西村 言葉で気持ちを表してくれるわけではないから、勘違いだと言われるかもしれないのですが……。でも、私たちは3人で一緒に生活をしていて、同じ時間を過ごして、楽しい経験を共有して、それで今日、帆花の顔がちょっと「にやけて」いるように見えた。それはもう、3人のコミュニケーションとして「楽しかったよね」ということでいいんじゃないかと。そういうことの積み重ねで今まで来たという感じですね。
障害者は「社会外存在」か
──さて、映画の中では小学校入学前だった帆花さんですが、今は中学生になられているんですね。どのような学校生活を送っているのでしょう。
西村 特別支援学校の「訪問籍」というシステムを利用しています。学校に通うことが難しい生徒のための制度で、週3回、先生に自宅まで来ていただいて、授業を受けることができるんですね。
授業のときは毎回、まず「朝の会」があって、先生がその日のお天気が分かるような映像──青空に飛行機が飛んでいたり、先生の影が映っていたりといった──を用意してきてくださるので、それを一緒に確認します。その後に、授業が2つくらい。たとえば今日は美術の時間だったんですが、先生が銀杏並木を歩いて拾ってきたという葉っぱに絵の具を付けて、画用紙にペタッと押して作品をつくりました。
また、最近はコロナの影響もあって、Zoomが大活躍ですね。以前は学校行事などは、録画してもらったものを先生と見るという形だったんですが、今は学校から「生中継」してくれて。お友達が画面の向こうでわーっとはしゃいでいるのを見ると、やっぱり帆花の興奮度合いも違います。
それから、特別支援学校に通う子どもが地域の中学校で一緒に授業を受けられるという制度もあって、今年度、初めて参加してきました。合唱祭に参加させてもらったんですが、きれいな歌声を聞けただけじゃなく、たくさんの生徒さんが帆花のところに来て手を握ってくれたり話しかけてくれたり。みんなの輪に入るための第一歩が踏み出せたという感じがしました。
──小学校に入る時点で、訪問籍以外の選択肢はあったのでしょうか。
西村 入学前に、地元の教育委員会との「就学相談」があって、そこでどの学校に行くかを相談するんですね。ただ、「就学相談」とは名ばかりで、本人の状態、特性、希望によって就学先を決める場とはなっておらず、障害があるけれども地域の普通校に行きたいというお子さんの場合は、そこで意見がぶつかることもあるそうです。帆花の場合は私たちも特別支援学校に行かせるつもりでいたのですんなりまとまりましたが、「呼吸器を付けているならば、特別支援学校の訪問籍」というチャート式の「振り分け」でしかありませんでした。
支援学校に、と最初から思っていたのは、就学前に、障害のある子どもを対象にした「療育センター」に行ってみたときの経験があったからです。センターではリハビリが受けられるのですが、そのためには医師の診察を受けて、リハビリによる「獲得目標」などを書いた「指示箋」というものをもらう必要があるんですね。そのとき、帆花を診察した医師の先生に、こう言われたんです。「はっきり言って、帆花ちゃんがリハビリで何かを獲得できるとは思えません」。
私は、療育センターというのは障害のある子どもたちを育んでいくための手助けをしてくださる場だと思っていたので、ショック──というよりも「は?」と思ってしまって。障害の重い軽いはあったとしても、子どもはみんなそれぞれに発達していくものだと捉えられないのなら、このお医者さんはどうしてここで働いているんだろう、とさえ思いました。
結局、就学まで療育センターに通うことはできませんでした。そういう経験があったので、地域の小学校という選択肢は頭になくて、「なんとか支援学校に入れてもらえたら……」という感じだったんですね。
最首 そういう話を聞くと、まだまだ教育というものが子ども主体になっていないと実感しますね。少しずつ改善してきてはいるものの、やはり「国家のため」「社会のため」の教育なんです。だから「この子を教育してなんになるんですか、国家のためにならないでしょう」という本音がポロッと出てくる。
星子の場合は「教える先生」ではなくて「一緒に遊んでくれる先生」が必要でした。一緒にいて心が安らぐような、あるいはわくわくして興奮するようなことをやってくれる先生。帆花ちゃんの場合もそうだと思いますよ。あくまで主体は帆花ちゃんであって、先生ではないんですから。
帆花ちゃんが主体だというのは、先生が引っ張っていくのではないということです。かつて日本には、子育てや教育を意味する「子やらい」という言葉がありましたが、これは子どもの前に立つのではなく、後ろからそーっと押していくということ。先生が先頭に立って子どもを引っ張って、「これができるようになったか」と絶えず試していくなんていうのは、教育じゃないですよ。
最首悟さん
1936年、福島県に生まれ、千葉県にて育つ。東京大学大学院動物学科博士課程中退。同大学教養学部助手を27年間つとめた後、予備校講師、和光大学教授を歴任。和光大学名誉教授。東大助手時代から公害問題や、障害者と社会の在り方を問い続けている。主な著書に『水俣の海底から』(1991年、水俣病を告発する会)、『星子がいる』(1998年、世織書房)など。
西村理佐さん
1976年、神奈川県横浜市生まれ。大学時代は心理学を専攻し、心理カウンセラーを目指すも断念。同じ病院に勤めていた秀勝さんと院内の交流会で出会い、2003年、27歳の時に結婚。4年後の2007年、帆花(ほのか)ちゃんを授かる。自宅で育てることを決意して以来、病院で秀勝さんと「医療的ケア」の手技を学び、翌2008年の7月に帆花ちゃんが退院。家族3人、自宅での生活をスタートさせる。著書『長期脳死の娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って』(発行:エンターブレイン、2010年)を上梓するなど、執筆活動や講演活動も。