金 ヨンヒさん、いつかまた済州島の風景を撮ることがあったら、無縁塚の「ホッミョ」を撮ってほしい。漢字で書くと「虚墓」。それを「ホッミョ」という。「ホッ」といったら中身のないもの、「ミョ」というのは墓のことなんだ。遺体が探せんので、虐殺された場所の石を遺体の代わりに埋めた墓があるんで、そこを撮ってほしかった。
ヤン 次に済州島行くときは撮ろうと思います。
金 僕は唯物史観を世界観としていたから、済州島の迷信じみた巫女(みこ)、神房(シンバン)がずっと嫌いだった。でも、考えが変わった出来事があった。
四・三に絡んで逃げて隔離病棟や米軍基地に隠れていたことがあってね。それから、親父のツテの家に移って、防空壕だった石垣の物置に隠れていたときに、鳴り物の音が聞こえてきたんだよ。4、500メートルくらい離れたところから、ジン(銅鑼)の音が風に乗って響いてくる。もう、その音が心臓の奥底に響いたね。原色の赤青黄色の服を着て踊っている神房も見えたんだ。匿(かくま)ってくれている家の叔母さんに聞いたら、「魂よ、帰ってこいと呼んでいる儀式や」と教えてくれた。水葬虐殺された犠牲者の家族たちが、神房にお願いをして、遺体と魂が帰ってくるように祈ってるんだな。せめて遺体でも戻ってほしいという遺族の痛切な祈りなんだ。
そのとき、手首を数珠つなぎにされた4、5人の遺体が砂利浜に打ちあがっているのを2度も見た。日本みたいに砂浜じゃなく砂利浜だから、肉体がオカラのようにずり剥(む)けて骨が見えてるんだ。僕はそれを見たとき、その地の災いは、その地の神でないと鎮められないんだと思ったね。だから、これまで無神論を決め込んでいたんだけど、僕の両親と、僕を匿ったせいで山部隊に殺された叔父貴の霊を慰めたいと考えが変わった。
それで、2007年に済州島を訪ねたときに、供養をしたんだよ。NHKのドキュメンタリー(『海鳴りのなかを―詩人・金時鐘の60年』)でその様子が映っているけどね。その儀式の費用にNHKの出演料50万円全部取られた(笑)。儀式には殺された叔父貴の長男一家も来てくれてね。その長男が儀式が終わったときに声をかけてくれたんや。僕の手を握って、土着の済州弁で「時鐘のせいじゃないんだから」「親父の運命だったんだから」って言って涙ぐんでくれたんや……。もう、この言葉でね、長らくあった胸のしこりが取れたようだった。神房のおかげや。日本の各地域に産土神(うぶすながみ)がいるのと同じように、済州には神房がいる。
現代日本の不幸はね、闇を持っていないことだ。暗いところがなさ過ぎる。闇があるところ、必ず産土神が祭られてあるのよ。さらに、われわれ在日の悲劇性というのは、その土着神を祭るところがないことだね。
総連の体制、社会主義、東欧諸国が崩れ去ることは予知ができた。なぜなら人間が地声で語ることができない体制は、やっぱり本当の社会主義じゃないからですよ。それより何より、人間の理性や、それとは別にある人間の本性的な恐れ、神への恐れを遠ざけてしまう。人間の知力では到底及ばないことを言い表せないから、人類みなそれを〝神〟と呼ぶんだろうと思うけど、そういう人間が心の奥底で、恐れを抱くものを見失っている。つまり、それを無視した唯物的な世界観は保(も)たないですよ。
――最後に、時鐘さんがこれから映画館に行こうとしている人たちに、この映画の見どころを伝えるとしたらどこでしょうか。
金 よく日本人の朝鮮人に対する差別と言われるけど、差別じゃない。あれは蔑視、蔑(さげす)みですよ。戦前、朝鮮人を「センジン」と言った。「センジン」って朝鮮の鮮じゃなくて、賤(いや)しいというあの賤を重ねて「センジン」と言ったんです。それが戦後も続いている。そういう日本人のおしなべた朝鮮人蔑視観がある中で、ヨンヒさんと荒井さんの2人の夫婦の関係がクローズアップして描かれていることは、いまの状況を打ち返すきっかけになるんじゃないかな。
ところで、ヨンヒさんと荒井さんが、朝鮮の晴れ着を着て結婚の記念写真撮る場面があるけど、これはうちの奥さんの映画の感想だけど、荒井さんのお母さんはどう思っているの?
