そうなんです。検察は「法的安定性」をマジックワードのように使うけれど、実際のところは「決まったことをひっくり返したくない」「過去の間違いを正すようなことはしたくない」ということなのではないでしょうか。個々の検察官に考えを問えばまた違う答えが返ってくるのかもしれませんが、組織としてはそういう力学が強く働いていると感じます。
冤罪に巻き込まれる危険性は、誰にでもある
──鴨志田さんは日本弁護士連合会「再審法改正実現本部」の本部長代行を務められていますが、具体的な「改正」の内容として求められているのは、今お話しいただいた2点でしょうか。
はい。捜査機関が集めた証拠すべてを開示されるようにするためのルールをつくることと、再審開始決定に対する検察官の不服申し立てを禁止すること。何しろ100年以上前の条文ですから、いろいろ他にも変えなくてはいけないところはあるのですが、まずはこの2点が優先課題だと考えています。私が担当している大崎事件をはじめ、再審請求をしている本人や、死後再審の当事者になっている遺族が高齢化しているケースも多い。今すぐにでもこの2点を変えて、再審が認められやすいようにしないと、時間切れになってしまう可能性もあります。
袴田事件に関する報道などを見ていると、ともすれば議論が、袴田事件だけ、袴田事件に関わった裁判官や検察官が悪かっただけというふうに矮小化されがちだと感じます。でも、冤罪事件、再審開始までに何十年も費やされた事件はこれまでにいくつもある 。それだけ繰り返されるということは、明らかに個々人のスキルやレベルの問題ではなく、システム自体のエラーでしょう。その事実を正面から受け止めて、制度改革につなげようという動きがないままここまで来てしまったことが問題なんです。
何もしていない無辜(むこ)の人物が、間違って逮捕されて有罪判決を受けて、もしかしたら死刑になってしまうかもしれない。なんとか死刑を避けられても、無実を証明するのにまた何十年もかかって、人生丸ごと奪われてしまう。そんなことが何度も繰り返されているような国が民主主義国家、ましてや先進国と言えるでしょうか。そして、そうした冤罪に巻き込まれる可能性は、すべての人にあるんですよね。冤罪被害者が自分や自分の大事な人だったらどうだろうか、という想像力を持ってみてほしいと思います。
──ちなみに鴨志田さんご自身は、どうして「再審」の問題に関わり続けてこられたのでしょう?
再審事件というのは国選弁護人制度もなく、関わる弁護士は基本的には手弁当なので、「やればやるほど赤字」というのが実情です。それでも続けてきたのは、「知ってしまった以上、知らなかったころには戻れない」という思いに尽きますね。
私が弁護士になってすぐのころから担当している大崎事件 では、夫の弟を殺したとして有罪判決を受けた(原口)アヤ子さんは一度も自白すらしていません。罪を認めていないんです。それなのに、周りの人たちの証言などから引っ張り込まれて有罪にされてしまった。しかもその周りの人たちは、知的障害がある、いわゆる「供述弱者」でした。彼らが狭い取調室で責め立てられたら、言われたとおりに「はい、はい」と頷くことしかできなかっただろうというのは、私にも知的障害のある弟がいるので、手に取るようにわかります。
私は、司法修習でたまたま、その大崎事件の第一次再審弁護団長がいる事務所に配属されたことで、アヤ子さんの置かれた状況を知ることになりました。その「圧倒的な理不尽さ」に触れ、何もしないではいられないと感じたのが関わりの始まりです。
しかも、ここまでアヤ子さんを苦しめてきたのは司法の過ち、司法の罪なんですよね。海外では第三者機関が誤判救済を担う場合もありますが、日本ではそうはなっていない。司法の過ちは、司法に携わる者にしか正せないんです。無実の人を救うために最初に声を上げられるのは弁護士しかいないわけで、だったら弁護士としてはやるしかないよね、という思いもあります。
──袴田事件の再審開始決定で、「再審」問題に注目が集まる今、法改正は実現できるでしょうか。
もちろん、道のりは厳しいと思います。今までの動きを見ても、法務省や検察庁、いわば権力側が、「過去の過ちを認めて、正していく」ということに、とても消極的なのは明らかです。
でも、だからといって絶望したり、「しょうがない、あきらめよう」と言って済ませたりしてしまうわけにはいきません。私たちはこれからもこの国で生きていくし、その中ではまた同じように苦しむ人が出てきてしまうかもしれない。それを防ぐためには、声を上げ続けないといけないんです。
そして、状況を変えていけるのは世論だけです。「いつ誰が何十年も冤罪に苦しむかもしれない、そんな怖い国には安心して住めない」という声が大多数になれば、国会だって動かざるを得ません。その意味では、十分とは言えないにしてもこの問題に注目が集まっている今は、千載一遇のチャンスだと言えます。この機会を利用しきれなかったら、また忘れ去られていってしまうかもしれません。そうならないために、ふだん法律とは縁がないというような人にこそ、「これっておかしくないですか」と声を上げてほしい。強くそう願っています。
「大崎事件」
鹿児島県大崎町で1979年10月、農業の男性(当時42)の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さんと、原口さんの当時の夫ら親族3人が殺人や死体遺棄容疑で逮捕された。原口さんは捜査段階から一貫して無罪を主張。鹿児島地裁は1980年、親族3人の自白などを踏まえて懲役10年を言い渡し、81年に確定した。
原口さんは1990年に出所し、95年に再審請求。地裁が再審開始を認めたが、福岡高裁宮崎支部が取り消し、最高裁が棄却した。2度目の再審請求は地裁、高裁宮崎支部、最高裁がいずれも認めなかった。元夫の遺族も2次請求から加わり、3度目の再審請求で地裁は2017年6月に再審開始を認め、検察側が即時抗告した。(朝日新聞:2018年3月12日)
その後、この即時抗告を2018年3月に福岡高裁宮崎支部が棄却決定し再審を認めるも、検察側は最高裁に特別抗告。19年6月に最高裁は職権で再審請求を棄却。20年3月、第4次再審請求を鹿児島地裁に申し立てたが、22年6月に棄却され、弁護側が福岡高裁宮崎支部に即時抗告していた。この即時抗告に対し、23年6月5日福岡高裁宮崎支部は棄却を決定、またもや裁判の見直しを認めなかった。(イミダス編集部)
冤罪事件、再審開始までに何十年も費やされた事件
日弁連が支援している再審事件は22年9月30日時点で14件
https://www.nichibenren.or.jp/library/pdf/document/statistics/2022/5-5-1.pdf