路上から政治の場に、ヘイトスピーチの場が移る
ヘイトスピーチ解消法の成立後、政治家や候補者による差別的な言動が増え始め、ヘイトスピーチの主戦場が政治の場に移る。
2016年7月14日、告示された東京都知事選の候補者の中に、在特会前会長(当時)の桜井誠氏の名があった。桜井氏は豊島区池袋で街頭演説の第一声をあげたが、地域にある中華製品を扱う店を名指しし、
「あれがマフィアの巣窟なんです」
と、敵意をむき出しにした。彼は落選したものの、11万4000もの票を獲得。翌月、「日本第一党」を結党した。以降他党からも、排外思想を持つ立候補者が現れるようになった。
たとえば2019年1月に渋谷区議選の自民党公認候補予定者が「反日国の外国人生活保護はやめましょう」などとSNSに投稿したことが問題になり、その後落選している。彼はプロフィールに「愛国者」と書いていた。また元在特会関係者がNHK党(当時)などから出馬し、選挙街宣の場で外国人留学生への奨学金制度について、「敵国のろくでなしに払う金はない」と発言することもあった。
金さんは、京都朝鮮学校での裁判やヘイトスピーチ解消法と合わせて、政治の場にヘイトスピーチの主戦場が移ったことの要因として安倍政権の存在が影響したと見ている。
「僕の見方が正しいかはわからないですが、在特会は差別のある社会への基礎を作ったのだと思います。これまでの街宣右翼は特攻服を着て街宣車に乗っていたけれど、彼らは普段着で街を練り歩いたり、マンガを使ってソフトなイメージ戦略をして、一般の人を集めました。このようなヘイト活動の政治的受け皿となりながら、非常に強い愛国心と歴史修正主義的な姿勢を見せた安倍政権が右傾化した思想を広げていった。『中国は日本の土地を奪おうとしている。北朝鮮はミサイルを飛ばしてくる。これは大変だ』と危機感をあおり、被害感情と愛国感情を培っていったのです」
ネット右翼が耕した差別の大地を、政権が後押し
「日本を、取り戻す。」
民主党政権だった2012年、自民党総裁だった安倍晋三元首相は、こんなキャッチフレーズを掲げ衆院選に挑み、政権を奪還した。誰から日本を取り戻すのか。この主語のない言葉は、自分たちは権利を外国人に奪われた被害者で、それを取り戻さねばと妄信する人たちの心に深く刺さった。
「安倍政権が受け皿になり、右翼的で保守的、そして排外主義的な愛国心で人々が団結していったのです。その結果、差別を受け入れやすい社会になり、また、差別はいけないと言えないような社会になってしまいました」
そんな状況下で、差別扇動にいそしむのは安倍政権を信奉する40代以降と言われていた。だがウトロもコリア国際学園の事件も、当時20代だった青年が起こしている。
「今までは定年後に初めてインターネットを見るようになって、それで『ネットで真実を知った』と騒ぐのは中年や老人男性ばかりでしたよね。でも僕もウトロとコリア国際学園の事件で、若年化が進んでいるのではないかと気付きました。彼らは自分のしていることの実感が非常に希薄で、非常に軽いように見えます。そしてこの社会の中で不遇な目に遭っているという被害者意識を持っていて、同時に、そこから生まれる正義感情も持っていると思います」
路上で差別を叫ぶデモ隊から政治家にヘイトスピーチのバトンが渡され、そのバトンの欠片を拾った誰かが、さらに悪意を増幅させてヘイトクライムを生み出す。2020年代以前だったらデモや政治家の言動に意識を向けなければ、ヘイトスピーチやマイクロアグレッションを避けることはできていた。しかしどこの誰が、いつ何時凶行に走るのかがまったく推測できない。これまで以上に防御が難しい状況になった気がしてならない。
2024年に、ヘイト規制への「黒船」が?
ヘイトスピーチによって差別の種が蒔かれた大地を、権力は放置し、その発芽を促すような環境を作ってきた。その地からまだ数は少ないものの、ヘイトクライムが育ちつつある。それが2020年代の現在地なのだとしたら、絶望以外の何ものでもない。差別の芽をこれ以上生み出さないためには、何が必要なのだろうか。
「ローンウルフと関係が深いネット上のヘイトスピーチをなくすには、ヘイトスピーチ解消法に罰則を付ける、もしくは包括的な差別禁止法を制定する必要があると思います。ドイツで実施されているように、SNS事業者が被害窓口を作り、申告があれば24時間以内に対処するという制度を作ることです」
金さんによると、ドイツでは2017年に「SNSにおける法執行を改善するための法律」が制定され、SNS事業者に対して差別扇動など、違法情報に関する苦情を受け付ける窓口と法定代理人を、国内に置くことが義務付けられたという。一方、日本ではSNS事業者の窓口が国内にないことも多く、発信者の情報開示請求のハードルが非常に高いのが現状だ。
「2022年4月に、総務省が『プラットフォームサービスに関する研究会』を開き、権利侵害対策などについて話し合っています。しかし大手プロバイダの代理人は研究会の場で、権利侵害やヘイトスピーチなどの情報開示を拒否しています。何の法的根拠もないというのが理由でした」
あるプロバイダのニュース記事には、差別的なコメントへの対策がないことが、問題視されている。ウトロに放火した加害者は約1週間、このニュースコメントと「知恵袋」というQ&Aページを読み続け、犯意を育てていったことが公判の過程でわかっている。2022年11月から、コメント投稿の際に携帯電話の番号登録が必須になったものの、現在も差別的なコメントは書き込まれ続けている。
「日本でも2021年にプロバイダ責任制限法が改正され、それまで煩雑な手続きが必要だった発信者情報の開示請求が、簡略化されました。しかしネット上にひとたび書かれたものは、コピペとシェアによって再生産され続けます。書き込んだ犯人を捜している間にどんどん拡散され、増幅していくので、加害者に罰を与える前にまずは削除していく必要があると思います」