ヤン とても喜んでました(笑)。
金 荒井さんのお母さんの言葉も、映画で使ったらよかったのに(笑)。
僕は四・三事件の只中で、もう10万分の1みたいな確率で命を長らえた者ですからね。この映画を平静に眺めてはいられんけど……。映画を観る日本のみなさんはまずは、四・三事件とは何だろうというところからでしょうかね。
ヤン そうですね。この映画を観て「四・三事件」という言葉だけでも覚えてもらえればと思います。
済州島四・三事件
「コレクション 戦争と文学 12 戦争の深淵」(集英社)所収 金石範「乳房のない女」註の記述によると――【済州島四・三武装蜂起】 一九八四年四月三日、アメリカが行おうとした南朝鮮単独選挙に対し、朝鮮半島を南北に分断する選挙だとして済州島で武装蜂起が起きた。前年から左翼勢力封じ込めの名目で米軍政が警察や右翼団体を使い島民を弾圧していたことへの不満も引きがねとなった。この蜂起を武力鎮圧する過程で数万人の島民が無差別虐殺された。
金石範(キム ソクポム)
1925年生まれ。「鴉の死」(1957)以来、済州島四・三事件を書きつづけ、1万1000枚の大長編『火山島』(1976~97年〉を完成。小説集に、『鴉の死』(新装版1971年)、『万徳幽霊奇譚』(1971年)、『1945年夏』(1974年)、『幽冥の肖像』(1982年)、『夢、草探し』(1995年)、『海の底から、地の底から』(2000年)、『満月』(2001年)、『地底の太陽』(2006年)、『海の底から』(2020年)、『満月の下の赤い海』(2022年7月刊行予定)など。評論集に『在日の思想』、『金石範評論集1 文学・言語論』(2019年)などがある。四・三事件に関して詩人の金時鐘氏と対談した『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(増補版2015年)がある。
朝鮮総連
朝鮮総連(在日日本朝鮮人総聯合会)――北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の在日本公民団体。終戦直後の1945年10月15日に結成された在日本朝鮮人聯盟(朝連)や在日朝鮮統一民主戦線(民戦、1951年1月結成)を前身とする。1948年の大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の樹立後、朝鮮戦争(1950~1953年)を経て南北分断が決定的となるなかで、在日コリアンの北朝鮮の共和国公民(国民)としての帰属を明確に打ち出して1955年5月に結成された。民団(在日本大韓民国民団)は、こうした北朝鮮系の団体に対抗する在日コリアンによって1946年10月に結成され、韓国を支持している。朝鮮総連は、東京都に中央本部を置き、各道府県に本部と下部組織をもつ。民族学校を運営したり、朝鮮人が経営する企業に融資するほか、北朝鮮の窓口としてビザやパスポートの発行業務も行なっている。ヤン ヨンヒの父コンソンは、朝鮮総連大阪府本部の副委員長を務めたあと、大阪朝鮮学園の理事長を務めた。(映画『スープとイデオロギー』公式パンフレット 「キーワード解説」(監修 文京洙)より)
南朝鮮労働党(南労党)
1946年11月、朝鮮共産党・南朝鮮新民党・朝鮮人民党が合党し結成された。委員長許憲。46年8月の北朝鮮共産党と朝鮮新民党の合党による北朝鮮労働党結成の影響を受け、南朝鮮でも民主陣営を強化すべく呂運亭により3党合党が提起された。しかし共産党の路線転換とも重なり、方針をめぐって3党それぞれが2派に分裂、朴憲永ら左派グループは南朝鮮労働党結成を、呂運亭ら慎重派は社会労働党結成を推進した。呂運亭らは再三提案を行なったが、米軍政の弾圧激化、北朝鮮労働党の支持などにより、慎重派を排除したまま朴憲永中心に南労党が結成された。この結果、南労党は左右合作の可能性を排し米軍政に対抗する階級政党の性格を強く帯びることとなった。当初は米ソ共同委員会に大きな期待をかけていたが、その決裂後は米軍政による激しい弾圧を受け地下化、単独選挙に反対する実力闘争を展開した(5・10総選挙)。49年6月に北朝鮮労働党と合党、朝鮮労働党となる。(『岩波小辞典 現代韓国・朝鮮』(岩波書店)より)
民団(在日本大韓民国民団)
大韓民国を支持する在日朝鮮人の団体。1946年、左派の在日本朝鮮人連盟に対抗し、自由主義派・保守派が在日本朝鮮居留民団を結成、48年大韓民国樹立に伴い在日本大韓民国居留民団と改称。94年現名称となる。(『広辞苑 第6版』(岩波書店)より)