「もうこれ見たら、自分がものすごく傷つけられてきたことに気がついちゃったんですね。それまで入管にさんざん嫌な目に遭わされてきて、夫ともほんとうに修羅場をくぐってきて、子どもにもずっと嫌な思いさせて、色々ワーッとやってきて、最後にこれでとどめ刺されたみたいな。すごいというか、ヤバい作品でした。入管に関わった人だったら、これ見たら、何かを思わざるをえないと思います」
「他の人にはなんてこともない双六かもしれないけれど、なんだか自分の人生がこの紙1枚に集約されちゃったような気がして。『私の人生、こんな紙1枚かよ』って気もしたし、『まあ、人から見たら、双六1枚のもんよね』と思ってそれも悔しかったし、『いや、こんな紙1枚で終わらすなよ』っていう怒りもあったし。せめて壁に飾っていたらまだよかったのに、床にベタ置きで。それも私たち家族が入管から受けた扱いみたいですごく悲しかったし」
「でも、やっぱりこの作品があったことで感情がこうやって揺さぶられて、自分が傷ついていたこととか、ショックを受けてたこととか、つらかったことが思い出せるようになったので、『ああ、アートよ、ありがとう』と思ったりとか。これまでにも私、さんざん泣いたんですよ。もうほんとうに泣いて、泣いて、泣きつくしているのに、まだ泣けるんですよね。なんですかね、これね」
入管の仕打ちに傷つけられたカタクリ子さんは、海外の国々で理不尽に家族が刑務所に囚われたり、戦争で夫を奪われたり、慰安婦として体を差しだして働かされた人たちの気持ちが他人事ではなくなった。日常のふとしたときにそうした物事に触れると、地雷を踏んだように痛みが噴き出すのだった。
「それがあるから、すごい生きづらくなってしまって。全部が地雷みたいな。レイプされてしまった人も、そういう癒えない傷を負うでしょう。私もその意味で、国にレイプされたみたいな感じです。いつ、どこで地雷を踏んで痛みが噴き出すかわからない。もうこれは絶対終わらないんですよ。終わらない」
「国にレイプされた」という言葉の強さと重み。それにぼくが安易に飛びついて、カタクリ子さんを性的暴行被害者と同一視して語ってはいけない。だが、人として持つ個人の尊厳を踏みにじられ、圧倒的な力で屈服させられ、いつまでも消えない痛みを刻印されたという点で共通しているのはたしかに違いない。
入管が差配する在留ゲーム=入管双六。そのゲームの上で、どれだけの人々が悲嘆に暮れ、絶望させられてきただろう。どれだけの家族が散り散りにさせられてきただろう。とりわけ、日本人と結婚した他国籍の者は、日本という土地と人間にめでたくご縁ができた人なのに、このゲームはそれをも認めない。
人生はしかし、ゲームではない。誰かの支配下に置かれていいものでもない。だが、入管の恣意的な裁量によって人の人生を翻弄するゲームは、この国で何十年も続いてきた。ゲームのシステムに則って機械的に振り分ける先には、消えない痛みに苦しむ生身の人間がいる。それは父親を奪われたカタクリ子さんの息子のように、次世代を担う子どもたちにも消えない傷を残す。
日本と縁ができた人に「日本と日本人が怖い」と言わせ、日本人であっても「今度こそ」と望んだ家族の幸せを打ち砕かれる。この国は一体何をやっている? 今回の入管法改定案が通ってしまえば、カタクリ子さんと同じような思いをする人が大勢出てきてしまうだろう。
誰も幸せにしないシステムなら、もういい加減、根本から改めるべきだ。