そして、「みんなが一律であるべき」という価値観の中に、マイノリティの子どもがそのまま放り込まれるのが「インテグレーション(統合)」。たとえば、障害のある子を普通学級に何の配慮もなしに通わせることなどは、これに当たるでしょう。そこには、「障害のある子は、療育を受けて障害を乗り越えなくてはならない」というような、その子の特性に対するマイナスの評価がつきまとっており、一歩間違えば排除や分離にもつながってしまいます。
それらとは根本的に異なり、「みんなが多様なんだ」という価値観を前提に、「障害があってもなくても、あなたはあなたのままでいい」として受け入れるのが「インクルージョン(包摂)」です。もちろん、その子どもが授業に参加する意思があるのであれば、参加できるようにするための合理的配慮が必要だということになります。
ちなみに、どのような配慮が必要かは、その子によって異なります。介助者が必要な子もいれば、そうではない子もいる。何が必要なのかを、当事者や保護者と話し合って考えていくことが重要です。
授業のあり方自体を改革していく
といっても、インクルーシブ教育においては具体的にどのような授業が可能なのか、なかなかイメージがしづらいかもしれません。「知的障害のある子が同じ教室で一緒に授業を受けても、理解できないからその子のためにならないのでは?」といった声もよく耳にします。
でも、世界を見回してみれば、「一緒に学ぶ」場を実現させている国はいくつもあります。障害のある子が同じ場で学べないのは、その子に問題があるからではなく、設備や制度が整っていないなどの社会的な障壁があるから。であれば、合理的配慮によってその障壁を取り除くのは当然だ──。そうした考え方に基づいたインクルーシブ教育が、すでに進められつつあるのです。
たとえば、以前私が訪れたカナダの学校では、その日決められた授業のテーマについて、子どもたちがそれぞれ自分のペースで課題に取り組むという形の授業が行われていました。教材も、障害のある子向けのもの、英語の話せない子向けのものなども含めて多種多様に用意されていて、どれを使って学んでもいい。取り組み方も、1人でじっくり考えてもいいし、友達と協力してやってもいい。みんなで同じことをするのではなく、それぞれがそれぞれのやり方で課題に取り組み、授業の最後にみんなで集まって「このテーマについて自分が学んだことは何か」を発表し合うのです。もちろん、その子の状況によっては、特別支援教育で行われているような内容を、サポートを受けながら学ぶことも考えられます。
つまり、日本の一般的な学校のように、みんなが教室に並んで座って、先生の話を一緒に聞くという形の授業方法自体が、インクルーシブ教育においては否定されていると言えます。「学ぶ」主体はあくまで子どもたちであって、先生はそれを支える役割に過ぎない。そして、学校には当然多様な子どもたちが通うのだから、その子どもたちが一緒に学べる環境をつくらなくてはならない。そういう発想から授業の組み立てがスタートしているわけです。
日本において、これと非常に近いことが行われているのは、一部のフリースクールかもしれません。近年、不登校になってフリースクールに移る子が増えているのは、普通学校が多くの子どもたちにとって楽しく過ごせる場ではなくなっているから。つまりは、多様な子どもたちを包摂できる「インクルーシブ」な場になっていないからとも言えるのではないでしょうか。このことからも、インクルーシブ教育が決して「障害のある子どもだけの問題」ではないことが分かると思います。
また、こうした授業のあり方の改革は、当然ながら「教育」というもの全体のとらえ直しにもつながります。カナダをはじめとするインクルーシブ教育の先進国では、暗記中心の教育から「どう考えるか」「どう思うか」を重視する教育への転換が進んだことで、知的障害のある人が大学に進学するケースも増えてきていることも、申し添えておきたいと思います。
「日本ではまだ無理」ではない
では、日本でインクルーシブ教育を実現していくためには、何が必要なのか。
現状ではまだまだ条件が整っていないし、取り入れるのは難しいでしょう、と言われることもよくあります。でも「条件が揃ってから」と言っていては、何も始まりません。まずは手を付けてみて、問題に直面したら「ではどうすればいいか」「どこを変えれば進めていけるか」を考える。そうしたゆるやかな形でいいから、とにかく「スタートさせる」ことが重要だというのが私の考えです。
ユネスコが2005年に発行した文書「インクルージョンへのガイドライン」 では、多様な子どもたちが同じ場で学べる環境をつくっていくために学校を改革していく、その「プロセス」がインクルーシブ教育だと定義されています。「どうすれば実現できるか」を考え、試行錯誤していく過程そのものが重要なのです。
制度面でいえば、まず手を付けるべきは、勧告でも指摘された「障害があっても普通学校に通いたいという子どもを拒否しない」ことではないでしょうか。文科省は「学校選択にあたっては、本人や保護者の意向を最大限尊重している」 と言っていますが、実際には教育委員会が決定権を持っていて、特別支援学校への進学を事実上強制されるケースも多くあります。「普通学校に通うという選択肢があること自体を知らなかった」とおっしゃる保護者の方も少なくありません。これは、法律を変える必要もなく、文科省が教育委員会に通達を出せば解決する問題ですから、すぐにでも実行すべきだと思います。
それと並行して、特別支援教育から普通教育への予算配分の移行などを進めながら、普通学校に多様な子どもを包摂できるようにするための法制度の見直しを進めていく。たとえば、障害のある子が普通学級に通う場合に、追加で教員を配置できるようにする、あるいは特別支援学級や特別支援学校で障害のある子の教育に携わった経験を持つ教員を普通学級に配置していくなどの工夫も必要でしょう。