――ノンバイナリーの定義は人によって違うということですが、その上で共通するものは何かあるのでしょうか。
まず「バイナリー」について知ると、もう少しわかりやすくなるかもしれませんね。「バイナリー」は英語で、「ふたつの〜」「ふたつから成る」という意味です。では「ノンバイナリー」における「バイナリー」は何かというと、人を「男性」と「女性」のどちらかのジェンダーに分ける、ということです。そういうふうに「男性」か「女性」か、自分のジェンダーを決めつけられたくないのがノンバイナリーです。ちなみに、ノンバイナリーという言葉や考え方、意識は最近になって出てきたわけではなく、少なくとも100年以上前からあったと言われています。
アレックスがノンバイナリーをカミングアウトしたときには、「自分の中にはいわゆる『男っぽい』ところも『女っぽい』ところもある」「自分は男でもあり女でもあるし、男でもないし女でもない」「そういう自分のジェンダーのあり方は、これまでのように一方的に決められるのではなく、自分で決めたい」と説明されました。そんなふうに「ジェンダーを男か女かで決めない」というのは、ミレニアル世代(1981〜1990年代半ば頃に生まれた世代)やZ世代(1990年代後半から2010年頃に生まれた世代)の間で急速に広まっている考え方です。私は「(自分にとっての)子ども世代」という言い方をよくするんですけど、これまで私やその上の世代が常識と思ってきたことを彼らはどんどん変えようとしていて、ジェンダーのあり方もそのひとつと言えます。子ども世代のパワーはすごくて、ノンバイナリーひとつとっても、以前よりずっとカミングアウトがしやすくなるなど、彼らは本当に社会を変えてきています。
そういう子ども世代の動きを見ていて、「目上の人の考え方には敬意を払うべし」と言われて育った私に戸惑いがないと言ったら嘘になりますし、彼らが言うことをすべては理解できません。でもやっぱり親の愛があるから、「理解できないから拒絶する」とはしたくないんです。今、私は必死で彼らの「新しい常識」についていこうとしているところです。
子どもがわかってくれない親の気持ちを分かち合う
――日本に比べて、アメリカではLGBTQ+やノンバイナリーの存在がずっと身近なのではないかと想像していました。お子さんからカミングアウトされるまで、アミアさんの周囲にノンバイナリーの人はいなかったのでしょうか。
いました。でも、「ああ、あなたはそういう人なのね、オッケー」で終わりです。それでなんの問題もなかったし、ノンバイナリーについて深く知る必要も感じていませんでした。でも、自分の子どもがそうだとなったら、話は全然違ってきます。たとえば、人称代名詞の問題です。アレックスからノンバイナリーだとカミングアウトされたとき、自分のことを話題にするときには「he」ではなくて「they」を使ってほしいと言われました。大して親しくない人なら「代名詞はtheyにして」と言われても、その通りにすることはそれほど難しくないでしょう。でも、アレックスについて話したり書いたりするときにheやhimではなくtheyやthemを使うとなったら、それまで慣れ親しんできたやり方をがらっと変えなければならなくなります。そういうことがたくさんありました。私以上に「ノンバイナリー」を理解できないであろう、私や夫の両親にこのことをどう説明するか、ということも簡単ではなかったです。
とにかくつらかったのは、「ノンバイナリーとは何か」がなかなか理解できなかったことです。私がジェンダーという言葉を知ったのは大人になってからだと思いますし、知ってからも、自分や他人のジェンダーは何かと考えたこともありませんでした。私にとって、性別は「男」か「女」かの二択、つまりバイナリーに捉えるのが当たり前で、アレックスが30歳になるまで「この子は男の子だ」と思って育ててきました。それなのに、いきなり「もう『息子』とは呼ばないで」と言われ、「自分のジェンダーって、自分で決められるものなの?」「男でも女でもあるし、男でも女でもないって、何それ?」と、疑問でいっぱいになりました。心ではもちろんアレックスを愛しているし、ノンバイナリーでもそれは絶対に変わらない。でも、それと「理解できない」と考える自分の頭がつながらないんです。その違和感が本当に苦しくてたまりませんでした。
もし「自分はトランスジェンダーだ」というカミングアウトだったら、ある程度の理解や想像力を持てたから、「性別適合手術をしたいの?」「だったら私に何ができる?」と聞くこともできたし、ここまで混乱はしなかったと思います。でも、ノンバイナリーは本を読めば読むほど、説明を聞けば聞くほど、「納得できない」「それって、随分勝手じゃない?」という気持ちになってくるんですね。私が質問ばかりするので、アレックスからは「もうこの話、やめよう」と言われ、ますます落ち込んでしまいました。
――アミアさんにとっては「理解する」ことが大事だったんですね。
アレックスには「なぜそんなに理解にこだわるの?」と言われましたが、私だって「理解しなくてもいい、愛してさえいれば」と思いたかったです。でも、それは私の本心ではなかった。自分の子どものことを理解できないつらさは、子どもにはわからないのかもしれません。でも、子どもから関係を切られたくないなら、親が頑張らなきゃいけないんです。
今のアメリカでは親子のパワーバランスがすっかり変わっていて、親のほうに「子どものカミングアウトを受け入れるか受け入れないか」という選択権はありません。「私が私であることを拒否するなら、もういい」と、親が子どもから絶縁されてしまうんです。「ちょっと待って。絶縁の権利なんて、あなたたちに与えていないでしょう、誰が産んで育ててきたと思ってるの」と私は思うけど、親との関係を絶ってまで自分を守る、子どもたちの勇気と度胸はすごいです。
――ご本の中では、子どものカミングアウトを受けて悩む親の気持ちを受け止めてくれる存在、アライ(Ally。当事者を支援、応援する人)の大切さについても書かれていますね。
本当は夫婦で支え合い、悩みや愚痴を分かち合えるのが一番いいのだと思いますが、状況や関係性によってそれができないこともあります。また、「母親にはカミングアウトするけど、父親にはしない」という子どもも多く、そうなったら母親が子どもの許可なしに、父親にその話をすることはできません。「アウティング」(他者のセクシュアリティなどを、当事者の同意を得ず暴露すること)になってしまいますからね。
幸い、私たち家族はとても仲が良くて、アレックスのカミングアウトのときには夫も一緒に聞きました。でも、後からわかったのですが、そのときの夫にとっては息子がある日突然ノンバイナリーだと言ってきたことよりも、親の看取りや度重なる引っ越し、新型コロナのパンデミックなどに対応しながら仕事を続けて家計を支える責任のほうが差し迫っていて、私のように悩むことはできなかったんです。実は私自身も数年前に病気になってあまり働けなくなり、夫ひとりに家計の維持などでさまざまなプレッシャーを与えることになってしまい、その状況にずっと罪悪感を持っていました。それもあって、夫にこれ以上の重荷を与えたくないと、自分の悩みを話すことができなかったのです。後になってふたりで話し合い、「これは自分たちらしくなかった」という結論に達した経緯についても、今回の本にすべて書いています。
でも、もし夫婦で話せないのだとしたら、当事者が自分たちを支えるアライを必要とするように、「悩むのは当たり前だよね」と親の正直な気持ちを受け止めてくれる、ノンバイナリーの親のアライも必要だと思います。やっぱり同じ経験をした親、つまり子どもがノンバイナリーの親同士でないと、わかり合えないことというのはあるんです。