すべての子どもに力をつけさせる公教育の場は、敗者には何も与えられない弱肉強食のプロスポーツの世界ではないのだ。子どもたちと向き合い続けてきた教師としての豊富な実践経験の中から、警鐘を鳴らした久保の言葉には、普遍的な公教育の意義が感じられる。SNSで拡散されたこの提言書の文章については、「支持します」というリツイートが瞬く間に10万件を超えた。
ところが、2021年8月20日、この提言書を問題視した市教委は久保に「文書訓告」処分を科した。「(久保が)独自の意見に基づいて、現場に混乱が起きていると断じて、懸念を生じさせた」とし、地方公務員法「信用失墜行為」に該当するとしたのである。
学校現場に混乱が起きていたのは紛れもない事実である。それを無かったとし、逆に久保が混乱を起こしたとする市教委の方がエビデンスを示していない。
大阪公立大学の辻野けんま准教授は、この久保の提言書と処分について議論する海外向けのジョイントセミナーを開催した。その結果、10カ国以上の研究者が参加し、米国、ドイツ、インドネシア、キューバ、ブルガリア、キプロス等々、各国の大学教授や教育研究者から、大きな支持と賛同のメッセージが寄せられた。
久保「自分としては提言書を出して、文書訓告をもらっても、むしろすっきりしたんです。僕の提言書を80歳過ぎの先輩の元先生が、『あれは君の教員としての卒業論文や』と言ってくれはったんです。そしたら『文書訓告』は、その“卒業証書”、“合格通知”やな、もう自分自身はこれでええわ。そんなことを思っていたんです。
ところが、辻野先生のジョイントセミナーで出逢った海外の先生たちが共感して下さって、『教育に対する政治家からの攻撃、これは世界的な問題だ』と言われました。その中で特にドイツとキューバの先生から、久保先生が訓告処分を合格通知だと感じて動じていないのは個人の覚悟としては良いけれども、やっぱりこの結果を放っておくのはあかん』とすごく強く言われたんです。未来の先生や子どもたちにとって、この処分を放置するのは良くないと。教師にも人権があるのだから、理由にもならない理由で処分されて、それを受け止めただけになったらやっぱりあかんと。自分もそう思ったわけです」
こんな前例を残してはいけない。久保を支援しようと多くの市民、教師OBたちが声を上げ、「ガッツせんべい応援団」が立ち上がった。子どもたちが、朝会で「ガッツ!」と叫んで子どもを励ます久保を「ガッツ先生」と呼んでいることからこの名称となった。久保と応援団は、文書訓告の取り消しに向けて動き出した。すべては後進と子どもたちのためであった。2022年1月24日に文書訓告取り消しの要望書を教育委員会へ、2月21日には、大阪弁護士会に人権侵害救済申立書を提出した。4月18日には市教委との団体協議も行った。
久保「僕が提言書を出したのが5月17日で、文書訓告処分を受けたのが8月20日です。その3カ月の間に教育委員会議でどのように諮られて僕の処分が決められたのかを明らかにしてほしいと教育委員会に要望書を出しました。一応、回答は来たのですが、『慎重に検討した結果、決裁は教育次長がしました』という、いつもの木で鼻を括ったような返事でした。そうではなく、経緯を明らかにして欲しいということなんです。でも、なかなか担当の人は答えにくいし、僕は教育委員会と敵対したいわけではないんです。
かつての教育委員会は独立性を保っていましたし、そこが培ってきた大阪の教育の歴史があるわけですから、そういうものをしっかり踏まえて、『処分はこういうプロセスで決まった』というふうにちゃんと言ってほしい。そして市教委にはもう一度、政治家に支配されない自立性を取り戻してほしいというのが、要望書を出して協議に臨んだ理由なんです」
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文書訓告の背後に何があったのか?
教育委員会はどのような議論を経て文書訓告というペナルティを科すに至ったのか。久保の応援団が情報公開請求をしたことで、新たな事実が明らかになった。大森不二雄という大阪市の特別顧問をしている人物が、教育委員会の川本祥生総務部長や松浦令教育政策担当課長に直接メールで働きかけて、久保の処分に大きく関与していたことが判明したのである。大森顧問は橋下市長時代に民間教育委員として呼ばれた元文科省官僚で、2016年4月より大阪市特別顧問に委嘱されている。テストの成績によって教育の効果を数量的に把握することを提言した教育振興基本計画を進めてきた人物である。
久保「大森特別顧問が川本教育委総務部長とやりとりしたメールが公開されて明らかになったのですが、市教委は、意見を自由に言うことは決して問題ではないと公式には発表していたはずなのに、実際には僕が反対意見を出したことを最も問題にしているのです。21年6月に総合教育会議というのがあったんですが、大森特別顧問は、自ら進めてきた教育振興基本計画がゆらぐことを恐れて、そこで僕の提言を捻じ曲げて、まるで僕が校長の職責を果たしていないかのような発言をされたんです。特別顧問による演出がここでなされていたんです」
本来、久保の処分は教育委員会議で教育委員たちが議論すべきことであるが、この大森顧問の教育委員会事務局への介入があり、久保への提言に対して総務部長に反論を書くように指示された。その結果、教育長の名前で各校園長に通達(「本市教育行政に関する教育委員会の基本的な考え方について」2021年7月16日)が出された。この通達の文章にも大森顧問による添削指導が3度もあったことが判明する。
また大森顧問は報道に影響されて指示を変えていたことも分かり、およそ人を罰したことに対しての信念も決意も覚悟も感じられない。
アイヒマン
アドルフ・アイヒマン(1906~1962年)。ナチス・ドイツの親衛隊隊員として、強制収容所へのユダヤ人移送に際し指揮官的役割を果たしたが、第二次世界大戦後の裁判では命令に服従しただけだと主張した。
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改正教育基本法では第16条に「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」とある。
「GIGAスクール構想」
GIGAはGlobal and Innovation Gateway for Allの略。義務教育を受ける児童・生徒に1人1台の端末を貸与し、インターネット環境を整備してデジタル教科書などを使用したITC教育を行うという文部科学省の取り組み。