いわゆる「LGBT理解増進法」(正式名称は「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」。2023年6月16日可決・成立、同年6月23日施行)について、内容、概要は別項目(新・時事用語「LGBT理解増進法」)を執筆したが、本稿ではその制定過程の中で突如降って湧いた「多数派への配慮」の議論について考えてみたい。
筆者の見る限り、「多数派への配慮」の議論は、2023年5月19日に行われた国民民主党と日本維新の会による法案協議に端を発している。同日の時事通信では、国民民主党の榛葉賀津也(しんば・かづや)幹事長が、同法案を審議する中で「『シスジェンダーの女性がトイレや浴場、更衣室で不快な思いをすると問題だ』と述べ、社会の多数を占めるシスジェンダーに配慮すべきだとの考えを示した」と報じられた(註1)。そして、この時点からにわかに、「多数派を脅かすのではと不安にさせることのないよう少数派が配慮すること」(本稿では以下、「多数派への配慮」と記す)についての議論が政治の場で持ち上がり、法案の国会審議においても取り上げられた。
当時はSNSの一部において、この「多数派への配慮」を支持する動きが見られた。一方、性的マイノリティ関係団体はもとより、さまざまなマイノリティ団体から、この「多数派への配慮」への強い懸念の声が上がるのを筆者は耳にした。最終的に「多数派への配慮」の規定が理解増進法に盛り込まれることはなかったが、この議論の何が問題だったのか、どのようなことを考えるべきなのか、実態面、法制度、あるいは今日の状況について検証する。
少数派が既に強いられている「不利益」や「配慮」とは
「多数派への配慮」の問題を考える前提として押さえるべきは、社会において、特定の事柄に関連し、「多数派」は気にもならないが、「少数派」は不利益を被ったり「配慮」を強いられたりするなど、気にせざるを得ない状況が既に存在している、という事実を認識することであろう。
統計的にも、教育、就労などの場面をはじめとして、性的マイノリティは嫌悪感を抱かれたり(註2)、差別的取り扱いを受けたり(註3)、ハラスメント被害を受けやすいなど(註4)、不利益を被っている実態が報告されている(註5)。
この中で、多数派にはその意味や被害が認識されにくい、カミングアウトやアウティングを例に、少数派が強いられる「配慮」や「不利益」を掘り下げて考えてみたい。
日本社会において、カミングアウト(自らの性のあり方を自覚し、それを誰かに開示すること)をする性的マイノリティは少ない(厚生労働省の委託事業の調査では、職場で1人にでもカミングアウトしている人は1割前後となっている〈註6〉)。なぜならば、性的マイノリティ当事者の多くは、カミングアウトによって自らが性的マイノリティであることを明らかにすることが、前述のような不利益につながることを恐れるからである。また、場合によっては、多数派を不快または不安にさせ、「嫌われたくない」という思いが働いている場合も見受けられる(特に親に対してなど)。
それらの理由からカミングアウトしない/できない性的マイノリティは、自らが少数派であることが周囲に伝わらないよう、常に配慮せざるをえない状態にある。自らが性的マイノリティであると悟られないよう、日々のできごとやプライベートなどを隠す、話を逸らすなど、日常会話の一つ一つにも配慮している。
この点、国際労働機関(ILO)も、国際調査の結果から、「差別的な扱いや暴力を恐れ、LGBTの労働者の多くは自身の性的指向を隠します。レズビアンやゲイの回答者は、職場の会話ではパートナーの名前を変えたり、私生活についての話そのものを避けると報告しています」と指摘している(註7)。
一方、最近、性的指向や性自認を本人の意に反して暴露するアウティングが社会問題となっており、アウティング被害による労災認定も報じられている(註8)。アウティングも、異性愛やシスジェンダー以外の非典型な性的指向や性自認のあり方が他者に伝わることで、差別からさまざまな被害が引き起こされる。もし、社会環境が、性的指向や性自認のありように対して差別的でなければ、被害は起こらず、問題にもなりにくいが、現実の日本社会はそうではない。
「配慮」しなくとも日常生活を送れる多数派
労働施策総合推進法に基づく指針によれば、「性的指向・性自認による侮辱的な言動」や「アウティング」もパワーハラスメントに該当し得るとされている。
シスジェンダー
出生時に割り当てられた性別に違和感がなく性自認と一致し、それに沿って生きる人のこと。
(註1)
時事通信「LGBT法、独自案協議 シスジェンダーに配慮―維・国」2023年5月19日(https://www.jiji.com/jc/article?k=2023051900853&g=pol〈2023年10月15日取得〉)
(註2)
釜野さおり・石田仁・風間孝・平森大規・吉仲祟・河口和也、2020、『性的マイノリティについての意識:2019(第2回)全国調査報告会配布資資料』JSPS科研費(18H03652)「セクシュアル・マイノリティをめぐる意識の変容と施策に関する研究」、(研究代表者 広島修道大学 河口和也)調査班編(http://alpha.shudo-u.ac.jp/~kawaguch/2019chousa.pdf〈2023年10月15日取得〉)
