供述調書や捜査報告書などをもとに「こういう証拠があるのではないか」と推測していくのです。たとえば「この調書に『以前もお話ししましたが』という供述がある、ということはその「以前」にあたる調書があるはずだ」とか、「こっちの調書によれば、こういう名前の証拠があるはずなのに見当たらない、請求しよう」とか……。証拠の「痕跡」をたどり、ジグソーパズルのピースを一つひとつはめていくような作業を、涙ぐましい努力で繰り返していくわけです。
ところが、さらに大変なのは、開示請求をしても自動的に証拠が開示されるわけではないということです。
──請求されたら、証拠を「出さなくてはいけない」というわけではないんですね。
そうです。そして、検察が自主的に開示することはまずありません。裁判所に開示勧告をしてもらって、ようやく渋々出してくるという感じなのですが、この開示勧告も「出さなくてはならない」という条文があるわけではない。だから、やる気のある裁判官ならどんどん勧告をしてくれるけれど、ない裁判官はなかなか動いてくれません。裁判官の質や、やる気によって再審への道のりが大きく変わってきてしまうわけで、私はこれを「再審格差」と呼んでいます。
最初にお話ししたように、再審については細かい手続きが条文で定められていないので、「裁判官の裁量」に委ねられる部分が非常に大きいんですね。やれないわけではないけれど、やらなくてもお咎めはない、問題にはならない……。そのことが、証拠開示などを「やる必要はない」という、裁判官の言い訳に使われてしまっているように感じます。
──そうすると、いくら開示請求をしても、いっこうに証拠が出てこないということもあり得る……。
たとえば袴田事件では、第一次の再審が棄却されるまで約27年かかっているのですが、その間、なんと一つも証拠開示がなされませんでした。第二次再審になってようやく重要な証拠が開示され、それが再審開始にもつながったのです。
控訴審のとき、犯人が犯行時に着用していたとされるズボンを袴田さんが実際に穿いてみるという「着用実験」が行われたのですが、なんとそのズボンは袴田さんには小さすぎて入らなかった。でも、検察側は「タグに(太った人向けのサイズである)Bというサイズ表記があるからおかしくない、ズボンは犯行後に味噌樽に隠されていたので、味噌に漬かって縮んだのだ」と主張し、この主張がそのまま認定されて確定判決に至りました。ところが、第二次再審では、このズボンを製造した業者が「Bはサイズではなく色を示すもの」だと説明している調書があったことが明らかになったんですね。
──「ズボンは穿けなくても有罪立証には影響ない」という、検察側の主張が完全に崩れてしまうわけですね。
こんな証拠が最初から開示されていれば、いくらなんでも再審開始までに40年以上かかるようなことはなかったのではないでしょうか。
そもそも、証拠というのは捜査機関が国家権力を背景に、私たちの税金を使って集めた、いわば公共財です。カナダでは最高裁が「証拠は検察官の所有物ではなくて、私たち国民が正義を知るために使うべき公共財である」という判決を出しているそうですが、日本ではその「公共財」を出すことを検察が拒み、最終的には裁判所のさじ加減によって開示の是非が決まってしまう。そしてそれが、再審開始に至るかどうかを決めてしまうこともあるわけで、あまりにもおかしいと思います。
検察官による「即時抗告」は許されるのか
──また、袴田事件では、2014年にも一度再審開始決定が出ましたが、18年にそれが取り消されてしまっています。こうした、「開始決定が出ても取り消されることがある」というのも、再審開始に時間がかかる原因ではないでしょうか。
検察官の「即時抗告」によるものですね。ようやく再審開始決定が出たと思ったら、今度は検察官による不服申し立てが待っているわけで、非常に理不尽だと思います。
戦前の刑訴法では、いったん無罪になった人が再審で有罪とされる「不利益再審」、つまり被告人の不利益となる形での再審が認められていました。しかし戦後、これは憲法39条が定める「二重の危険禁止」(同じ犯罪に対する無罪判決後の二度目の訴追、同一の犯罪に対する複数の刑事処罰を禁じる)に反するとして禁止されたのです。戦前から「ほぼ改正されていない」再審に関する条文の、唯一の例外でした。ということは、現行法における再審とは、「無実の人が間違って有罪にされてしまったのを正して無罪にする」、すなわち冤罪を晴らすためにこそ存在していると言えるでしょう。
そもそも、再審請求に至るまでには、地裁、高裁、最高裁の三審があって、検察官はそこで主張すべきことはし尽くしているはずです。であればむしろ、再審においては検察庁法4条にある「公益の代表者」として、再審の目的である「冤罪から無実の人を救済する」ために裁判所に協力することこそが、検察官の役割ではないのかと思います。
──もし、検察が「いや、やっぱり有罪だ」と思うのであれば、それはそれとして再審の法廷で中身を争えばいいと思うのですが、そうではなく「再審開始」自体に不服を申し立てるのは、どうしてなのでしょう?
よく言われるのが「法的安定性」という言葉です。三審制のもとで確定した判決をそんなに簡単にひっくり返してしまっては、裁判という仕組みそのもの、司法に対する国民の信頼そのものを揺るがしてしまうと言うんですね。私にはまったくそうは思えないのですが……。
──むしろ、先ほどお話しいただいた袴田事件の証拠隠しのようなことが行われていることのほうが、「法的安定性」を損なうように思います。
「大崎事件」
鹿児島県大崎町で1979年10月、農業の男性(当時42)の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さんと、原口さんの当時の夫ら親族3人が殺人や死体遺棄容疑で逮捕された。原口さんは捜査段階から一貫して無罪を主張。鹿児島地裁は1980年、親族3人の自白などを踏まえて懲役10年を言い渡し、81年に確定した。
原口さんは1990年に出所し、95年に再審請求。地裁が再審開始を認めたが、福岡高裁宮崎支部が取り消し、最高裁が棄却した。2度目の再審請求は地裁、高裁宮崎支部、最高裁がいずれも認めなかった。元夫の遺族も2次請求から加わり、3度目の再審請求で地裁は2017年6月に再審開始を認め、検察側が即時抗告した。(朝日新聞:2018年3月12日)
その後、この即時抗告を2018年3月に福岡高裁宮崎支部が棄却決定し再審を認めるも、検察側は最高裁に特別抗告。19年6月に最高裁は職権で再審請求を棄却。20年3月、第4次再審請求を鹿児島地裁に申し立てたが、22年6月に棄却され、弁護側が福岡高裁宮崎支部に即時抗告していた。この即時抗告に対し、23年6月5日福岡高裁宮崎支部は棄却を決定、またもや裁判の見直しを認めなかった。(イミダス編集部)
冤罪事件、再審開始までに何十年も費やされた事件
日弁連が支援している再審事件は22年9月30日時点で14件
https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/statistics/2022/5-5-1.pdf