼児のいる母親)の来場が、あらかじめ「お断り」されていたのである。スプレーを噴射した女性は、こうした美術展の方針に怒っていた。事実、噴射時には「身障者を締め出すな」と叫んでいる。
彼女の怒りの背景には、それまで自身が被ってきた様々な疎外体験が存在した。障害のある足に向けられてきた冷たい目線。自分との関わりを避ける人々。家族との間でさえ障害について語ることのできない境遇――等々。
彼女の怒りの根底には、こうした私怨が存在したことは間違いない。だが、事件はそれだけで説明し得るものでもない。社会に根強い男尊女卑の風潮。高度経済成長と一億総中流化の中で花開いた大衆文化。1968~70年に興隆した学生運動。若者たちの中で燃え上がったベトナム反戦運動や反公害運動。そうした運動の内部にも存在した女性差別――こうした種々の問題が複雑に絡み合い、蓄積した果てに、彼女を突き動かしたのだった。
更に言えば、事件前後には時の政府によって「優生保護法」の改悪が目論まれていた。中絶の規制を強化して女性に「産む」ことを強いる圧力と、出生前検査によって障害児が生まれないようにするための圧力が高まりつつあった。
事件はこの問題について、女性運動家と障害者運動家たちが葛藤しながら向き合い続けていた最中に起きた。実行に及んだ女性も、優生保護法の改悪阻止に全身全霊で取り組む人物だった。
本当に裁かれるべきなのは誰か
女性は「軽犯罪法違反(1条31号悪戯による業務妨害)」で起訴され、最終的に東京高裁で「科料3000円」の判決が確定した。一部には有名な逸話だが、彼女はこの3000円をすべて一円玉で支払った。
この事件は、こうした突飛なエピソードばかりが注目され、いわば都市伝説的な興味関心で語られてしまうこともあった。だが、裁判の資料を読み解き、被告となった女性の言葉を拾い上げていくと、ここには「差別」と「抵抗」をめぐる根源的な問いが含まれていることに気付かされる。
文化庁(つまり政府)が主催する絵画展で障害者が排除された。そのことに障害者本人が怒り、やむにやまれずに起こした抗議行動は、法律で「悪戯」と裁くことができるのだろうか。
国家が障害者を差別し、それに対して障害者が抗議行動を起こした際、司法はそれを「犯罪」として裁けるのだろうか。裁けるとしたら、国とは、社会とは、司法とは、一体何なのだろうか。
被告となった女性は、法廷で次のように主張している。障害者が排除されているのは「モナ・リザ展」だけではない。この国は、この社会は、あらゆる場面で障害者を排除している。実際、当時の政府は「障害者が産まれてこないこと」を目指して優生保護法まで改悪しようとしていた。それに抗議する自分の行動は「悪戯」という「犯罪」なのか。
結果的に、女性の行動は「軽犯罪法違反」の「悪戯」と認定され有罪となった。彼女が科料をすべて一円玉で支払ったのは、「自身の抗議行動を『悪戯』と断罪されたことへの抗議としての悪戯」だったのかもしれない。
こうした「したたかさ」と「しぶとさ」にこそ、ウーマン・リブの魅力があると私は考える。だが、当時も現在も、「従順でない女たち」は往々にして嘲られ、ネタとして消費され、その言動の根底に流れる葛藤や情念が真剣に省みられることは少ない。
約半世紀の時間を経て、あらためて思う。「『モナ・リザ』スプレー事件」とは単なる「悪戯」だったのか。裁かれる「犯罪」だったのか。裁かれるべきは、本当にあの女性だったのか。事件を突飛なエピソードとしてのみ消費し、真っ正面から受け止めなかったこの国は、この社会とは、一体何なのか。
◆◆◆
2022年のいま、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、新たな世界戦争の懸念が決して拭いきれない不安として立ちこめつつある。
メディアでは連日、ロシア国内での徹底的な情報統制と、抗議行動への冷酷な弾圧の様子が報じられているが、こうした「国家に抗う個人」への弾圧が、私には到底「対岸の火事」とは思えない。この10年ほどの日本国内における政治状況を顧みれば、恐怖感を抱かずにいることの方がむずかしい。
個人は国家に抗えるのか。個人は国家を糾せるのか。「個の力」で国家は止められるのか。小さな個人が大きな国家に抗うことに意味はあるのか。いま極めて切実に、こうした点が問われている。
「『モナ・リザ』スプレー事件」は、こんな状況だからこそ、今一度、考えるべき出来事であったように思われる。
*「『モナ・リザ』スプレー事件」の詳細と、この女性が歩んだ人生の軌跡、そしてウーマン・リブの活動については、新刊『凜として灯る』(現代書館より6月刊行予定)で詳述した。あわせてお読みいただきたい。
優生保護法
1948年施行。優生上「不良な遺伝」のある者の出生を防止し、母体の健康を保護することを目的とした法律。優生手術、人工妊娠中絶などについて規定していた。70年代、80年代に「改悪」されそうになったが、いずれも反対運動により阻止された。96年に優生思想に基づく部分を削除した「母体保護法」に改められた。