(註3)
日本労働組合総連合会、2016、「LGBTに関する職場の意識調査」( https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/chousa/data/20160825.pdf?8620〈2023年10月15日取得〉)
(註4)
埼玉県、2021、『埼玉県 多様性を尊重する共生社会づくりに関する調査報告書』(、https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/183194/lgbtqchousahoukokusho.pdf〈2023年10月15日取得〉)
(註5)
調査で報告されているあからさまな差別の他に、一見「性的指向」や「性自認」と無関係に見えても、実質的に性的マジョリティが有利になるような制度や慣行の存在も指摘できよう。例えば、企業において、明文化されていないが、「結婚」している人のみが昇進し、そうでない人は昇進しないという慣行があるとの事例が聞かれる。この慣行は、現在の制度上、性的マイノリティの多くが「結婚」という条件を満たすことができないことから、実質的に不利益を被る可能性が高い。このような制度や慣行は「間接差別」と言われ、性別による差別を禁止している男女雇用機会均等法では、間接差別を禁止する条文が置かれている。諸外国においては性的指向や性自認に関する間接差別を禁止している国も見られる。
〈註6〉
三菱UFJリサーチ&コンサルティング『令和元年度 厚生労働省委託事業 職場におけるダイバーシティ推進事業 報告書』2020、p236
(註7)
ILO(2015)”Discrimination at work on the basis of sexual orientation and gender identity: Results of the ILO’s PRIDE Project”(https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/---dgreports/---gender/documents/briefingnote/wcms_368962.pdf〈2019年7月1日取得〉)。なお、邦文は中島圭子、2015、「LGBT法連合会がオルネイ部長と懇談」(ILOジェンダー・平等・ダイバーシティ部長のショウナ・オルネイ氏来日特集)『WORK&LIFE 世界の労働』日本ILO協議会(26)、p21~25に掲載されている。
(註8)
日本放送協会「同意なき性的指向暴露“アウティング”巡り 労災認定 全国初か」2023年7月24日(
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230724/k10014140411000.html〈2023年10月15日取得〉)
(註9)
被害を受けたものの心身の状況や受け止めには「配慮」に留まる規定となっている。
(註10)
一方で、性的マイノリティへの差別が存在する故に、性的マジョリティも、「性的マイノリティであろう」もしくは「性的マイノリティに見える」という、性的指向や性自認が非典型であるという憶測に基づく差別を受けやすい社会環境があることは、別途留意すべき事項である。
(註11)
ただ、性的マイノリティの基本的人権が尊重されていない場合は、性的指向やジェンダーアイデンティティの多様性を理解することが、マイノリティの人権尊重に繋がりやすいとはいえよう。
(註12)
以下は理解増進法成立前に国会答弁で示された政府見解を文面にしたものと解される。厚生労働省医薬・生活衛生局衛生課長「公衆浴場や旅館業の施設の共同浴室における男女の取扱いについて」2023年6月23日(https://www8.cao.go.jp/rikaizoshin/meeting/k_1/pdf/ref3.pdf〈2023年10月15日取得〉)
(註13)
加えて、「全ての国民が安心して生活〜」の「安心」が主観的な文言であり、どのようにも解釈できてしまうとの声も聞かれたが、この点、政府の担当として答弁に立った小倉將信共生社会担当大臣(当時)は、「EBPMの推進は、政策の有効性を高め、国民の行政への信頼の確保に資するものでありまして、本法案における理解の増進に関する施策の推進等におきましても大事にしなければならない視点だと考えております。」と答弁している。内閣府によれば「EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング。証拠に基づく政策立案)」とは、「政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすることです。政策効果の測定に重要な関連を持つ情報や統計等のデータを活用したEBPMの推進は、政策の有効性を高め、国民の行政への信頼確保に資するものです。」とされている。主観的な「安心」で振り回されないよう、この点でも釘が刺されているといえよう。